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北部ルソン島鉄兵団岡山工兵第十連隊の記録

(我が父は何処に眠る)

藤井 弘道

全文掲載


これは藤井さんが昭和20年8月に北部ルソン島で戦死されたお父上の消息を調査し、
平成12年8月自費にてまとめたものです。
藤井さんよりのコメントです。
『この記録は、平成12年に私が取り纏めた「我が父は何処に眠る」(参考資料8)
についてHP用に一部修正したものである。』
 『その際、写真1枚と北部ルソン島のカラー地図1葉は削除した。』
        
藤井弘道さんの許可を得て、ここに全文を転載致します。
著作権は藤井弘道さんに帰属します。
よってこの記事の無断転載は厳禁です。

資料 2

第十師団(鉄兵団)岡山工兵第十連隊第一中隊の野闘経緯

 参考資料4)田名後少尉記述の地図より 原文通り−

12月21日   マニラ上陸
 
12月26日 バルガオ着 陣地構築に着手すると共に正月準備
 
1月5日 敵船団200隻が北上中の情報
 
1月6/7日 米軍艦砲射撃
 
1月8日 米軍リンガエン北サンフェルナンド上陸開始 やむなくバルガオ放棄、バレテ峠に急行
 
3月中旬〜4月19 歩101/3、幅10 玉砕妙高山布陣
 
4月中旬 鉄兵団司令部 天王山から要山に移動
(4月17日山下大将 バギオからバンバンヘ)
 
4月20日 妙高山死守せよと下命(工10・1中孫山に進出)
 
4月29日 バレテ峠左陣地米軍突入 奮回不成功
 
5月4日 バレテ右陣地米軍突入
 
5月8日 親山〜妙高山突破され遂にバレテ峠に進出さる
  工兵1中は孫山守備(死守)のため5月10日まで残存 
  歩兵39と交代 要山に向かい途中ゲリラ山に残る
 
5月24日 米軍サラクサク峠突破
 
6月1日 バレテ峠完全陥落(敵はサンタフェに殺到す)
 
6月2日 鉄兵団は方面軍との連絡途絶、カシブに転進
 
6月13日 師団最後尾の護衛の任務をもってゲリラ山発ママヤンに行く
 
7月1日 芋山〜ママヤンを経て1日イイヨ着 友軍の死体とジャングルばかり
 
7月3日 ビノン付近に着 川ガニ、ニーナ貝などで食をつないだ 民家などあったが友軍の死体ばかり  谷間で高畑籾を発見す
 
7月11日 民家付近に敵発見、江口追撃砲で応戦す
 
7月12日 ビノン出発カシブに向かふ
 
8月15日 カシブ平野に着く 連隊本部と連絡がとれコンコン平野に転進、2,3の民家あれど何もない  そこで萩野、畑田死去 飛行機が民家すれすれに飛来す 落下傘ニュースを散らす コンコン平野とカシブ間で武信准尉死去
 
月24日 コンコン峠に敵ゲリラ隊来たり高畑、江口発見
 
月25日 コンコン平野出発 川は増水藤井兵長死す
 
8月26日 敵は攻撃にでる 三軒家の高台より応戦 (カシブ付近)
カシブを出発 ピナパガンに向かって誘死のジャングル死の転進始まる 榊原兵長自決す
 
8月30日 ピナパガン手前無名部落に着く コーモリ、砂糖木で命をつなぐ 沖兵長死亡
 
9月2日 バランガク着 トウモロコシ、南瓜、トマト、バナナなどが有り不足なのは食塩だけで、久し  ぶりの舌鼓をした
 
9月7日 尚武集団命令(山下方面軍の使用より)戦闘行為停止セントス
各員即時戦闘を中止し、先任、古参者を長とし最寄りの米国軍に連絡其の指示を受け行動すべし との命を受けた
 
9月17日 ジョネで武装解除受けるため午前5時バングラン(?)を出発
 
9月22日 将校、下士官とが分離されトラックに分乗され、そこから先は一切不明
 
PW行
決別バレテ峠
バヨンボン、サラ、バレテの連峯が見えた 1月から6月まで血戦死闘が展開されたのに,今は唯静かに連峯が立ち並んで居るだけ夕暮れ迫るバレテの連峯鉄兵団の将兵数知れずの命を奪ったバレテ峠を後にする


   平成12年8月 発行 
    「北部ルソン島鉄兵団岡山工兵第十連隊の記録」 藤井弘道著より転載

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