海外旅行 スリランカ編 2013年09月
「天空の宮殿シギリヤと湖畔の古都キャンディ GO!GO!スリランカ5日間 Aコース」 LOOK JTB
今回の旅行で最も楽しみにしていた場所の一つ『シギリヤ』。悲しい伝説もありますが、要塞を兼ねた天空の宮殿で芸術鑑賞といきましよう。どんな技術・技法を用いて建築・作成したのでしょうか。この目で確認します。
ところで、「シーギリヤ」とも言うそうですが、ここでは「シギリア」とします。
スリランカ 2日目行程図 今日の行程図です。ポロンナルワのホテルからシギリヤとダンブッラを観光し、キャンディへ移動します。前半はシギリヤ観光。
シギリヤ 2014年09月02日 現地時間8時半頃
孔雀 シギリヤロックへの移動途中に孔雀に合いました。自然公園が点在するので野生動物に出会えます。うまく写真を撮れませんでしたが、野生の象も見ました。
ところで、「シーギリヤ」はかつて『チャータパップトゥ』と呼ばれていたそうです。それがこの地に造られた宮殿に由来する「ライオンののど」のシンハラ語「シンハ ギリヤ」転じて「シギリヤ」と呼ばれるようになったそうです。
外堀 水掘 外堀の水が入っている部分です。ワニがいて落ちた人を食べたということです。たぶん皆さん記載されていると思いますが。
シギリヤロック 遠望 チケットチェックを抜けてついに場内に入ります。シギリヤロックが正面に見えてきました。父王から王位を奪ったカーシャパ王はどのような気持ちでこの宮殿を築いたのでしょうかね。それでは我々が進んだコースをご覧ください。
沐浴場 現在 これは王の沐浴場と呼ばれる場所です。入って左側の沐浴場です。土砂が堆積してこのようになっています。
沐浴場 復元 同じく右側。堆積した土砂を取り除くとこのようになります。ポロンナルワと同様に高度な水利施設があったそうです。この地域は降雨量が少ないため、貴重な雨水を回収し移送する配管があったそうですが、現在はこれも土砂で埋まってしまっています。
貯水場 現在 入って左側の貯水池。こちらも土砂の堆積で草木が生え、ただの窪地のように見えます。
伝承の一つではカーシャパ王子は母親に諭され、王位を諦める代わりに父王ダートゥセーナに宝物を要求したところ、(ここではない)貯水池を示し「これをあげよう」と言われたとか。父王の真意が解らなかった王子は馬鹿にされたと思い、王位を簒奪したとの説があるそうです。父王は「貯水池」という不動産ではなく「水」という宝を渡したかったそうです。後に気が付いて非常に悔やんだそうです。
貯水場 復元 堆積した土砂を取り除くとこのようになります。給水配管にはフィルター機能もあったそうですが、これも失われた技術です。
光る床石 ポロンナルワにもあった貴石を含む石が床材になっています。当時は月明かりなどで光っていたと思われます。幻想的ですね。
噴水跡 高度に発達した水利施設によって噴水の設備もありました。
エレファント・ロック 外観が象のように見えることから「エレファント・ロック」と呼ばれています。そういえば、初日のクルネーガラにも「エレファント・ロック」がありましたね。スリランカは象さんの国です。
空調設備? 巨石に溝が切っています。諸説ありますが、降雨を集めるたものものとか、ここに雨水を溜め気化熱で気温を下げるシステムであったとかと言われているそうです。
城門跡1 このように二つの岩がぶつかり合っている個所は城門と推定されています。この王宮跡に数か所あります。入山口側にあるので大手門と言ったところでしょうか。
僧坊跡 お坊さんが瞑想をしていた場所のようです。本来、壁面には漆喰が塗られ美人画が画いてあったそうですが、僧侶の修行の邪魔になるとのことで剥がされてしまったそうです。
階段 「シギリヤ・レディ」や「ミラー・ウォール」を見るためには、この螺旋階段を登ります。見学者が多かったことと、高所恐怖症の方がいたため、結構渋滞しました。
シギリヤ・レディ 螺旋階段を登りきると、彼女達が待っています。非常に混んでいます。一方通行ではなく、端まで行ったら折り返します。
この壁画のいわれは諸説あると思います。一つは天女アプサラで王は天上に住んでいるとする説で、足が描かれていないことが根拠だそうです。別の説は王妃や侍女で王に使えているとする説で、この場合、身分の高い人が裸で侍女が服を着ているとされています。またシンハラ系だけでなく、アフリカ系やマレー系と想定される女性も描かれています。
あえて写真は載せませんが、ここでは3か所間違い(書き直し)探しができます。ぜひ現地で探してみてください。乳首が3つあったり、腕が3本あったり、指が6本あったりします。これは本当の意味のフレスコ画ではないからです。狭義のフレスコ画は濡れた漆喰に直接描く書き直しのできない技法ですが、ここのは乾いた漆喰に描いたので書き直しが確認できます。ただそうであっても、決して美術的価値を下げるものではありません。
ミラー・ウォール 螺旋階段を登りきると、彼女達が待っています。肉眼では明らかに光を反射して光っていたのですが、写真ではどうでしょう。
途中の階段1 ミラーウォールから続く結構長い階段です。当時はこの壁も光っていたのでしょうか?
途中の階段2-1 さらに進むと、岩肌に張り付けた階段になります。この時間は下り方向が渋滞でした。ここも怖がっている人がいて、なかなか進まないようでした。今後行かれる方は意を決して進んでください(笑)。山側が上りで谷側が下りです。
途中の階段2-2 この写真は降りるときに撮っています。壁面に刻まれた穴や溝は雨水の回収や階段を取り付けるためのものです。回収された雨水は貯水池方向へ集められ、高低差を利用した噴水などに使われたのでしょう。また、5世紀当時の階段は木造です。当時を再現した木造階段であったらどうしましょう。登れますか?
頂上 階段を登りきると頂上です。ここはジャングルの中に忽然とある全く独立した岩山ですので、360度周囲が見渡せます。この山も仏教遺跡の一つで、シギリヤが放棄された際、ここの管理を任された仏僧達の石窟や僧坊があったとされる山です。ハイキングコースになっているそうですよ。
貯水池 頂上にある貯水池です。当時は水が湛えられていたそうですが、どのように水を運んだのかは謎です。風力などによる動力で運んだ説や、人力で運んだ説などがあるそうです。岩自体の高さが約200mですのでどの説をとっても驚愕ですね。ちなみに壁面にある三角の穴は取水口だそうです。ここから下まで繋がっていたそうです。
宮殿跡 煉瓦造りの宮殿跡。各種調査が行われていますが、使用されている煉瓦の数は全く推察できないそうです。使用量はわかりませんが、これだけの量を運ぶには多大なる労力が必要だったと思われます。
階段跡(最高部) 宮殿跡に階段の跡があります。宮殿の階層はわかりませんが、ここから2階へ上って行ったのでしょう。この2段しかない階段がシギリアロックので最も高い場所になります。
最高部 最も高い場所、階段跡からみた景色。標高があることが感じられませんか?向こうに見える山も仏教遺跡の一つだそうです。
庭園俯瞰 ロック頂上から見た庭園。沐浴場やエレファントロックなどを見下ろすことが出来ます。
貯水池2 この貯水池は水が少しあり湧水です。乾期は水が少なくなりますが涸れることがなく、雨季には満水になるそうです。「王のプール」と呼ぶ人もいるそうです。
演舞場跡と玉座跡 ここは演舞場(ダンスホール)跡。夜ごと舞踊が行われていたのでしょうか?中央に見える白っぽい台形の岩は玉座跡。ここに座って王は舞踊を眺めていたことでしょう。
そろそろロック頂上部から降りましょう。
ライオンの入口 実は登るときも降りるときも、ここから出入りします。登るときには某国の観光客がたくさんいたので撮影しませんでした(苦笑)。 5世紀、ここにライオンの顔があり、口から宮殿に入ったらしいのですが、いまは大部分が残っていません。しかしながら立っている人と爪の大きさの比較からその巨大さが想像できると思います。
ライオンの入口 ライオンの口から入ってから、結構登ることがわかると思います。
ライオンの入口 ライオンの入口を上から見ました。煉瓦が綺麗に並んでいます。瓦礫などが全く、真っ平に煉瓦が並んでいるので、ライオンの顔は木造であったのでしょうかね。
兵舎跡 ミラーウォールから続く階段からも見ることが出来ます。ここに兵舎があり、有事の際の兵士が詰めていたそうです。
石落とし 兵舎跡の奥は石落としです。5世紀後半にこの宮殿が建設されたので1500〜1600年間このままだったことになりますね。弟モッガラーナに攻め込まれた際に使われなかったのは、ここまで軍勢が押し寄せた訳ではないということでしょう。
石垣 このシギリヤは5世紀末に完成した都ですが、日本では古墳時代に当たります。このような石造都市を作り上げたことは驚きですね。日本でこのような石の積み方「切り込み接ぎ」が登場したのは15世紀末ですから、技術の高さがうかがえます。
会議場跡 本来は左側の岩と一体であったものを切り離したそうです。上面を綺麗に平らにしていますが、階段側から見て一番奥に玉座があります。もちろん彫り込みで岩と一体化しています。
奥が玉座跡です。綺麗に加工されています。当時、ここではどんな話し合いがあったのでしょうか?
瞑想場跡 会議場跡を進み直ぐにあります。王の瞑想場で脇にある窪みは王のための冷房用の水や、香料を入れていたとのことです。
瞑想場壁画 中央に仏画があります。いたずら書きのようですが、当時の絵の輪郭をなぞっています。
城門跡2 裏側になるので日本の城郭に当てはめると搦手門になるでしょうか。
コブラの岩 コブラの姿に見えることから、コブラ岩と呼ばれています。本来は岩を削って別の何かを造ろうとしたのですが、ある部分の強度が保てず崩れて(折れて)しまい、このような形になったということです。
コブラの岩の残骸 上記説を裏付ける証拠がこの岩。コブラでいうと顎の部分から落ちてきたと推察しています。もし、コブラを造ろうとしたのならば、この残骸は片づけるはずですが、残っていることから何か別のものを造ろうとしていたと思われるのです。
コブラの岩の色彩 コブラ岩の周りの壁に彩色が一部残っています。宮殿が機能していた時は殆ど全ての壁は、絵画で彩られていたのでしょう。
野良犬 スリランカという国自体、野良犬は多いようです。車で移動する際、あちらこちらで見かけたと思います。ここにも多数住みついているらしく、子犬が後を付いてきます。大変かわいいのですが、狂犬病を保有している可能性があるので注意してください。
シギリヤロック 裏側? 史跡を一通り見学しました。滞在時間はおおよそ2時間半位でしょうか。名残惜しいのですが、そろそろダンブッラに移動しなくてはなりません。さようなら。