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北部ルソン島鉄兵団岡山工兵第十連隊の記録

(我が父は何処に眠る)

藤井 弘道

全文掲載


これは藤井さんが昭和20年8月に北部ルソン島で戦死されたお父上の消息を調査し、
平成12年8月自費にてまとめたものです。
藤井さんよりのコメントです。
『この記録は、平成12年に私が取り纏めた「我が父は何処に眠る」(参考資料8)
についてHP用に一部修正したものである。』
 『その際、写真1枚と北部ルソン島のカラー地図1葉は削除した。』
        
藤井弘道さんの許可を得て、ここに全文を転載致します。
著作権は藤井弘道さんに帰属します。
よってこの記事の無断転載は厳禁です。

参考1,2

参考 1 岡山工兵連隊司令部の動向

―バレテ慰霊碑建立記念誌への杉藤連隊長の寄稿文(江口雄三氏保管)より−

1月15日   バレテ峠集結
 
5月7−23日 天王山、朝日山の線に陣地の占領を命ぜらる 熾烈な戦闘
 
5月24−31日 大和川方面竜山―四王山の新陣地に転進 師団主力の転進援護
当時連隊は40−50名か
 
7月10−8月15日 カシブで自活 コンコン−カシブで戦闘あり
 
8月15日

師団は三軒屋経由ピナパガン方面に転進する決定 工兵連隊はその護衛として行動、10iの通過した後を転進

 
8月23日 工兵連隊はピナパガンに集結 終戦を承知
 
9月17日

ヨネスで米軍の武装解除を受く 9月20日エチアゲで部隊解除カンルバンの捕虜収容所に抑留

    

参考 2 歩兵十連隊などの動向      

1.歩兵第十連隊(10i)第一、第二大隊の敗走 5)

3月中〜5月上旬  

バレテ峠戦闘、 3月中旬バレテ峠前衛ブンカン陣地 
(サンホセ〜サンタフェの中間)で激闘第二大隊全滅

 
6月6日 バレテ峠よりカシブ河谷へ向けて転進命令
 
6月7〜27日 鈴ケ峠・鈴ケ谷に連隊集結の後、アルワット河谷(マガット河上流)  (食料一部発見)から6月中旬にママヤンに入る。食料発見、一週間滞在、連隊  旗と松尾少佐着、その後師団長も通過
 
6月28日   ビノン(食料ナシ)を経てブア着
 
7月8日 カシブ着、 7月10日カシブ発イゴロット村経由 7月16日カガ  ヤン架橋、アダラム川横断して7月22日芋山着、25日同所発
 
7月28日 カガヤン河畔ディビンテン着、食料あり一ヶ月滞在し、ビナバガン経  由バランガクに入る 8月中旬に連隊長着、敗戦を知る 転進当初の1,00  0人が150人になった
 
9月3日 トウパス
 
9月17日 ジョネスにて武装解除

 

2.第四野戦病院の転戦 1)

20年5月7日   第4野戦病院陣地放棄、転進命令
 
同5月27日 サンタフェ、アリタオ、ビイテ経由コモンにて野戦病院開設
 
同6月8日 川を泳ぎ渡って、サンフランシスコに向かって退却。
 
同6月17日 ビノン渓谷着      その後は1の10iと同様


   平成12年8月 発行 
    「北部ルソン島鉄兵団岡山工兵第十連隊の記録」 藤井弘道著より転載

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