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「これで委員会!?」の足跡

'03.06.15 作成(随時更新予定)

Vol.41   (1997.10.14 発行 (24P))

=別冊=  第68回都市対抗野球大会 人海戦術パーフェクト戦記

・・・またもや、本編の方が別冊のよう(苦笑)。それに、都市対抗中心じゃないし(苦笑)。さらに、気合入れて観にいってたはずの村井がレポート書いてないし(苦笑)。それもこれも、『ヤオハンジャパン野球部が廃部になった』からなんですね。どれくらいショックだったのかはその号のあとがきからもよく分かりますな。

『去年のかなり早い段階から「ヤオハンが危ない」ことはよく耳にしていました。倒産も時間の問題だと。「休部になるかもな」とある程度覚悟もしました。それは何とか回避されましたが、「もしかしたら最後かもしれないな」という思いは今年の初めからありまして、悔いが残らないようにと、一試合、一試合を大切に見てきました。
 春先はいつもながらの滑り出しで、「これじゃあ今年も都市対抗はダメだな」と思っていたら、一次、二次の予選ともすばらしい試合展開で代表の座を手に入れてくれて。信じられなかったけど嬉しかった・・・。久々にあのグリーンのユニフォームをドームのグラウンドで見ることが出来ました。彼らの嬉しそうな表情が、今年一番の思い出です。<中略>私の社会人野球人生のほとんどは彼らと共にありました。彼らがいたからこそ、ここまでサークルをやってこれたんだと思っています。そのサークルの活動を休止するのと同時にヤオハンまで解散になるなんてなぁ・・・。』(あとがきより抜粋)

今思い出しても、予期してはいたものの愕然としたのを覚えています。

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Vol.42   (1997.11.28 発行 (60P))

〜特集〜  第24回日本選手権 予選・本選レポート集

確か予選のレポートは前回の号に十分間に合うくらいに頂いてたんですが、ちょっと内容的におかしくなるので、敢えてこの号にまわした記憶があります。
久々に60P! 皆さん気合が入ってましたね。読み応えあったと思います。
この年から日本選手権の舞台がGS神戸から大阪ドームに移ったんですよね? 行こうかなぁ・・・とも思ってたんですけどね。気力がなかった(^^;)。この年以降、日本選手権には一度も足を運んでません。もうちょっと子供らが大きくなったら行ってみたいですね。

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Vol.43   (1998.2.10 発行 (62P))

〜総力特集〜  あなたが選ぶベストナイン in  '97

泣いても笑ってもラストとなったこの号では、サークル発足当初から行われていた名物企画「あなたが選ぶベストナイン」と、村井がオオボケカまして掲載し損ねていたレポートなどをお届けしました。
「ベストナイン」の方は、昨年同様ハナっから集計する気はなかったので(苦笑)、皆さんに自由に書いていただきました。村井なんぞはラストだからをいいことにヤオハンオンリーでベストナインをやっちゃいましたし(苦笑)。まぁ、それも編集者の特権さ。
あと、ベストナインと一緒に、「サークルに対して一言」というエッセイも書いていただきました。・・・みなさん、私をヨイショしすぎです(苦笑)。でも、とても嬉しかったです。本当にありがとうございました。
最後となったあとがきに、思い出話&サークルを辞めようと思ったいきさつが書いてあったので、長ったらしくて申し訳ありませんが書かせてもらおうと思います。

『<前略>とにかくやることなすこと初めてで、あげく、年間でも数試合しか見てない奴がやってますからね。まともなものが出来るわけありません。最初の頃のなんてあまりにも酷すぎて、今見るとかなりの赤面ものですf(^^;)。やっと今のような感じになってきて、自分でも納得いくモノが出来てきたな・・・と感じ始めたのはVol.5、6くらいでしょうかね?
 その頃はいろんな企画モノ(コーナー)がありました。今でも続いてる企画と言えば「都市対抗出場チーム予想」と「都市対抗観戦ガイドもどき」と「ベストナイン」くらいでしょうか? 毎回一つのテーマについて語り合う「To−Long」とか、探し人コーナー「Wanted」とか、なかなかいい企画もあったんですけどねぇ・・・。まぁ、自分で撮ったご自慢の写真を見せちゃおう!というコーナー「マイフォトギャラリー〜略してマイフォギャ」なんて一発で終わっちゃいましたからね(笑)。それよりゃいいでしょう。
その後、口コミで会員さんが増え始め、一番いたときで30名近かったかな? 軌道にも乗って、作ることの楽しさを感じていた反面、さすがに「全て一人でやる」ことの辛さも感じ出しました。3年前の冬くらいです。<中略>
その頃辺りから「引き際を何時にしようか?」というのを考え出しました。「引き際は綺麗に。惜しまれているうちに辞めたい」が私なりの美学(「そんなもの、お前にもあるのか?」というクレームは受け付けません(苦笑))だったので。
一昨年の冬あたりもちょっと体調を崩しまして(こういう時、どうしても気弱になるのが人間の悲しい性)、その時にも「どうするか?」という話が上がったんですが、「ここまできたら、Vol.50まで続けてみたい」という欲が出てきまして、「Vol.50まではやめません」宣言(Vol.35のあとがきより)をさせてもらいました。少なくとも、あの時点では本当にそうするつもりでした。
「サークルを辞めたい」といった時、私は敢えて理由を伏せさせてもらいました。事情を知っている方からは「別に隠さなくったっていいんじゃないか」とも言われましたけど、なんとなく言いたくなかったんです。それを理由にするのは卑怯だな、と思ったので。
実は・・・「結婚を決意したから」なんです。
彼は私の趣味(社会人が好きなことやサークルをやっていること)を理解してくれてまして、「(サークルを)やめるよ」といった時も「せっかくここまでやってきたんだから、続けたら?」と言ってくれました。でも、精神的に限界に近かったので「いい機会だな」と思いまして・・・。彼が「きっかけを作った」・・・というよりは「引き金をひいてくれた」といったほうが正しいです。
悔いはないです。さすがに地位は上がりもしなかったですが(当たり前(-_-;))、自分なりにやるだけのことはやったつもりです。それに「社会人」という共通項を持つ素敵な方々と知り合うことが出来ました。これが一番の収穫だったと思います。
社会人野球によって、私の人生は少なからず狂わされました。しかしそれは「心地のいい狂い」だったと思っています。社会人を見始めて、野球の見方がかなり変わりました。あるサークルの方の本の裏表紙に書いてあった「頂点は一つではない」の意味が身に沁みて分かるようになったのは大きいと思います」(あとがきより抜粋) 

まぁ、自分でも「よくやった」とあの頃の自分を褒めたいですよ。
約4年半だったと思いますが、ホントにいろんなことがあって、辛かったこともありましたけど、楽しかった思い出の方が多かったんで、サークルをやってよかったなと心から思っています。
驚くべきことは、あの当時の会員さんの数名の方とは未だに交流があることです。
これからもよろしくお願いしますね。

あと、万が一、億が一(苦笑)、「昔の会報を読んでみたい」と仰る方がいらしても、申し訳ありませんが、それに応じることは出来かねます。
まず第一に、レポートの大半は私以外の会員さんが手がけています。「会員さんだけが読む」というのが大前提です。故に「その他大勢の人も読む」のを計算には入れてないですから、多分嫌がると思うんですね。「若気の至り」的に書いたモノもあるでしょうし(苦笑)。それに、著作権の問題もありますし。
サークル閉鎖から5年近く経ってますからね。皆さんの中にも、昔書いた文章を読まれたくないって言う気持ちは少なからずありますよね?
ので、どうか勘弁してください。
そのかわりといっちゃあなんですが、村井のつたないレポートは公開しようと思っています。
「え〜っ!? それはいいよ」と仰るのも重々承知の上(苦笑)、お暇なときにでも読んでやって下さいませ。
ただし、ヤオハン関係のレポートは別件で掲載予定です。

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