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「北部ルソン島鉄兵団岡山工兵第十連隊の記録」 (我が父は何処に眠る) 藤井 弘道著全文掲載 |
これは藤井さんが昭和20年8月に北部ルソン島で戦死されたお父上の消息を調査し、 平成12年8月自費にてまとめたものです。 |
藤井さんよりのコメントです。 『この記録は、平成12年に私が取り纏めた「我が父は何処に眠る」(参考資料8) についてHP用に一部修正したものである。』 『その際、写真1枚と北部ルソン島のカラー地図1葉は削除した。』 |
資料 1
第十師団の組織
1. 昭和19年11月編成された、第十四方面軍(司令官:山下奉文大将 参謀長:武藤章中将)は、南方軍の傘下にて、35軍、41軍、方面軍直轄部隊がある。
ルソン島には次のような直轄部隊を配置した。
(注)D:師団、i:歩兵連隊、TK:戦車隊、T:軽重隊
「尚武集団」:ルソン島北部
153,000人(終戦時 55,000人)
10D(鉄兵団)、102D、19D(虎兵団)、23D(旭兵団、満州ノモンハンから)、105D(勤)、103D(駿)、第四飛行D(翼)、独立混第58旅団(盟)、1TKD(撃、満州から)、その他(十四方面軍直轄兵糧部隊、独立守備隊)
「振武集団」:中南部ルソン、81R・82R/105D 105,000人(同12,500人)
「建武集団」:ルソン島クラーク西方拠点 39i/10D 30,000人(同1,300人)
この他、レイテ作戦として 垣16D、玉1D、泉26D、豹12D、量66B、抜isがある。
昭和15年より満州国三江省佳木斯(チャムス)に駐屯、東満警備
昭和19年2月同師団第三大隊サイパン、ヤップへ
昭和19年7月主力下関経由台湾守備へ
同年12月ルソン島へ渡り、 サンホセ駐
昭和20年4月バレテ峠で死闘、6月よりカガヤン河密林に退却
[注].南方軍、14方面軍(山下奉文司令長官、昭和19年11月編成)に第十師団10Dを編入(11月)、10Dは当初レイテに向かう予定が、ミンドロ島に米軍上陸(12月中旬)のため、急遽ルソンに転戦となったもの。 |
「工兵第十連隊」
昭和19年8月上旬 チャムス発鉄路ハルピン経由釜山港へ
8月16日 鹿児島港発「江戸川丸」にて
8月23日 台湾基隆港入港 台中州豊原小学校に駐屯
11月10日 比島へ転進命令 最後の記念写真撮影(14ページ)
(この後の動向については、資料2、資料3参照)
3.十師団の構成
定 員:21,727人 (終戦時 3,001人)
師団長:岡本保之中将 21H
参謀長:土屋 栄大佐 31H 40陸大
(師団直)指令部:鉄5410、 通信隊:鉄5453、兵器勤務隊:鉄5455その他
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☆ | ◎ | 歩兵第10連隊 (岡山誠夫大佐) 鉄 5448 岡山 | ||
◎ | 歩兵第63連隊 (林暇一大佐) 鉄 5447 松江島根 | |||
◎ | 歩兵第39連隊 (永吉実展大佐) 鉄 5446 姫路 | |||
☆ | 独立速射砲第21中隊 (小林基樹中尉) | |||
☆ | 捜査第10連隊 (鈴木重忠少佐) 鉄 5450 堺 | |||
☆ | 野砲兵第十連隊 (多勢清作少佐) 鉄 5450 信太山 | |||
☆ | 工兵第10連隊 (杉藤民信少佐) 鉄 5452 広島 | |||
☆ | 軽重兵第10連隊 (鍋島秀比古少佐) 鉄 5454 堺 | |||
☆ | 第1、2、4野戦病院部隊 (鉄 5457、5458、5460) |
(備考)
1.工兵第十連隊(612名 終戦時67名)
第一中隊(田中清中尉 桂木斯出発時点275名)
第三中隊
(第二中隊は比島ではバターン半島、39i配下)
2.歩兵第十連隊(3,248名 終戦時272名)
第一大隊(立川潤吉大尉―少佐)、第二大隊(内藤正治大尉―少佐)
第三大隊(森岡安太大尉―田村英雄少佐)
その他通信大隊、作業中隊、速射砲中隊、独立速射砲中隊がある。
平成12年8月 発行
「北部ルソン島鉄兵団岡山工兵第十連隊の記録」 藤井弘道著より転載
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