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「銃後の妻の 戦中日記」 全文掲載 |
これは著者の平岡弥よいさんがご自身の青春時代であった21〜25才の頃の
銃後の生活の様子及び終戦後のご主人復員の頃までを日記にて書き残したものを元に
平成16年まとめ、自費出版にて発行されたものです。
昭和二十年(二十三才) 十月
昭和二十年 | 十月 一日 | 大阪の貞逸叔父さん(父の弟)が来て居り、妹と二人で色々と御馳走をこし らへておまかないする。 叔父さんとは久し振りに会ったので懐しく色々と お話しする。 本当に良い人柄の人だ。 父の弟は五人居るが、この叔父さんと都志の季松叔父さんは私に優しくして くれる。 台所をかたづけて夕方川渕みち子さんにさそって頂き、煕を連れて八幡様の 大祭りにおまいりする。 とても大勢の人出にびっくり。 あちらにもこちらにも兵隊帰りの人達ばかりが目に付き、私宅主人もこの様 に早く帰って来て欲しい物とつくづくうらやましく思う。 |
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十月 二日 | 朝の自動車で帰る。 都合よく志筑よりも乗れ、十時頃家に着く。 | |||
十月 三日 | 雨降り。 編物し、くつ下等編む。 | |||
十月 四日 | 今日も又雨、洗濯物が乾かず困る。 くつ下一足を仕上げ、次は煕のじゅぱんを編みかける。 |
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十月 五日 | 又々雨が降る。 本当につくづくいやになる。 煕耳から急に耳だれが出て来たので、心配して中島医院へ連れて行くが小児 科は診て頂けない。明日洲本へ連れて行く筈にする。 |
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十月 六日 | やうやく天気になり気持良い。 七時頃家を出て七時半に乗れ、洲本の松谷医院へ行き診て頂けぱ、耳の鼓膜 に傷が入っている程度、一週間程通院しなけれぱならぬとか。 十一時洲本を乗り午前中で帰って来た。 帰って来て午後より煕を恒吉さんの所へたのみ、浜の畠の菜の間引きに行っ て来る。 |
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十月 七日 | 七時半の自動車で洲本の松谷医院へ行く。 今日は十一時にはとても乗れず、次の一時半は故障で出ず、洲本三時出発の で帰る。 途中雨が振り出し、帰った時には大雨になる。 |
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十月 八日 | 榮姉さんも洲本の医者に見て頂きに行くのに一しょに七時半に乗る。 今日も朝から雨で一日中降り続く。 病院三ヵ所へ寄り、一時出発の自動車で帰宅する。 |
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十月 九日 | 昨夜よりとても大雨で、流れが行った(注)所もあるらしい様子。 洲本行きはとても行けず、耳も大分良いらしいので良い具合。 浜の畠が又々今度は大雨で岡からの大水害に会って、植えてある芋が流され てしまう。 |
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十月 十日 | 昨日の雨でとてもとても荒れて大変な事になる。 ヤイト場へ行く道は大水で大荒れで通れなくなった程。 |
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十月 十一日 | 煕の服を編む。 古毛糸だがなかなかはかどらない。 | |||
十月 十二日 | 上の瀬の松の木を引いてしまい、肥をかけて、次にそら豆か何か植える用意 をする。 肥(家の下肥)を上の瀬、前の畠へ龍麿さんに運んで頂く。 |
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十月 十三日 | 此の間内より編みかけの煕の毛糸の服、まだなかなかではない。 洗濯も久し振りにたくさんする。 |
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十月 十四日 | 昨日より秋晴れのとても良い天気で本当に気持ちよい。 浜の畠に蒔いて居る大根、雨風にたたかれ良くなってこないので、手入れを して、家から肥を運ぴ、かける。 龍麿さん性次さんと釣に行ってたくさん釣って来て下さる。 |
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十月 十五日 | 毎日の新聞に復員船の事が出て居るのを、さがし出して讀むのをなによりの 楽しみにして居るが、今日は主人の居る所らしいダバオヘ五隻も船が行って 居るとか。 都合良く帰れれば来月二日に呉へ着くとか、本当にどうか其の船に乗って帰 って来る事が出来る様に祈らずには居られない。 何か心が晴れ晴れとして、大きな楽しみに思へて来る。 浜の畠やヤイト場前の畠等野菜物の手入れをする。 龍麿さん磯でたくさん魚を釣って来て下さり晩方焼く。 |
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十月 十六日 | 洲本松谷さんへ行って煕の耳を診て頂き、一時半の花立線に乗り夕方広石へ 着く。 |
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十月 十七日 | 広石の父、角力を見に群家へ行く。 弟は大阪の会杜へ後片付けに行く。 |
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十月 十八日 | 今日帰る筈に予定して居たが、都合により明日にのぱす 父のシャツのつくらひ等する。 友達が来て、色々と話し楽しくすごす。 |
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十月 十九日 | 朝六時頃広石の家を出て四ツ辻まで出る。 八時半の自動車で洲本へ出九 時前に着く。 妹も自転車で洲本まで荷物(注)を積んで送ってくれ、つい でに佐野まで送って来てもらひ、すぐに引返して帰る。 |
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十月 二十日 | 龍麿さん腹痛で二、三日前から床についており、大分良くなって時々起きる | |||
十月二十一日 | 洗濯たくさん済ませ、畠へ出て仕事する。 | |||
十月二十二日 | 前の畠へ菜っぱを植え、ジャガイモの手入れをする。 | |||
十月二十三日 | 洗濯をし、煕を恒吉さん家へたのんでおいて畠へ行く。 | |||
十月二十四日 | 地引網を引き、たくさん魚がとれアジ等目刺しにして乾す。。 | |||
十月二十五日 |
煕をたのみ、上の瀬の畠の芋掘りをし、龍麿さんに耕して頂きそら豆を植え る |
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十月二十六日 | 今日は煕の万一才の誕生日だが、何か内祝いをしてやり度いものの、時節柄 何も出来ないが、お餅を搗き赤飯等こしらへ、平岡様、すま店、恒吉さん宅 へ少しばかりだがお配りする。 煕に重ね餅をまたがす。 晩、地引網でたくさん魚とれる。 |
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十月二十七日 | 畠の手入れする。 | |||
十月二十八日 | 昨日に続きそら豆植える。 | |||
十月二十九日 | 同じく今日も畠へ出る。 | |||
十月 三十日 | お昼頃よりイワシがたくさん取れ、二斗程分けて頂き、ダシイリ(イリコ) や目刺しこしらへる。 |
次へ続く
平成16年3月発行
「銃後の妻の戦中日記」より転載 禁無断転載(著作権は平岡弥よい氏に帰属します。)
※(自費出版他発行分NO.129)
copyright by yayoi hiraoka 2004
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