目次 |
遺跡写真14葉 |
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はじめに |
第T章 十五年戦争期の山梨と戦争遺跡 |
1.十五年戦争と山梨
農村と戦争、軍事関係施設、軍需工業と伝統産業、反戦平
和運動を担った人々、甲府盆地空襲の意味すること−戦時
山梨の位置、「戦争と山梨」を知るために、 |
松本武彦 |
2.戦争遺跡と調査研究
戦争遺跡とは、
@政治・行政関係
A軍事・防衛関係
B生産関係
C戦闘地・戦場関係
D居住地関係
E埋葬関係
F交通関係
Gその他
戦争遺跡の調査研究法 |
十菱駿武 |
第U章 山梨県内に残る戦争遺跡 |
<山梨の戦争遺跡―峡北地区> |
県内最大の地下壕 韮崎七里岩地下壕群
戦争末期の峡北地域、七里岩台地の横腹に、青坂地下
壕、一ツ谷から祖母石団地裏の地下壕、祖母石地下壕、
朝鮮人の就労も、七里岩地下壕の保存を、 |
向山三樹 |
山にやって来た海軍機関 海軍功績調査部壕
日吉国民学校が空襲に、地下壕の掘削、敗戦・書類焼却・
米軍に接収、 |
向山三樹 |
韮崎駅と穴山駅の間に作られた停留場 新府信号所(新府
駅)
設置の概要、何故信号所が新設されたのか、 |
高添藤政 |
コラム 「(け)熱線吸着爆弾」の研究と実験
(け)爆弾の生いたちと研究の進展、研究と投下実験、研
究所の移転、 |
高添藤政 |
コラム 東大建築学科の疎開と実爆実験
学科疎開、坑道実爆実験、成果は賢所建設に、 |
藤原 孝 |
清里高原に残る十字架 藤倉学園園児の墓
伊豆大島から清里への疎開、極寒の中10人の園児が犠
牲に、50年の年月を経て今 |
山田博幸 |
朝鮮の土となった日本人 浅川巧の生涯とモニュメント
内なる国際化と浅川巧、高根町と浅川巧、 |
今澤 悌 |
100m毎に教育勅語の文言 八ヶ岳の石柱 |
武川義彦 |
平和への証言 「妹」を執筆して知った棄民政策
難民収容所で、妹捜しの運動へ、 |
小中沢小夜子 |
<山梨の戦争遺跡―甲府地区> |
甲府連隊の歴史と煉瓦造糧秣庫 甲府連隊跡
甲府連隊の歴史、煉瓦造倉庫の価値と保存活動 |
十菱駿武 |
コラム 甲府49連隊顛末記 |
中山堅恵 |
焦土と化した城下町 甲府空襲跡
1.甲府空襲
防空演習、甲府空襲、
2.甲府空襲跡
一蓮寺いしずえ地蔵、甲府会館(旧松林軒ビル)、湯田
小学校旧門、戦災殉難者無縁供養碑、重新徽典館碑、
焼夷弾の発掘、 |
鈴木利秋 |
コラム 学童疎開下の悲劇
月光原国民学校の学童疎開、甲府空襲の中で、 |
向山三樹 |
平和への証言 甲府空襲を体験して |
仙沢 恵 |
16歳から19歳の屯田兵 満蒙開拓青少年義勇隊の碑 |
武川義彦 |
コラム 陸軍大学校の疎開と閉校 |
武川義彦 |
コラム 甲斐犬を守った人々
平和の使者として |
向山三樹 |
平和への証言 母の終戦
戦時中の資料を見て・・・石田小6年Tさん、石田小6年児童
保護者 |
山岡正夫 |
<山梨の戦争遺跡―峡西・峡中・峡南地区> |
幻の秘匿飛行場 白根町の「ロタコ」跡
「ロタコ」とは何か、どのような工事が行われたのか、掩体
壕(格納庫)跡が残っていた、朝鮮人労働者による横穴(地
下壕)の掘削、 |
原 正人 |
平和への証言 終戦前後混乱の日々 |
古屋兼雄 |
不忘、もうひとつの豊村 満州開拓殉難者慰霊碑
養蚕の村、分村豊村の最期、置き去りにされて |
柏原千里 |
県内唯一の飛行学校 玉幡飛行場跡
競馬場の時代、民間飛行場の時代、陸軍飛行学校の時
代、戦後 |
石川安雄 |
平和への証言 甲府飛行場の思い出 |
中村久稔 |
県内最大の飛行機製造工場 立川飛行機甲府製造所跡 |
樋泉 明 |
陸軍が空襲を避けて軍需物資を貯蔵 敷島町大久保の地
下壕跡 |
田草川敏男 |
コラム 特攻隊員の遺書(長沢政信海軍一等飛行兵曹)
布告、生還を期せず、今日は討つぞ、長沢一飛曹の遺書、
体当たりする事のみ |
磯野 実 |
コラム 青い目の人形
歓迎の式典、ミス山梨富士子、悲惨な時代、今山梨では |
磯野 実 |
コラム 山梨でも風船爆弾が
空飛ぶバナナ大作戦、旧日本軍の「ふ号」作戦、和紙業
者が総参加 |
佐藤眞佐美 |
封印された記憶 日軽富士川水電工事と朝鮮労働者
戦時版水電工事、富士川水電工事の概要、戦時アルミ生
産と日軽金の設立、朝鮮人労働者の戦時動員、危険な
工事と犠牲者、おわりに |
金 浩 |
<山梨の戦争遺跡―峡東地区> |
山梨市に残る兵器貯蔵庫 兵器補給廠山梨分廠跡 |
鮎沢 譲 |
塩山に残る軍隊用食糧製造工場の跡 糧秣本廠東山梨
出張所跡 |
鮎沢 譲 |
準備段階で終戦をむかえた 中島飛行機塩山工場
中島飛行機、第1軍需工廠の疎開工場、向嶽寺周辺を訪ね
てみては |
雨宮清貴 |
防空偽装で使用 石和町唐柏の黒壁の土蔵
七夕の前日に、今もなお残されている黒壁の土蔵 |
雨宮清貴 |
戦時下の葡萄栽培とワイン生産 勝沼町の藤井葡萄酒
醸造所
醸造施設、戦時下のワイン生産、 |
室伏 徹 |
コラム 御坂の防空監視哨 |
鮎沢 譲 |
平和への証言 中国での従軍体験
天皇の軍隊と私は中国で何をしたか、河南大作戦、中国政
府の人道主義と寛大政策、環境と教育が人間を変える |
表 健治 |
<山梨の戦争遺跡―郡内地区> |
都留高女の乙女ここに眠る 都留高女の遺髪塚
生徒の遺髪、飛行機の生産と学徒動員 |
河内尊治 |
爆弾が運んだ平和の使者 大月市の平和祈願の石 |
河内尊治 |
むすび山山頂に残る石積みの聴音壕 大月防空監視哨跡
むすび山、大月監視隊本部、大月空襲、記念標の建立 |
安藤正文 |
靖国の役割を担った忠魂碑 賑岡町の慰霊の森 |
水越勝美 |
戦時下の学童疎開 東郷国民学校宿舎の看板
学童疎開の宿舎、帝都学童の戦闘配置、東郷国民学校、
暁星東桂疎開学園 |
安藤正文 |
子どもたちが掘った四つの横穴 上野原国民学校防空壕跡 |
安藤正文 |
教育に利用された天皇の忠臣 旧上野原小の楠木正成像 |
安藤正文 |
B29に体当たりし戦死した 広瀬大尉の慰霊碑・由緒碑
戦争の悲劇を繰り返さない、飛行第53戦隊、裸で真っ白
の米兵 |
安藤正文 |
聞き取りから浮かぶ戦時の山村 丹波山防空監視哨跡・
松根油づくり
防空監視哨跡、松根油づくり、 |
魚田恵美子 |
アッツ島玉砕の悲劇 アッツ観音
山崎部隊長出生の地、北方要衝のアッツ島、 |
水越勝美 |
開拓団の悲劇を刻印 満州南都留分村殉難の碑
第12次集団南都留郷開拓団、開拓団員の戦後 |
佐藤 弘 |
コラム 立川陸軍航空廠の関連施設 |
佐藤 弘 |
富士吉田にも空襲があった 武蔵航空工場被爆殉難者
の碑
吉田空襲殉難の碑、ロケット弾、武蔵航空吉田工場、特
攻機の整備 |
宮下 太 |
平和への証言 戦争は人間がする最大の罪悪 |
舟久保 寛 |
コラム 戦時下の登山
富士山を舞台に防共戦勝登山、地図も天気も機密扱い |
向山三樹 |
沖縄駐留米軍の代替演習場の一つ 北富士演習場 |
武川義彦 |
平時の徴兵よけ・戦時の弾丸よけ 弾丸よけ祈願と神社
軍刀利神社、天狗社、魔王天神社 |
安藤正文 |
コラム 「村の靖国」=忠魂碑 |
河内尊治 |
第V章 戦時下の教育が語るもの |
1.概観 |
志村欣一 |
2.教勅語・御真影と奉安殿
奉安殿とは、奉安殿の撤去、向嶽寺境内に残る奉安殿、富
士吉田に残る奉安殿、御真影・勅語のその後、山梨に残る
教育勅語謄本 |
志村欣一 |
3.二宮尊徳(金次郎)像
天皇制教育、国定教科書と二宮尊徳(金次郎)、建造物に
作られた二宮尊徳、郡内の小学校にある二宮尊徳像 |
安藤正文 |
4.山梨における学徒勤労動員
学校から工場へ、動員体制の強化、
体験記にみる勤労動員の実態
毒ガス工場組の悲惨 日川中 風間美和、
学徒勤労動員と中学生
韮崎中 清水 威 |
浅川 保 |
5.英和女学校の受難 |
鈴木利秋 |
6.戦時下の教育に携わって
国策に沿っての教育、命ぜられるままに動いて、 |
津田百合子 |
第W章 戦争遺跡から学ぶ |
1.戦争遺跡と平和を育む学習 |
志村欣一 |
2.戦争遺跡の教材化と見学会、小学生と平和教育、21世
紀に語り継ぐこと、 |
向山三樹 |
ニュース探検 戦争遺跡の保存活動 薄れゆく「歴史の真実」
を伝える |
山梨日日新聞
1998年8月16日記事 |
3.戦争遺跡と埋蔵文化財調査
付 弾頭・焼夷弾実測図 |
田代 孝 |
4.労働運動と戦争遺跡
5次にわたる戦跡調査の概要、調査の結果、強制労働と勤
労動員、本土決戦に備えた計画、戦跡調査の到達 |
清水 豊 |
5.山梨県戦争遺跡ネットワークの活動
付 山梨県戦争遺跡ネットワーク会則(抄) |
浅川 保 |
第X章 資料館紹介と参考資料 |
長坂町郷土資料館 |
向山三樹 |
民族資料館・温故荘 |
浅川 保 |
増穂町民族資料館(旧舂米学校校舎) |
磯野 実 |
春日居町郷土館 |
磯野 実 |
豊富村郷土資料館 |
磯野 実 |
山梨に関わる戦記・戦争体験記
A 戦記(自分史を含む) 60点
B 主に戦争体験記としてまとめたもの 18点
C 満州開拓、満州在住者の記録 23点
D 空襲の記録 6点
E 学徒動員、学童疎開等の記録 9点 |
浅川 保
小林春雄 |
十五年戦争関連年表
大正14年〜昭和20年 |
浅川 保 |
山梨県内市町村別戦没者数(アジア太平洋戦争)
(平成11年8月山梨県主催戦没者慰霊祭資料より) |
あとがき |
『山梨の戦争遺跡』編集委員会代表 |
浅川 保 |
私の内容紹介
山梨県戦争遺跡ネットワークさんが、山梨県の戦争に関する遺跡を足で調査した結果をまとめたものです。ここでいう戦争とは、昭和6年から昭和20年までのいわゆる十五年戦争を表しております。そして戦争遺跡とは、「近代日本の侵略戦争とその遂行課程で、戦闘や事件の加害・被害・反戦抵抗に関わって国内外で形成され、かつ現在に残された構造物・遺構や跡地のこと」”本の冒頭の「はじめに」(山梨戦争遺跡ネットワーク代表十菱駿武さん記)より引用いたしました。”だそうです。
全国各地に同じような戦争遺跡ガイドブックが発行されていると思いますが、「山梨県の戦争遺跡」のように体系的にそしてコラムや平和への証言という戦争体験記を併せて掲載したものは少ないのではないかと思います。ネットワークの方たちが実際に現地へ行き、調査・掘り起しをしたものですから意外に知られていない遺跡などもあると思います。逆にまだまだ埋もれている遺跡もあるかもしれませんが、これが契機となって多くの方が遺跡に対しての考え方を改めて、貴重な時代の記録として保存する方向に向けて遺跡から学ぶことが必要だと思います。
しかし本当に数多くの遺跡があるものだと改めて感じた次第です。全国各地の戦争遺跡がこのような形で記録に残されればかなり膨大なしかも貴重な資料となるでしょう。
関係者みなさんのご苦労が偲ばれます。多くの人に読んで欲しいと思います。
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