海外旅行 スリランカ編 2013年09月
「天空の宮殿シギリヤと湖畔の古都キャンディ GO!GO!スリランカ5日間 Aコース」 LOOK JTB
インド洋の真珠「スリランカ」。このように比喩される国で親日国と聞いていますが、正直あまり詳しいこことは知りません。我が家では何故か最近テレビでよく目にするようになり、急に興味が湧いてきました。ちょっと前、TOKIOのメンバーがジャングルにある岩の上ビールを飲むCMがありましたが、その設定がスリランカのシーギリヤ遺跡だと知っていますか?
さぁ、紅茶と象と宝石の国へ。
成田空港 2014年08月31日 日本時間12時頃
ワンワールド アライアンス空港ラウンジ 成田空港ではスリランカ航空独自のラウンジはありませんが、ワンワールド アライアンスのラウンジが利用できます。今回の航空券はエコノミーで本来ラウンジは使用できないのですが、ツアーの中に利用券が入っていたので見学しました。アルコール類の充実にびっくり。軽くビールを飲みました(^^)。
スリランカ 初日行程図 今日の行程図です。ニゴンボからポロンナルワに行きます。
ニゴンボ 2014年09月01日 現地時間6時半頃
インド洋と漁船 バンダラナイケ国際空港(コロンボ空港)到着後、ニゴンボのホテルに移動しました。到着時は暗かったのでわかりませんでしたが、ホテルの前は海でした。アウトリガーのヨットのような船は漁船。結構な数でしたよ。現地時間の6時半位。ついに来たぞ、インド洋。
突然の雨 ぶらぶらしていたら突然の大雨。雨粒がデカいです。急に降ってきたので地元の人も緊急避難です。
クルネーガラ 2014年09月01日 現地時間9時半頃
クルネーガラ貯水池 かつては約50年間、王朝の首都だった街。休憩で立ち寄りました。交通の要衝で交通量が大変多いです。実はスリランカは今、内戦終了によって各地で道路工事が行われています。そのため、ダンブッラ方面も工事による交通渋滞が発生しているため、情報取集の時間です。今後スリランカに行かれる方は道路事情によって移動時間が大幅に伸びる可能性を理解しておいてください(H26.9現在)。
枝の中に鷺がいます。わかりますか?
エレファント・ロック 岩山に巨大な仏像が鎮座いたします。この岩山の頂上に昔王朝の宮殿があったそうです。
ポロンナルワ 2014年09月01日 現地時間14時頃
パラクラム湖 パラクラム王が建設した灌漑と防衛用の巨大湖。人造湖とは思えないくらいデカいです。
シヴァ・デーワーラヤ 仏教遺跡の中にあるヒンドゥー寺院。当時の王家にヒンドゥー教の王妃がいたためだとか。寺院内部中央に「リンガ」あることから、主神が「シヴァ神」であることがわかります。
トゥーパーラーマ 外観はヒンドゥー教風ですが、内部は仏教風。これは戦乱時、ヒンドゥー教徒の襲撃をかわすため外観をそのようにしました。しかしながら、ばれてしまったようで結局攻撃を受けてしまったようです。
トゥーパーラーマ内部 写真ではわかり難いと思いますが、仏像がキラキラしています。微細な宝石の原石が混入しています。首がありませんが、これはヒンドゥー教徒の襲撃時に落とされたそうです。目に蒼玉(サファイア)を使っていたため略奪にあいました。このようなことを防ぐため、外観を変えているのです。
菩提樹跡 ここに菩提樹があったそうです。今は柵だけが残っています。
ラター・マンダパヤ:僧院 蓮の茎を模した柱が残った僧院。当時の建築様式では柱以外の屋根や壁は木造なので、時間とともに朽ち果てて、石柱のみ残ったのです。カンボジアやタイの遺跡と同じですね。
寝仏跡 煉瓦の山と石柱しか残っていませんが、これは寝仏の跡。左側が頭部になるそうです。
ビジャヤバフ王の石版 ビジャヤバフ王はタミル系の王朝をインドに追放した王。この碑文は王様の宣言が書かれているそうです。
アタダーゲ 仏歯寺跡。アタダーゲとは諸説ありますが。アタ:8、ダーゲ:建てた家。つまり「8日でできた寺」。某ガイドブックでは「8つの遺宝の家」となってますが。
ヘァタダーゲ これも仏歯寺跡。こちらも諸説ありますが。ヘァタは60。つまり「60日で建てた寺」。ニシャンカマレ王によって建立されたそうです。
ちなみに後姿の白い服の方は我々のガイドさん「Sajith(サジー)さん」。スリランカ観光ガイドの最高クラスライセンスを持っている方の一人で、博学の緒方直人に似たいい男です。この方のガイドで楽しいスリランカでした。
ヘァタダーゲ内部 この寺は実は二階建てで内部に階段があります。基本的に寺遺跡院内部は土足禁止です。屋根が無い場所の石床は太陽熱で灼熱になるので、足の裏の火傷に注意してください。靴下はOKです。
ワタダーゲ 本遺跡で最も目立つ大きな円形状の寺院跡。ワタは円という意味ですので、「丸いお寺」。
ワタダーゲ内部 中央に仏舎利塔を置き、東西南北にそれぞれ仏像が配置されています。トゥーパーラーマと同様に貴石を含む石材で造られていたそうです。ただ後年、屋根が落ちた時壊れてしまいました。色が白い部分が当時の石材です。
ワタダーゲ ムーンストーン 寺院の入り口には結界を表す「ムーンストーン」。通常のムーンストーンは象・馬・ライオン・牛が描かれていますが、ここのは牛がありません。ある王妃がヒンドゥー教徒で、神聖としている牛を踏むことを嫌がったため、外したそうです。
ワタダーゲ入口 ムーンストーンから外れた「牛」は地面から離れることができました。しかし、シンハラ人を象徴するライオンはより大きくなりました。ライオンの上には想像の動物。何処にあるかわかりますか?
ガルポタ 別名「石の本」。ニシャンカマレ王によって造られました。この1枚岩をミヒンタレーという場所から運ばれたそうですが、運んできた方法が今も不明だそうです。象で運ぶには行程が険しすぎるそうです。そのため、王の巨神親衛隊が担いで運んだとの伝説があるそうです。
サトゥンマハルサラドゥヤ 別名「7階の寺」。宝物が隠されていたとの伝承があります。穴?窓?は多数ありますが、階段は一か所しかなく、出入りを監視していたそうです。警戒対象は主として宝物を狙うヒンドゥー教だったそうです。
城門跡 城門の跡です。南の国は日差しが強いので、太陽の位置をちゃんと考えないと、このように逆光の暗い画像になってしまいます。
ヴィシュヌ神殿 仏教遺跡の中にあるヒンドゥー寺院。城門跡から続く小道にひっそりとあります。スリランカではヴィシュヌ神は仏教の守護神とされています。だから、ヴィシュヌ神はペラヘラ祭りにも参加しています。
ガネーシャ神殿 仏教遺跡の中にあるヒンドゥー寺院。ガネーシャは日本では歓喜天と呼ばれます。シヴァ神の息子で商売と学問の神。
市場跡 城門跡から続く小道沿いにヴィシュヌ神殿やガネーシャ神殿がひっそりとありますが、そこは市場街でもありました。面積からすると相当の規模であり、多数の人々が往来していたと想像します。煉瓦で囲われた部分が店舗になるそうです。
僧坊跡 多数のお坊さんが生活していたのでしょう。
沐浴場跡 現在は干上がっていますが、当時は水を湛えていたのでしょう。通常は桶か何かで水をすくい浴びていたそうですが、水位が下がると直接浸かったそうです。この沐浴場を含め、高度な水利施設があったそうですが、今日では全て失われてしまっています。現在でも解明・再現できないそうです。
会議場跡 ここでは国王出席のもと会議が行われていたそうです。
ランカーティカ この遺跡群の中で最も大きな寺院跡。一部修復工事をしていましたが、外壁面に精密なレリーフがほどこされております。
ランカーティカ 立仏 長きの雨風で頭部と漆喰部分が取れてしまったのは残念ですが、創建当時はさぞかし素晴らしい寺院だったことでしょう。
ランカーティカ 壁画 立仏を前にして右側の通路天井には壁画が残っています。当時は壁面は漆喰に覆われ、極彩色の壁画に覆われていたそうですが、大部分は剥落しここだけが残っているそうです。
仏舎利塔 スミマセン。ガイドさんの説明を聞き漏らしました。名称や由来はわかりません。
キリヴィハーラ 「牛乳」という名の仏舎利塔。日に当たると眩しいくらいの白です。
トイレ跡 トイレの跡です。簡易水洗のようなシステムがあったそうです。囲いの内部には水が湛えられ、一段高くなった場所に便器があったそうです。その奥が肥溜めっだったそうな・・・。
貯水池跡 貯水池の跡です。乾期は当然干上がりますが、今年は特に雨が少ないそうです。
ガルヴィハーラ 残念ですが、中央の石窟は改修工事中で見ることが出来ませんでした(2014年9月現在)。この遺跡の周りにある砂地も土足禁止です。靴下を忘れずに。
ガルヴィハーラ 座仏 穏やかなご尊顔です。仏像の後光は日本のものとは異なっているようです。
ガルヴィハーラ 立像と涅槃仏 立像は諸説あるそうですが、蓮の台座があるため仏陀ではないかと思われます。ここにある三仏はなぜが心休まる雰囲気があり、気温が高いにも関わらず、暫し見つめてしまいました。
ガルヴィハーラ 涅槃仏 涅槃仏と寝仏の違が数か所あるそうです。、わかりやすいのは足。涅槃仏は足が前後にずれています。そして右手。涅槃物は掌が見えています。だからこの仏像は涅槃仏です。
今日の遺跡めぐりはここで終わり。この後ホテルに移動しますが、途中「アーユルベーダ」を体験しました。明日はシギリヤロックに登るため、いい休養になりました。