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「銃後の妻の 戦中日記」 全文掲載 |
これは著者の平岡弥よいさんがご自身の青春時代であった21〜25才の頃の
銃後の生活の様子及び終戦後のご主人復員の頃までを日記にて書き残したものを元に
平成16年まとめ、自費出版にて発行されたものです。
昭和二十年(二十三才) 八月
昭和二十年 | 八月 一日 | いよいよ今日は灯上げ法要の日である。 時局柄隣保の人にはお願ひせず、親戚の人達だけお呼びする。 昨夜おそく広石の妹が来てくれる。 十一時頃お坊さんが来ておがんで下さり、おひる片岡様、興隆寺タコ、新宅 音吉様、恒吉様達に座って頂く。 一時頃姫路の満兄様が来られ、やうやく座敷の間に合う。 大勢の家内でにぎやかな上に、お客様を迎へてとてもにぎやかで佛様もさぞ 喜ばれ満足して居てくれるでせう。 |
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八月 二日 | 昨日に続いて今日もにぎやかな一日だった。 桝田姉様に服の原形の取り方教へてもらう。 広石の妹午後より帰る。 夕方お墓まいりして来る。 |
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八月 三日 | 満兄様朝方帰られる。 朝の間肥汲みする。 姉様二人下の方へ買い物に行かれ、おひる帰る。 上の瀬と小畠の草引きをし、午後又肥汲みして畠へ運ぶ。 |
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八月 四日 | 朝の内に便所の肥を大体汲み終わり、前の畠へかけ終る。 米の配給買って来て下さる。 米三割荒麦七割となる。 |
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八月 五日 | 此の頃、煕も大分元気になり、一時少し痩せて居て気になって居たが、又元 通り肥えて元気になって来て本当に嬉しい。 とてもしょうね(注)がついて来て、無理を云って手がかかる。 桝田の姉様今日は尼崎へ帰られるが、岩屋まで歩く。 |
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八月 六日 | ふとんの洗濯してあったのを縫う。 | |||
八月 七日 | 小麦の粉を引いて来た。 借りて居た所へも返し、皆にも分ける。 | |||
八月 八日 | ふとん一枚仕上げ敷布をかける。 | |||
八月 九日 | 本格的に照って来てとてもあつい。 煕を守りしながら布団二枚仕上げ敷布をかける。 |
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八月 十日 | 魚の配給が八幡様の前であり、一斗程イワシを買って来てダシイリをこしら へる。 一日でとても良くかわく。 少々魚は古いが、自家用のイリコが出来て本当に嬉しい。 午後よりヤイト場畠の草けづりに行く。 |
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八月 十一日 | 午前中家の中で色々、午後より草けづりに行く。 煕を恒吉さん宅へ毎日の様に見てもらひに連れて行けて本当に助かる。 |
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八月 十二日 | 明日のこしらへ(お盆)をする。午前中粉引きし、佛壇のおそうじし、お 盆のおまつりする用意する。 |
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八月 十三日 | いよいよお盆の十三日、色々と佛様におまつりするため、はすの葉に野菜果 物をのせてまつり、おちつきだんごもこしらへてまつる。 家の相続人の長太郎兄様の家族久美子姉様は、がんぱって大将顔して居なさ るが、佛まつりは一切関係なしと何一つなさらず、佛様もおがまない。 私がずっとおまつりして来たのがいけないのかと思うが、私はそんな無責任 な事は出来ない。 午後生穂劇場へ滋ちゃんと和子ちゃんが活動写真見に行きたがり、おや達に 頼まれて私もいっしょについて行って来たが、古い写真で見えにくくわかり にくく面白くなかった。 十時かへる。 |
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八月 十四日 | お盆のお供物色々こしらへておまつりし、朝の片付け終わってからお墓まい りする。 榮姉さんは吉谷のお墓まいりに子供を連れて釜ロヘ行く。 晩方かへる。 夕方おそくに薬師さんのお墓へ提ちんつけに行って来る。 |
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八月 十五日 | お昼十二時ラジオで天皇陛下の玉音放送あり。 丁度前の門長屋の所で兄さんの所のラジオで皆いっしょに聞かせてもらう。 何だか分かりにくくて聞き取りにくい放送だが、どうやら今日で戦争は終わ りになったらしいとの事。 お盆の中日のひで、佛様ヘソーメン等炊いてまつり、お茶湯七回して、送り ダンゴもこしらへお供えし、夕方浜へお盆の佛様をお送りして来る。 |
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八月 十六日 | 昨日の天皇陛下の放送の事で色々話題が出るが、時間がたつにしたがって分 かってくるのは、日本が此の戦争に勝ったのではなくて負けたのだとの事だ 此れから先、内地外地に居る兵隊さんは、又遠い戦場に居る人達はどうなる 事だらうかと色々と又心配は加わる。 広石へお墓まいりに行く。 家の方の佛まつりして、お盆の佛様も昨日送ったので、今日は気のこりなく 家を出られる。 朝六時に家を出て、志筑を七時半出発の自動車に乗られず、仕方なしに広石 まで歩いて行く。 大変な暑さに子供を背負って歩くのに本当に困って、途中から電話をかけて 妹に迎へに来てもらう。 十時半頃広石に着く。 妹が途中まで自転車でむかへに来た時、赤いトマト持って来てれ、今までき らひで食べた事のないトマトをたべ、のどのかわきをおさへられ、トマトが こんなにおいしく食べられたのに自分乍ら驚く。 午後、川渕みち子さんお里へこられて居て、早速私に会ひに来て下さり、同 じく出征して居る御主人の話等して久し振りになつかしく嬉しく、夕方まで お話する。 |
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八月 十七日 | 墓まいりする。 空の叔父さん宅へよせて頂き、色々と戦争が終わったとの事等話しておそく なり、急いで帰り支度し五時半広石出発の自動車に乗り、志筑よりうぱ車を ついて帰ればおそくなる。 |
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八月 十八日 | 清水のおば様と嫁さん畠の草引きに来て下さり、私も家の片付けして畠へ出 て草引き。 |
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八月 十九日 | 今日も一日清水さん二人に来て頂き、ヤイト場畠草引き大部分かたづく。 | |||
八月 二十日 | 昼まで二人来て頂き、やうやく前の畠もすまして仕舞ひ出来る。 | |||
八月二十一日 | 子供を恒吉さんのおぱさんにお願ひして、午前中ヤイト場の岸の草刈りをす る。 |
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八月二十二日 | 毎日本当に良く照り読き、植えてあるサツマ芋も南瓜も枯れそうになり、一 日も早く雨が待遠しい。 午後石けん半分配給ある。 |
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八月二十三日 | 長太郎兄様の長女和ちゃんと安民兄様長女滋を連れて広石へ行く。 六時頃家を出て志筑まで歩き、時間には間に合ったが満員の為鮎原線に乗れ ず、都志線に乗り都志より歩く。 いとこの春枝さん宅と都志の季松叔父さんの家へより、春枝さん今月赤ちゃ んが出来るとの事だった。 季松叔父さん、戦争が終って内地に居たからもう家へ帰宅して居た。 道中兵隊さんがたくさん帰って来られて居るのにお会ひし、本当にうらやま しい限り、どうか私宅主人も一日も早く無事で帰って来て欲しいとつくづく 思う。 広石へ一時半頃着く。 弟務も徴用で会杜へ行かされて居たので、戦争が終 りもう家へ帰って来て居た。本当に嬉しくて色々と話す 和ちゃんと滋ちゃん二人は晩の自動車で帰る。 |
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八月二十四日 | 昨日のつかれの為、広石で午前中楽ねする。 午後より帰るこしらへして五時半の広石発に乗り、志筑からは「うば車」を あづけて居たので、煕を乗せて歩いて帰り割り方楽だった。 |
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八月二十五日 | たまって居た洗たくを済ませ、午後より雨降りになる。 待望の雨都合よく夜中にかけてよく降り本当に有難い。 これで芋も南瓜も 良く出来てくれるだらう。 |
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八月二十六日 | 味噌の配給、昨日のが今日になる。小雨模様の天気だった。 桝田のミシンを使わせて頂き、煕のパンツ三枚とシャツ縫う。 |
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八月二十七日 | 煕の服の原型を取り、午後より裁ち縫いかけるが、煕ががさがさはい歩きだ して目はなし出来ない。 |
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八月二十八日 | 昨日よりの煕の服出来上がる。 夕方麦のつぶしを精米所へ取りに行って来 る。 |
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八月二十九日 | そら豆等虫干しをする。 午後役場ヘツル代を支沸って来る。 | |||
八月 三十日 | つぎ当てをする。夕立がして気持ちよかった。 晩に燈籠破りをして浜へ流し送って来る。 |
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八月三十一日 | 午後正三兄様が来られた。裁縫をする。 |
次へ続く
平成16年3月発行
「銃後の妻の戦中日記」より転載 禁無断転載(著作権は平岡弥よい氏に帰属します。)
※(自費出版他発行分NO.129)
copyright by yayoi hiraoka 2004
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