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 「銃後の妻の 戦中日記」

全文掲載

これは著者の平岡弥よいさんがご自身の青春時代であった21〜25才の頃の
銃後の生活の様子及び終戦後のご主人復員の頃までを日記にて書き残したものを元に
平成16年まとめ、自費出版にて発行されたものです。

平岡弥よいさんの許可を得て、ここに全文を転載致します。
著作権は平岡弥よいさんに帰属します。
よってこの記事の無断転載は厳禁です。

昭和二十年(二十三才) 六月               

昭和二十年  六月   一日 桝田の姉さんの家のミシン疎開して来て、今日志筑まで取りに行く。
大阪へ四百機敵機の空襲あり。
 
 六月   二日 雨降りで、今日広石へ行く筈だったが、あまり大きな雨で明日にする。
主人と龍麿さんに便り書く。
 
 六月   三日 朝の仕事を急ぎ片付けて六時家を出発
志筑まで歩き、七時半出発の広石行きに乗る。
広石に着けば八時半頃になる。 家内中喜んで迎へてくれる。
 
 六月   四日 広石の家の留守番をしたり、ゆっくり休んで日を過す。
 
 六月   五日 朝早くより大空襲があり、びっくりして飛び起きる。
神戸方面へ来たらしい様子。
妹田んぼに行き、私留守番をする。 里へ来て久し振りにゆっくり出来て嬉
しい。 友達にも会ってお話し気持ちがなごむ。
 
 六月   六日 朝広石八時半出発の自動車に乗る。 志筑より乗れず歩いて帰る。
妹自転車で荷持(荷物、注)を持って送って来て下さる。
自転車パンクして今日帰れず泊る。
 
 六月   七日 昨夜中より大雨で朝方も残ったが、十時頃どうやら天気になり、十時過ぎ妹
広石へ帰る。 榮姉様朝より野田の親籍へ行き晩に帰って来る。
 
 六月   八日 午前中縫物をし、午後より浜の畠と前の畠の麦を刈り始める。
明日の天気悪いらしく、刈り取った麦をすぐ家の中へ入れる。
今年は不作らしい。
 
 六月   九日 麦刈りの残り、浜と前とヤイト場全部を刈り取り家の中へ入れる。
午前中大空襲があり、荷持(荷物)の用意し逃げる準備しあわてた。
 
 六月   十日  麦扱きをし、一日中かかり製理する。今年は思はぬ不作だった。
 
 六月  十一日 榮姉様子供三人連れて釜口へ行かれる。
小麦を乾す。
興隆寺のおばさんの所から芋のツルを持って来て下さり、午後より浜の畠の
麦刈りした後へ植え三分の一位植えられた。
 
 六月  十二日 いよいよ梅雨の入りだ。早速雨が降る。
昨日植えたツルには本当に良い具合だ。
 
 六月  十三日 朝方榮姉様子供達と釜口から帰って来る。
浜の畠のエンド豆の後へ南京二十本植える。
 
 六月  十四日 煕の大便の衡合が悪いので、かん虫の為かと思ひ、かん虫封じに生穂町の向
月寺へつれて行ってまじなって頂く。
手の平に色々とおがんで、すみでまじなってくれて居ると、其の筆を煕が取
らうとして仕方なかった。
思はずおかしくてふき出す。
 
 六月  十五日 やはり煕の大便が悪くて、気になって仕方がない。
元気なのはいままでと変わりなく上機嫌だ。
煕の夏のロンパースを縫う。
 
 六月  十六日 醤油の配給の日だが、入荷して居らず延期になる。
ロンパースを仕上げ、私のシミーズ古い布で縫う。
 
 六月  十七日 煕に母乳ののまし過ぎかと思い、今日から大分のます分量をへらして見る。
一日も早く良くならし度い。
 
 六月  十八日 前の畠、上ノ瀬、ヤイト場畠に植えてある南瓜に肥をかける。
午後、前の畠へ芋のツル五十本植える。
夕方長太郎兄様来る。
   
 六月  十九日 米の配給を受けて来る。
大豆五日分、高りゃん四割米六割等。
そら豆エンド豆小麦等乾す。
煕の種痘午後一時より役場に行って
それよりすぐに広石に麦扱き手傳ひに行く。
志筑まで歩き四時半出発の広石行線に乗る。
 
 六月  二十日 まだ麦刈りも三分の一程残っており、父と妹が刈りに出る。
煕を連れては外に出られず、家で麦扱きをする。
 
 六月二十一日 今日も一日麦扱きをする。
 
 六月二十三日 今日、弟務が会杜から半月の休暇が出て手傳ひに帰って来る。
昨日岩屋から自動車に乗られず、歩いて佐野の私宅まで来て泊まって、今朝
早く出て志筑から自動車で広石へ九時半頃着く。
 
 六月二十四日 雨降りだったが午後より天気良くなり、務と父と二人で下の家から車で牛屋
肥を運ぶ。
 
 六月二十五日 今日でいよいよお昼までで麦扱き終り、午後より下の家で小麦を扱く。
漸く扱き終って晩になる。
明日佐野へ帰る筈で用意する。
 
 六月二十六日 朝早く起きて帰る準備をする。 赤飯等むしてこしらへ、八時半広石出発の
自動車に乗る。
丁度空襲がかかり志筑で待ひする。 志筑より歩き正午佐野の家に着く。
榮姉さん釜口へ法事に行かれる。
午後二時頃役場で種痘の検査があり行って来る。 一週間前に種痘受けたの
に、どの子供もついてなくて、今日又植えなほしする。
 
 六月二十七日 二、三日前より煕耳が痛がり困って居たら、ますますきつくなり耳の前方が
はれ来たので心配でたまらず、明日医者に見てもらおう。
 
 六月二十八日 朝六時五十分出発の自動車に乗り、洲本の松谷医院で見て頂く。
心配して居た中耳炎のおそれもなく、耳の中に出来ものが出来て其の為だっ
た。
帰りは自動車にとても乗れず、午後三時の志筑行に乗りそれから佐野まで歩
いて帰る。 釜口へ行って居た姉さん晩に帰ってくる。
 
 六月二十九日 小雨模様、芋のツル三百本程植える。
 
 六月  三十日 朝方雨降り、午後より良い天気、裁縫する。


次へ続く

    平成16年3月発行 
    「銃後の妻の戦中日記」より転載  禁無断転載(著作権は平岡弥よい氏に帰属します。)
     ※(自費出版他発行分NO.129)
    copyright by yayoi hiraoka 2004


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