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「銃後の妻の 戦中日記」 全文掲載 |
これは著者の平岡弥よいさんがご自身の青春時代であった21〜25才の頃の
銃後の生活の様子及び終戦後のご主人復員の頃までを日記にて書き残したものを元に
平成16年まとめ、自費出版にて発行されたものです。
昭和二十年(二十三才) 九月
昭和二十年 | 九月 一日 | 今日より学校が始り、大勢の子供が出て行ったら午前中はとても静かで他所 の様で、久し振りに昔が返った様に思はれた。 お母さんと私と赤子と三人で暮らして居た日の事が随分前の事に思われるが 早八ヶ月が過ぎる。 思へぱ其の間、随分色々と難問ぱかりのくぐり抜けの毎日、自分乍らよく耐 へて来られた事とあらためて思い起す 此の先何時まで此の状体(態)がと深刻になる。 二、三目前より良い雨が降り続き、まるで梅雨の様だが、久し振り幾ら降 ってくれても喜ばれる。 |
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九月 二日 | 長太郎兄さん大阪を引き上げて帰ってこられ、家族全部集まって此処で住ま れる。 二、三日の内に最後の荷持(物)取りに大阪へ行ってこられるらし |
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九月 三日 | 正三兄さん朝早く帰られる。 | |||
九月 四日 | 米の配給日、特配七日分あるが農家と認められて私宅へは頂けない。 | |||
九月 五日 | 煕を守りしながら裁縫をする。 とてもがさがさとはい歩いて目がはなせな い。 仕事が出来ないが、けがをさせない様に気をつける。 |
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九月 六日 | ジャガイモの種植をする。 煕を恒吉さんの所で見て頂き、ヤイト場の畠へ 植える。 大根や菜っ葉を蒔く所もこしらへる。 |
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九月 七日 | 裁縫をして子供守りする。 | |||
九月 八日 | ヤイト場畠を耕し種蒔きの用意。 | |||
九月 九日 | 煕を恒吉さん宅へ連れて行って見て頂く。 いくら大勢家に居っても、子供もお母さんも見ては頂けない。 此の頃、煕も良くはい出して目がはなせないが、恒吉さんのおぱさんとても 可愛がって見て頂けるので本当に有難い。 昨日こしらへた畠の種蒔きをする。 大根、白菜、ホーレン草、牛蒡、かぶ ら等少しづつ蒔く。 |
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九月 十日 | 昨日種蒔きをすれば、今日大きな雨にたたかれ、生え方が悪くないかと心配 する。 |
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九月 十一日 | 汽船場までイワシ買いに行って来る。 此の間酢の配給があったのを幸いに早速にぎりずしをこしらへる。 午前中油の配給を買って来て家へ帰れば、思いがけなくも龍麿さんが兵隊か ら解除になって帰って来て居り、本当に無事で早く帰れた事に一同大喜びで お迎へする。 |
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九月 十二日 | 何か変わった御馳走をして上げ度いが何も材料なくて出来ない。 これから毎日家に居られるのだからぼちぼちにしよう。 |
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九月 十三日 | 煕を恒吉さん宅へあづけて、午前中屋敷の中の畠の掃除をし、種蒔きをすれ ぱ良い様にして置けぱ、夕方兄さんが種を蒔かれた。 毎日はっきりしない天気が続き洗たく物に困る。 |
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九月 十四日 | 良い天気になり気持良い。 縫物をする。 | |||
九月 十五日 | 今日午後より広石へ行く筈で、朝から其のつもりで午前中いそがしく家の事 済ませて、煕の散髪も秋里さんでして頂き、一時頃家を出て志筑四時半の自 動車で広石へ五時半着く。 |
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九月 十六日 | 広石も皆元気で何より、明十七日は私等の亡き母の三年の法事の為こしらへ を手傳う。 |
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九月 十七日 | 昨年の嵐と同じ日、又々夜にかけて大きな雨と風に驚く。 折角きれいに出来て居る稲も又あらゆる作物も大雨風の為大被害を受ける。 佐野の家を心配する。 亡母の三年の法事、風雨の中をお坊さん正午に来て 拝んで下さり、角川の親籍三軒もおまいりして下さる。 |
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九月 十八日 | とてもとても昨日の大暴風雨の被害は言ひ表せない程の大被害が出て居る。 佐野の事が気になるが、昨日の法事のつかれで今日は休む。 |
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九月 十九日 | 朝の自動車で帰る筈で、こしらへて乗場へ行けぱ満員で乗れず夕方五時半に 乗る。 |
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九月 二十日 | 昨日遅く家に着き、朝早速浜に出て見れば、浜の荒れ方は大変な事でびっく り仰天で言葉も出ない。 浜の網納屋は流れて行ってしまって無くなり、清 水のおぱさん所の屋敷も半分流れて無くなって居る。 午後醤油を買いに行って来る。 お墓まいりもする。 龍麿さん釣に行かれる。 |
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九月二十一日 | 午後一時頃広石より弟が来る。南瓜、ジャガイモ、醤油他色々持って来て くれる。 |
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九月二十二日 | 洗たくをすまし、おしめを洗うが天気悪くかわかなくて困る。 | |||
九月二十三日 | 彼岸の中日なり。 おはぎやおだんごこしらへてお供へする。 午後より浜の畠のサツマ芋植えて居たのが流れしまったので、其の後をこし らへて大根を蒔く。 ヤイト場や前の畠の生えおくれの所へも種まき直す。 |
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九月二十四日 | 味噌の配給受けるが。大勢ならんで居て昼までかかる。 龍麿さんが釣に行き晩方帰る。 大分釣れた。 |
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九月二十五日 | 今日も又釣に行かれる。 私少し体がしゃんとせず、一日中ぼちぼちにする。 |
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九月二十六日 | 龍麿さん釣に行かれる。作業着のつぎ当てする。 | |||
九月二十七日 | 洗濯等して色々として日を暮らす。 龍麿さん少し熱が出て床につく。 |
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九月二十八日 | 今日も熱がたくさん出るので薬を買いに行ったりお医者さんにも来て見て頂 く。 かぜ引きの様子。 |
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九月二十九日 | 龍麿さん少し良くなったがまだ時々熱が出る。 日参の旗がまわって来てお参りする。 どうか主人がおそくとも無事で帰ら れます様に神様にお願ひして帰る。 |
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九月 三十日 | 今晩より広石の八幡様の秋祭り。 龍麿さんも大分良くなって来て居るので、ひょっと思ひつき煕を連れて午後 より出かける。 都合よく自動車に乗れ五時半に広石に着く。 太鼓も出ず獅子だけで寂しい夜宮祭だった。 |
次へ続く
平成16年3月発行
「銃後の妻の戦中日記」より転載 禁無断転載(著作権は平岡弥よい氏に帰属します。)
※(自費出版他発行分NO.129)
copyright by yayoi hiraoka 2004
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