こちらは、地方公共団体の御協力を頂いて
収集した戦争関連の資料の紹介です。
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『実録 敦賀大空襲 』
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こちらは冊子からのコピーです。出典が不明です。 御了承ください。 |
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空襲前夜の敦賀 |
7月12日の空襲 |
その後の空襲 |
(以上は「敦賀市史」通史編下巻より引用) |
表T 敦賀市内の焼失した主な建物 (「敦賀市戦災復興史」より |
敦賀町の変遷 (享保11年1727年、明治22年〜昭和18年、昭和20年7月、昭和30年1月時) |
敦賀の人口の推移(天和元年1615年〜昭和63年10月1日調査まで) |
消えゆく文化遺産 敦賀の旧町名由来 |
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泉(しみず)、片原町、正面町、真禅寺町(しんぜんじまち)、福禄町(ふくろくまち)、敦賀の花町(遊郭)、六軒町(ろっけんまち)、新町、森屋敷、三ツ屋(みつや)、丁持町(ちょもちまち)、社家町(しゃけまち)、紙屋町、御所の辻子(ごしょのづし)、小昌坊辻子(こしょうぼうづし)、鵜の殿辻子(うのとのづし)、狐ケ辻子(きつねがづし)、鳥居ノ辻子(とりのづし)、上嶋寺町(かみしまでらまち)、浜嶋寺町(はましまでらまち)、土器ケ辻子(かわらけがづし)、御小人町通(おこびとまち)、唐仁橋町(とうじんばし)、一向堂町(いっこうどう)、中の橋町(なかのはし)、東町・西町、観世屋町(かんじゃ)、三日市町、鵜飼ケ辻子(うかいがづし)、金ケ辻子(かねがづし)、牢の辻子(ろうのづし)、船町(ふなまち)、東浜町、西浜町、庄町(しょうまち)、御影堂前(みえいどまえ)、津内(つない)、法泉寺町(ほうぜんじ)、殿町、射場町(いばまち)、塔場町(とうばまち)、裏ノ門町、茶町、池子町(いけすまち)、十間町(じゅっけんまち) |
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主な参考文献と、その著者 |
*注意
1.
こちらは、福井県敦賀市役所広報広聴課木戸様の御好意によりご寄贈頂きました資料の紹介です。コピーしたものをお送りいただきました。お手数お掛けしました。有難うございました
なお、こちらの情報及び資料の御提供を頂いたのは平成12年6月になります。掲載まで約1年半かかってしまいましたことを敦賀市役所木戸様はじめ皆様方にお詫びいたします。
福井県敦賀市役所広報広聴課
〒914−8501
福井県敦賀市中央町二丁目1−1
TEL0770−22−8112
FAX0770−22−6220
2.
こちらのものは、私の資料として集めた物です。
こちらは敦賀市役所広報広聴課の木戸様が敦賀空襲の関連資料をコピーしてお送りいただいたものですが出典が不明です。御了承ください。
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