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「銃後の妻の 戦中日記」 全文掲載 |
これは著者の平岡弥よいさんがご自身の青春時代であった21〜25才の頃の
銃後の生活の様子及び終戦後のご主人復員の頃までを日記にて書き残したものを元に
平成16年まとめ、自費出版にて発行されたものです。
昭和十八年(二十一才)六月、昭和十九年(二十二才) 四〜五月
昭和十八年 | 六月 十五日 | 結婚 | ||
昭和十九年 | 四月二十三日 | 主人に召集令状がくる。 | ||
四月二十九日 | 応召門出の後、主人、松子姉さんと共に「学校前」よりバスに乗って出発。 桝田の姉さん宅で泊まる。 |
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四月 三十日 | 姫路の親戚で泊まる。 | |||
五月 一日 | 姫路へ入隊 松子姉さんと二人で見送りに行く。 隊列に加わった主人は一度も振り返らず、心残り。 (此の日から日記を書き始めたが、後日紛失して 六日からの分しかない。 日記は お父さんの帳簿の残りに書く) 此の晩 桝田で泊まる。 |
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五月 三日 | 家へ帰ってくる。 | |||
五月 六日 | 今日は何とも云えぬ良い月夜だ。 十五夜に近づいて居るらしい。 昨年の丁度此の様な月夜に、主人に連れられて浜辺へ散歩に行ったことが思 い出されて つくづく懐かしく夢のように偲ばれる。 此の月を何処の地で眺めていることかしら。 |
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五月 七日 | ぼちぼち冬物の整理をし ツギ当等して 箪笥の引き出しにしまう。 | |||
五月 八日 | 朝四時起床。 朝は少しばかり魚がとれたそうだ。 五拾円程とか。 主人に便りが出来る様になったら 漁業の模様をくわしく知らせてあげ度い 早く便りが来る様 毎朝郵便を待つが まだ今日もなにも来ない。 |
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五月 九日 | 昨日あまり暖か過ぎた為か どうやら雨が近い様だ。 昼まで ナルト三十〆供出するのに 俵に入れて出荷する。 昼食後 ヤイト場の畠の草引きをする。 |
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五月 十日 | 四時起床。 昨夜よりしとしとと小さい雨が降って居た。 今日は犬の日なので 腹帯を持って産婆さんの家へ行き 始めての事で巻き 方もわからず 巻いて頂く。 どうか 無事安産出来ます様祈る。 |
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五月 十一日 | 広石の斉藤笑子さんから手紙が来た。 同級生の敬向良子さんの御主人も 四月二十六日入隊して三十日出立された 事が判った位で やはり何の便りもない とのこと。 此の頃は 皆便りが出来ない事になって居るのだろうか。 久保田清子さんの御主人も出征なされて 清子さんは広石の里へ来られ留守 居をするとか。 色々とくわしき事が笑子さんから傳へられ とても嬉しく読んだ。 主人も何れもう姫路からは出て居るのだろう。 さびしくてたまらないが 辛抱して一日も早く便りが届きます様お祈りして 楽しみに待つことにしよう。 雨が降り 大分土地が湿ったので、南京七、八本とトマト七、八本を植えた 今日 浜の畠で実枝豆を初めて取って来た。 大分良く作れており 嬉しく思った。 小麦も 思いもよらず良く出来て居る。 主人と二人で作った小麦 これだけ立派に作れたのを見せたいものと つく づく思う。 |
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五月 十二日 | 午前四時起床。 はや 夜が明けて来かけた。 本当に夜が短くなったと思う。 お昼よりうづら豆の中かぜをする。 今朝 小井でナスビの苗をわけて頂き 家の前の畠に三十本ばかり植えた。 今日は魚が思わぬ大漁であった。 百八円とか上がったそうだ。 |
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五月 十三日 | 主人に此の大漁の模様を知らせられたらと思う。 もう 姫路は既に出て何れかの地へ向かって居る事だろうから 当分の間は 便りは出来ないかもしれない とは覚悟はしていても やはり毎日郵便さん の来るのを待たずには居られない。 どうか一日も早く無事の便りが着てくれる様 一寸の間も祈る毎日。 今日此の頃の私の願いは 主人からの初の便りが一寸でも早く来る事と 体 内の子供が無事に大きくなり 安産の出来る様にと。 今晩はお宮様の前で魚とる網をやるので 龍麿さん お昼より晩の弁当を持 って明日の朝まではり番に行かれる。 どうか明日もたくさん魚がとれます様に。 家の仕事の合間にヤイト場の畑の草けずりする。 今日は随分日が良く照り、暑い位だった。ミカンの木も大変たくさん花の つぼみが出来て居る。 花が開けば良い香りがすることだろう。 夕方 牛を追い出して草を食べさしに出る(主人が出征する前から牛を飼っ ていた) 午後八時より、みつ子さん宅へ配給物を分けて頂きに行く。浅草のり十六枚 |
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五月 十四日 | 昨夜九時の汽船にて長太郎兄さんが来る。 朝、釣に出て昼帰る。 魚釣に送り出す為に、朝二時頃起きる。 早起きした為か、一日中、身体が疲れて居た。 午後二時頃より下の方(佐野の町のこと)へ買い物に行く。 妊婦用のネルを買ってくる。 支出 貯金二円五十戦、ネル一円十八銭、切手七十銭 斉藤笑子さん(広石同級生)、楠つや子さん(広石同級生)、浜口朝子さん (都志 従姉妹)、徳田清作さん(里の親)に手紙を出す。 晩、酒四合配給ある。 |
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五月 十五日 | 今日は養老会があり 父上十一時より行かれる。 午後 草引きする。 国債貯金十六円五十銭、所得税予納六十円出す。 |
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五月 十六日 | 米 醤油の配給日 此の度より主人の分が減る。 午後より草けづりに行く。 晩に イカナゴ一人前四十匁宛の配給ある。 |
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五月 十七日 | 此の頃は 日の光も大分暑い位に感じて来た。 むし暑いと思って居たら午 後より雨が降り出す。 午前中 草引きをする。 |
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五月 十八日 | 今日は一日中雨降りだ。 日暮れが来ればさびしくて仕方がない。 今頃 主人は何処でどうして居るだらうか。 本当に無事の便りが一寸の間 も早く着てほしい。 これで 龍麿さん(主人の弟)が家に居なければ どの位さびしいことだら う。 どうか主人が無事にご奉公を終へて帰って来てくださいます様。 |
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五月 十九日 | 今朝は思はぬ大量で皆大喜びだ。 平岡関三さん(私達の仲人)宅から 広石へ行く魚(お土産用)を買いにこ られて 十匹程イサギ(魚)を上げた。 ついでに広石の父の宅へ みかんを一かご ことづかってもらう。 丁度 魚をさばいてしまって居たので 魚はなかった。 楠つや子さん(広石同級生)から手紙淋来る。 御主人はビルマに居られるとか 二月の中頃手紙が来たが 其の後何の便り もない模様。 でも あの方は留守番も一年近くになるから とてもしっかりした心がまへ に感心する。 私もあの人の様にしっかりと留守番をして 主人が帰って来 たらほめられる様にがんぱらう。 外はもう既に暑くなった。 もし主人が南方の方へ行って居たら どれだけ 暑いことだらうか。 |
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五月 二十日 | 一日中うったうしい天気だ。 夕方より又雨日和となる。 平岡様(仲人さん)よりヘチマの苗を頂き 七本植える。 午後より畠へ行 き草引きやみかん取りをする。 夜はずっと雨が降りつづく様だ。 広石の友達の川渕千恵子さんから懐かしき手紙が来る。 |
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五月二十一日 | 午前中は曇り 午後より晴れ 畠の草引きに行く。 | |||
五月二十二日 | 今日は良い天気だった。 午前中畠へ行き 上の段(ヤイト場の畠)の草けづりをする。 昼休みにモンペを縫いかける。 亡き広石の母のお召の着物で此の間より上 着(ブラウス)をこしらへたので これからモンペを縫って上下一對にしや うとおもう。 母のよそ行きの着物だったこのお召。 私が嫁ぐ時 これを着て私を平岡家へ連れて来て下さった思い出の大きい母 の形見となったこの着物を 私が勝手にモンペの上下に作りかへてしまって 居るが 其の点 亡き母も満足して見て居て呉れる事だらう。 午後二時頃より畠へ行っておれば 役場より 龍麿さん(主人の弟)の徴兵検査の通知書と 県税・町税の納税 書が来る。 徴兵検査は七月二十一日より 又税金は今月二十八日まで役場へ持って行 く様。 |
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五月二十三日 | 午前中 畠へ行っておれぱ 平岡様(仲人さん)おこし下さり 丁度私の留 守の間で失禮だったので 午後より平岡さん宅へおじゃまに上がり 主人 の其の後の模様やら 又色カとお話して 午後三時頃平岡さんを出て役場 へより 昨目の税金をおさめに行って来る。 久し振りに平岡さんにお会いし 色々と面白い事やつらい事を打ち明けてお 話さして頂き とてもとても嬉しく思う |
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五月二十四日 | 午前十一時頃まで畠へ行っており お昼に帰れぱ 神戸より柴田よしえさん が母上(中風で倒れて十三年目)のお見舞いに来て居て下さり 昼食を差し 上げる。 一時半頃 興隆寺の御自身のお里へ行かれる。 柴田さんは興隆寺の藤岡さんの長女で 私宅から嫁にいったお母様の妹さん の娘さんで 私の主人の従姉妹になり 其の上お母さんのもう一人の妹さ んが柴田へ嫁いで居たが亡くなり 其の後へ後妻に行かれて居る人。 其の後 父上の書留の手紙を入れに郵便局まで行って来る長道を歩いた為か ひざ節の裏が一番ひどくて耐へられない位仕方なく 裁縫等して一時間半程 休めて居ると良くなった体の方ももう五ヶ月の終りが来て居るのに 一向に 胎動を感じなかったが今目初めてそれらしき動きを感じる。 (魚は五十円弱の売上げ) |
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五月二十五日 | 午前中 野菜物の手入れをし 肥料(下肥)をかける。 午後は エンド豆の木を引いて来てむしる。 |
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五月二十六日 | 米の配給日で出て行く為 其の時に出す手紙を書く。 妹きみ子、 弟務 それから 主人の現役兵当時の親しい戦友の林光吉様 (注)から今目手紙が来たので 私からは始めての手紙出す。 役場へより 赤十字杜の払込三円を支払う。 来月より米の配給は三の日と かわる。 午後より雨目和となる。 モンペ此の間から縫って居たのを今日仕上げる。 |
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五月二十七日 | 朝の間 梅雨の様にしとしとと小雨が降った。 紺綿をお母様より頂き 仕事着にする長袖のブラウスを一枚 夜なべをして 仕立て上げる。 |
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五月二十八日 | 午前中洗濯をする。 今日は本当に良い天気で 気持ち良く乾いた。 午後より又紺でブラウスを一枚仕上げる。 主人が出征してから かれこれ一ヶ月近くになるが まだ何の便りもない。 どうか無事な便りが一日も早く来るのを毎日毎日祈り乍ら待つのみ。 |
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五月二十九日 | 主人が家を出発してから今日で丁度一ケ月目だが 随分長い一月だった。 一層 色々と思い出し感無量なり。 午前九時前に役場に行き 寺門さん(尾田五様)に魚を上げに行くついでに 郵便局まで行って来る。 午後より前の畠の草引きをする。 奥のヤイト場の草引きも長い事かかった ら 初めに引いた場所が又草が生えて来た。 晩の仕まい事をして居ると平岡さん(仲人さん)が来られ エンドウをむき 乍ら色々とお話する。 あのお方が近くで時々来て下さり 色々なぐさめたりはげましたりいして頂 けるので 私も随分とさぴしさがまぎれる。 それでも 此の頃とてもさぴ しい。 がんぱっては居る物の耐へきれぬ思いで一杯。 夜八時より光子さん宅(隣保で私と同年ぱい)で配給物(酒四合、チリカミ ネル)を分けて頂く。 |
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五月 三十日 | 夜 再三起きる(母上の看病)為か 午前中は頭の痛みと体もとてもだるか った。 お昼までエンド豆を引き 実をむしって乾かす。 田植する時分に一度広石へ手伝ひに行かせて頂く筈に思っていた所 朝鮮へ 行って居る主人の兄さん(上から三番目)安民兄さんがお出でになる様連絡 あり とてもその時分には出られないらしい。 三、四日程しかあいた日はない様で 両親に伺って見た所 明日か明後日に 行け とのことである。 午後より前の畠の草引きをする。 |
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五月三十一日 | 魚が取れたので 今日 広石へ行く。 午前七時五十分発のバスに乗り 志 筑九時半のバスに乗る。 魚もたくさん持って行き 広石で五軒の家に分けて上げる。 まだ 今日は麦刈りはして居ないが 明日から着手する。 弟務が 少し胃が悪いとかで 神戸の工場へ行って居るが養生に帰って来 て居た。 どうか早く良くなってくれる様に祈る。 午前中魚の処分をし て 弟にもサシミ等してたくさん食べさす。 午後より 隣の笑子さんと共に鳥飼の岡野呉服店へ行き 赤ちゃん用の着物 等買いに行く。 配給品のとても割安い良い物ぱかり。 |
次へ続く
平成16年3月発行
「銃後の妻の戦中日記」より転載 禁無断転載(著作権は平岡弥よい氏に帰属します。)
※(自費出版他発行分NO.129)
copyright by yayoi hiraoka 2004
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