第四章 男(アダム)と女(エバ)のくい違い
「性」の力はダイナマイトのようで、用い方次第で祝福とも呪いともなり得るものです。その力を何のために使うのかが問われます。自分の欲を満たし守るために自分本位、自己中心に使われるとき、他者にとつては、脅威を振るう破壊兵器となり得るのです。
この神が与えて下さった、すばらしい「性」と、男女の「違い」を蝕んでいるもの、それは自己中心の人間の罪性ゆえではないでしょうか。罪は巧妙に神の造られたすばらしい「違い」に侵入します。その「違い」を受け入れられないように、「違い」により傷つけ合うように仕向けます。自分しかわからない、他人を受け入れられない自己中心性がすべての基準となるためです。
「違い」を受入れ合う方法として、まず一歩、相手を知り生かすために、相手の求めを確認してみましょう。
たとえば女性なら、安心を求めます。それゆえに安心の得られない状況は苦手で、ついつい小言、責め、非難の言葉が飛び出します。
男性の心の必要は何でしょうか。「信頼され、評価され、受け入れられること」と言われます。聖書に「夫に仕えなさい、従いなさい」(エペソ5:22)とあり、元来与えられているリーダーとしての資質を発揮するためには、男性は、いわゆる「立てられる」ことが必要なのです。妻によって非難されたり、見下されたり、弱点をつかれたりしたら、「俺は強いんだぞ」と力(権力、暴力)で反撃に出るか、そんな強いカミさんより、もっと優しく受け入れてくれる人のところに避難したいと、魔が差すこともあるのではないでしょうか。
神の造られた美しい「違い」ですが、相手を理解できない自己中心的な罪の心の故に、不協和音を生み出しているのです。
(続く)
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