最近、つくづく「人は一人では生きられぬ」と言うことを思わされる。竹馬の友が自死したと言うことを聞かされたことが、その一因でもあるように思う。彼とは、家が隣同士であった為、中学を卒業するまでは本当によく遊んだものだ。
その後、彼は木工見習いとして上京し、その後は全くと言っていいほど付き合いが無くなってしまった。しかし、風の便りで、一生独身であったことは知っていた。
その上、どういうわけか親しい友も無かったようだ。酒が好きで、毎晩酒浸りの生活で、給料は殆ど飲み代になってしまったらしい。
その彼か62歳で、まさか自ら命を絶ってしまうとは‥・。もし彼に、愛する家族がいたなら、又は、何でも話せる信頼できる友がいたなら、と思わざる得ない。
ずいぶん前であるが、これと似たような新聞記事を読んだ事がある。それは、大阪のある老人が、正月早々、孤独のうちに、やはり自らの命を絶つという悲劇であった。その老人の日記の最後には、「今日も誰も来なかった。今日も誰も来なかった」
と記されていたと言う。周りの人々が、正月を家族団らんで、楽しく憩っている時、或いは、友人同士が晴れやかな気持ちで過ごしている時、その老人は最も深い孤独を感じたのであろう。
よく、「人間は、関係の中で生きる存在であるJと言われるが、その意味ではこ孤独こそ人類最大の敵であると思わされる。
一人では生きられない私たちに対して、聖書に素晴らしい約束がしるされてしる。
「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」 (マタイ28章20節)
「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」 (ヘプル13章5節)
これは主イエス・キリストの約束。更に、このことばは聖書全巻を通し、繰り返し 約束されているものだ。
私達がどのような境遇にあっても、主イエス様が、必ず共にいて下さるというのだ。この事は具体的に、日々信仰を持って歩んでみて、はじめてわかる信仰の奥義でもある。これこそ信仰の恵み、.と実感させられる今日この頃。
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