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『広報ぬまづ 終戦の日特集号 平成元年8月1日』 |
編集・発行 沼津市企画部広報広聴課
発行年 平成元年8月1日
非売品 |
内容
平和への決意新たに
−『核兵器廃絶平和都市宣言』推進のために−
沼津市は、昭和62年3月、「核兵器廃絶平和都市宣言」(別記)を行いました。これは、私たち沼津市民の核兵器廃絶と平和都市建設への意思を表明したものです。
長かった昭和の時代が終わり、平成となって初めての「終戦の日」を迎えるに当たり、終戦前後のことを振り返ってみたいと思います。
この特集をきっかけに、市民がそれぞれの立場で過去の歴史を見つめ直し、今日の平和の大切さについて、改めて認識を深めることを期待するものです。
「広報ぬまづ 平成元年8月1日 終戦の日特集号」の前書きより転載。 |
わたしの戦争体験 |
子どもたちと共に |
遠藤武雄さん |
青春を看護に捧げて |
山橋美代子さん |
山西慕情 |
高島桃一さん |
感激の宮中参内 |
金指好枝さん |
後世に伝える |
鈴川憲二さん |
兄の葬儀と玉音放送 |
青木セツ枝さん |
私の感想
6人の方の戦争体験記です。それぞれの立場から見た太平洋戦争体験記です。
その中でも印象的だったのは、青木セツ枝さんの体験記でした。お兄さんがグアム島で戦死されたとの公報があったのが、昭和20年7月ごろで、その葬儀が8月15日でした。お兄さんの葬儀が終えられた後、天皇陛下の終戦玉音放送があったとのことですが、ご家族の心中やいかにと思います。本当につらい日々だった思います。青木さんの言葉「これですべてが終わったと感じました」が物語っています。 |
沼津市 『核兵器廃絶平和都市宣言』
核戦争の悲劇を繰り返すことなく世界の恒久平和を築くことは人類共通の願いです。
しかしながら、核兵器競争は依然としてやまず核戦争の危機はなくなっておりません。
美しい地球、そして平和な生活を子々孫々まで守りぬくことは私たちの責務と思います。
私たちは、真の平和の実現を求めて努力することを決意するとともに、沼津市を「核兵器廃絶平和都市」とすることを宣言致します。
昭和62年3月20日 沼津市 |