海外旅行 ベトナム編(2) 2012年05月
「ベトナム中部世界遺産とアジアリゾートに泊まる6日間 パターン2」 ANAハローツアー
フエは阮(グエン)朝の都が置かれた街です。阮朝は嘉降(ザーロン)帝が1802年に建国したベトナム最後の王朝で、1945年に保大(バオ・ダイ)帝の退位で消滅しましたが、宮殿・寺社・陵墓があり歴史的建築物が多数残っています。 ただ、ベトナム戦争の激戦地の一つであるため、相当な被害を受けたことも事実です。
フエ 2012年05月03日
午門 この門は入り口は5か所あり、かつて中央が皇帝でその両隣が武官と文官。そして、さらにその外側が庶民だそうです。中央は現在も使用できませんが、左側が外国人で右側がベトナム人だそうです(笑)。
午門に登って見ました。中央に見える入り口が庶民用の出入り口だそうです。現在はチケット売り場となっていました。
大和殿 北京のものに比べると規模は小さいです。ベトナム戦争時に破壊され、1970年に再建されたものです。内部は撮影禁止のため画像はありませんが、玉座や創建当時の柱等があります。
閲是堂 皇族が宮廷舞踊を楽しんだ建物を再建しました。1日に数回宮廷音楽の演奏があるそうです。今回は残念ながら、見学することはできませんでしたが、練習を見ることができました。
紫禁城跡 大和殿の北側はかつて宮殿群がありましたが、ご覧の通り戦争で破壊されてしまいました。
天姥(ティエンムー)寺 トイレが汚かったです。特に女子トイレ。この国でトイレットペーパー類は持参必須ですが、同時に入った欧米人は紙を持ってきておらず、我々から貰う始末。先に使用していた人たちが汚したのかも。そんなことが嫌な方はここに来る前に済ましておくか、次の場所まで我慢した方がよいでしょう。ちなみにガイドブックの通り、使用した紙は便器に流せません。
香(フォン)川遊覧 ティエンムー寺の真ん前から遊覧船に乗りました。遊覧船の後部は住居部になっていて船上に住んでいるようです。我々の乗った船にはハンモックに赤ちゃんが寝ていました。
嗣徳(トゥドゥック)帝廟 嗣徳帝は阮朝4代皇帝。在位期間が最も長い皇帝で、104人の妃と多数の妾がいたそうです。また、フランスとの関係を悪化させ、植民地化の遠因を作ってしまいました。
皇帝を補佐する文官や武官を模した石像です。嗣徳帝は小柄であったため、皇帝を慮り石像は小さめに造られています。約150cm位でしょうか。
皇帝廟は石碑に後継者(主として子供)が先帝の業績などを刻み、その石碑を覆う石殿があります。そしてその両側に塔を配置しますが、これは蝋燭で廟を照らすという意味があるそうです。ところで、嗣徳帝には子供がいなかったため、碑文は帝自ら起草しました。
通常ならばこの中央の祠の下に嗣徳帝が眠っていることになりますが、実際には違う場所に埋葬されています。葬儀にかかわった従者約200人が皆殺されているため、不明となっています。これは廟を守る子孫がいないため、盗掘を恐れたことによるものと説明を受けました。
啓定(カイディン)帝廟 啓定帝は阮朝12代皇帝。フランスの植民地化が進んだ時代です。当時は複雑な政治状況があったと思いますが、親仏傾向が強い帝であったそうです。
建築様式はフランス色の強いベトナム風だそうです。コンクリートを用い建築されています。
内部の装飾は中国や日本の陶磁器やガラス瓶など惜しげもなく利用し、モザイクを作っています。四季を表した植物のモザイクがあり、春が主として日本のビール瓶を利用した「梅」の木があります。
鍍金で覆われた像の18m下に啓定帝は眠っています。啓定帝在位中から建設が開始され、完成まで12年(帝の死後6年後)かかりました。国内が混乱の極みの中、無駄に豪華な装飾ですね。 ここの見学の後、陸路宿泊地のホイアンに向かいます。
国道1号線 ハノイからホーチミンへ続く国道1号線。その天下の往来で収穫したコメを干していました。当たり前のように道路を占拠しているので、不思議な感じがしました。ちなみに、この地方ではコメは年に3〜4回収穫できるそうです。
雲海(ハイヴァン)峠は通らず、日本の援助でできたトンネルの方を通りました。