海外旅行 ベトナム編(2) 2012年05月
「ベトナム中部世界遺産とアジアリゾートに泊まる6日間 パターン2」 ANAハローツアー
ミーソンは4世紀末にチャンパ王によって祠堂が建てられたのが始まりと言われています。当時王都があったとされるダナン近郊から考えると、険しい山中にあり外部の侵入を拒みたかったと推察できます。 ちなみに、ベトナム中部はインドシナ半島西側(ベンガル湾)からの風がラオスとの国境付近にある山脈でフェーン現象を起し、異常に暑くなります。旅行中の体力を考えると、早起きをして涼しいうちの観光をお勧めします。
ミーソン 2012年05月04日
ミーソン聖域 ここはチャンパ王国の聖地とされています。チャンパ王国はチャム人の統一国家ではなく、都市国家の連合王国のようなものとされています。チャム人はシヴァ神を主神とするヒンドゥー教を信仰していました。
石と煉瓦で寝殿や祠堂を建造しています。その煉瓦ですが、煉瓦と煉瓦の接合部分に漆喰などの接着剤を使用せずに十分な強度を持たせています。どのような技術で接合したのか今日でも謎の一つです。また煉瓦はこの地の土ではできておらず産地が不明です。
煉瓦の彫刻がほぼ完全に残っています。チャンパ王国は「海のシルクロード」の中継地点の一つとして栄え、その交易を通してインド文化の影響を強く受けたとされています。建築当時、金で覆われていた祠堂もあったといわれています。
チャンパ王国は隣国、大越(ベトナム)やアンコール朝(カンボジア)と抗争を繰り返し、また、元朝(モンゴル)も遠征軍を送り込んできました。ただ、やられっぱなしではなく、例えば12世紀にはアンコール王都を占領しています。アンコール・トムのバイヨンにはチャンパとの戦いが回廊に浮彫として残されております。
風化や人的破壊によって遺跡自体が自然に帰りつつあります。現在60〜70棟の祠堂跡が確認できるそうです。そのうち数世紀にわたり25棟程度が残っていました。しかしベトナム戦争で戦地となり、20棟がかろうじて残りました。
ミーソン聖域 画像では見難いかもしれませが、窪地がわかるでしょうか。これはベトナム戦争時米軍の爆撃で開いたクレーターです。この辺りはベトコンが潜んでいると徹底的な爆撃が加えられたそうです。その煽りを食らい遺跡も大部分が破壊されてしまいました。爆撃で破壊されなかった遺跡も、米軍の工兵隊がヘリで来て直接爆破したそうです。
ホイアン 2012年05月04日
宿泊したホテル 今回のツアーではリゾートホテルと呼ばれるホテルに宿泊できました。このホテルはフランス人ばかり目につきました。ベトナムがフランスの植民地だったせいでしょう。日本語の雑誌がありましたが、スタッフに日本語はほとんど通じません(苦笑)。ガイドさんありがとう。
食事は海やプールを見ながらとることができます。ただ我々は慣れないものですから、このような場所での時間の過ごし方がわからず、今思うともったいないですね。ビーチでカクテルでも飲めばよかったかなと若干後悔。
ホテルの前の海です。プライベートビーチになっています。
かつてホイアンではこのような竹で編んだ巨大な「ざる」を船の代わりにしていました。牛の糞で防水加工をしていたそうです。残念ながら今回の旅では現役のザル船は見かけませんでした。