'03.11.05 更新
これで委員会!?とは何ぞや?
〜「なんじゃい、それは?」と思っているほとんどの皆様に送る、懐古のページ 〜
その昔、村井は、社会人熱に浮かされた勢い(^^;)で、「社会人野球地位向上委員会」と言うサークルを作りました。その時の会報の名前が「これで委員会!?」なのです。
まずは村井が、社会人熱に浮かされてサークルを発足するまでのいきさつを語らせてもらいます。
もともと野球好きだった私は、某プロチームのファンとして知り合った方が、'91年頃、社会人の東海地区のあるチームのファンになり、その方からいろいろと話を聞いているうちに、「ゼヒともナマで見てみたい!」という欲求が高まり、'92年、静岡大会を観に、浜松球場へ出かけました。
もちろん、対戦なんて関係ありませんでした。観られればよかったからです。しかし、この何気ない行動が大きく運命を変えていったのでした(大げさな・・・)。
球場では『NTT東京(以下、東京) VS NTT信越(以下、信越)』の準々決勝が行われてました。何気な〜く1塁側(NTT信越側)に座り観戦を始めました。
確か、その時点では東京が勝っていたんですが、信越が徐々に点差を詰めていき、8回だったかに、当時副主将だった土居さんが逆転ホームランを放って信越が勝利を収め・・・。歓喜と満足で球場を後にする頃には、すっかり社会人に嵌っている私がいました(^^;)。
で、さらに、その日、社会人の知り合いの方から送られてきた手紙の中に、なんと、信越のチームパンフのコピーが入ってまして、「これは天啓なのね」と悟りを開き(爆笑)、私の社会人野球人生が始まりました。
さて、始まったはいいものの、社会人野球という世界は情報が非常に少なかったんですな、これが。あったのは、僅かに「週刊ベースボール(以下、週ベ)」に見開き2ページだけでした。あの当時は今のようにネットが普及していなかったのでねぇ。自分で行動を起こさないとどうにもならなかったんですよ。
しかし、田舎に住んでましたから、OP戦一つ見に行くにしても、もう大変で(^^;)。「これじゃ、埒が明かん!!」と思った私は、「じゃあ、仲間を募ればもっとスムーズに情報が入手できるんじゃないか?」と思い、'93年5、6月頃、「週ベ」誌上にて「サークル募集」(だったかなぁ?)の投稿をしました。
してはみたものの、ホントに載せてもらえるとは正直思っていませんでした。それに、載ったとしても、問い合わせなんてないんじゃないかとも思っていました。が、予想に反し、投稿してしばらく経ったある日、「週ベ」の編集者の方から本人確認の電話が来てめでたく(?!)数週間後に掲載の運びとなり、さらに掲載から一週間くらい経った頃から次々に問い合わせの手紙が来まして・・・、最終的には20数名が初回の会員さんとなり、サークルをスタートさせました。
前出の様な結構消極的なことを考えていたわりには、投稿前からサークル名を考えていた私(^^;)。
とにかく、仰々しい名前がいい&若干の本心を込めて「社会人野球地位向上委員会」と名付けました。さらに、情報交換の場として「会報」があったほうがいいだろう、ということで、「これで委員会!?」という名の会報をほぼ毎月発行していました。
会報の名前の由来ですが、サークルを始めようと思った頃にワイドショーだったかニュース番組だったか忘れましたが、コーナータイトルとして使われていたのを見て、なんともダサダサっぽいところに惹かれまして、つい、パクってしまいました(^^;)。
しかし今でも、当時会員さんだったの間では、まるでこちらがサークル名だったかのように通用しております(多分みんな、「これで委員会!?」がサークル名だったと思っているに違いないのさ)。
実を言いますと、私自身、全部持っていないんですよ。結婚するときに「これはいい思い出だから、全部持っていこう」と嫁入り道具の荷物の片隅においておいたら、実母から「こんなもんもって行ってどうするんだ。荷物になるから処分しろ」と言われ、泣く泣く製本されたほうを全て処分してしまったんですよ。幸い、原本は残してあったので助かりましたが、それも一部紛失してしまいました。
おかげ様で元会員さんから紛失した会報を送っていただきました。ビミョ〜に更新してありますので覗いてみて下さい(笑)。
尚、別冊『ヤツと君の差はあと何cm? 〜ヤオハンジャパンという名のチーム〜』は別棟に移転いたしました。