空襲の歌
川上嘉市氏は明治18年、今の浜北市内野で生まれ、戦争当時は日本楽器製造株式会社の社長を務めていた。彼は多彩な趣味を持っていたが、特に絵画、短歌、随想は素晴らしく、その多くは「川上嘉市著作集」(全13巻)に収められている。
激しかった浜松の空襲のようすを40首詠まれているが、そのうちいくつかを紹介しよう。
敵機浜松空襲 昭和20年4月30日
防空壕に客と語らふ折もおり耳やぶれむと音はふるへり
寓物みな破片に帰して地にあり足を踏むさへしばしためらふ
まざまざといくさの跡をおもほゆれ目鼻にぞしむ焦土のくすぼり
百の中四十の町にふリかかる悪魔の爆弾よ赤きほのおよ
焼木きのこ(高町より東を望む) 昭和20年7月14日
うつせみの人のにおひの絶えてなき焼野の町に佇ちて哭けり
打ながめわびしきものか黒焦げ樹々と倉庫とコンクリートの家
焼けあとの曠野ぞわびしこの町の高さ低さもたゞ一と目にて
いたづらに水道の水ほとばしり町の廃墟は犬ころもいぬ
百とせの人のいとなみ一夜さに遠いいにしえの野にかへりけり
焼あとの壕の少女のかなしけれ白百合の花つぼにさしゐて
空襲後(天守閣裏側にて)
竹むらの折れみだれたる烈しさや空襲の夜の轟きをおもふ
掻き集めわづかに作る燃え屑のおのもおのもの小屋ぞかなしき
つどひゐる人のわびしさ焦げ枯れし森の下べの一群の壕」
(天林寺下)
ひたむきに壕まもりゐる町びとに掌合せわれと鞭うつ
|