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 戦争体験記 内容紹介


こちらは、地方公共団体の御協力を頂いて
収集した戦争体験記集の内容紹介です。

『敦賀空襲・戦災誌 』
 
編集・発行     敦賀空襲を伝える会
 代表 敦賀市河原1−1−4(発行当時)
 東出藤夫
 電話0770−23−7557(発行当時)
編集代表 
 敦賀市松葉町(発行当時)
 上田貞男
 電話0770−23−8122(発行当時)
編集協力 しんふくい出版
 稲本信夫
 福井市松本1−1−16(発行当時)
 電話0776−22−0103(発行当時)
印刷 (有)ホープ印刷
 武生市東千福町21−4(発行当時)
 電話0778−24−1146(発行当時)
発行所 海光堂
 敦賀市本町1−10−12(発行当時)
 電話0770−22−0829 (発行当時)
発行日 1985年7月12日 1000部
頒価 3,000円(発行当時)
446頁
   
目次
1 敦賀市の空襲
防空・空襲のあらまし
防空、空襲の概要
防空演習の始まり、本土空襲と防空体制、疎開、戦災の状況
(全国戦災史実調査報告書 昭55・56年)
本土の決戦体制確立と防空作戦
中小都市に対する焼夷攻撃、機雷投下に対する主要港湾の防空強化、第一五方面軍
(朝雲新聞社刊「本土防衛、本土決戦準備」より
航空防空の控制とT地上防空作戦
第一五方面軍の防空作戦
(朝雲新聞社刊 「本土防衛、本土決戦準備」より
全国港湾に機雷を投下
(「日本本土の大爆撃B29」昭46年刊・サンケイ新聞出版局
福井県の空襲のあらまし
(稲木信夫・三省堂「日本の空襲」第5巻)
敦賀空襲の概要
日本空襲と敦賀、7月12日夜間焼夷弾空襲、7月30日艦載機P47空襲、8月8日B29単機空襲、5月19日〜8月5日敦賀湾に機雷敷設、6月25日もう一つの昼の単機空襲
(上田貞男)
敦賀市の戦災
(「大正・昭和 福井県史」下・昭和32年より)
敦賀市の戦災状況
(「福井県議会史」・第3巻より)
敦賀空襲と同時に会った軍都宇都宮の空襲
(「日本の空襲」第2巻・宇都宮空襲・片野勤氏記より)
敦賀空襲と米軍の駐留
戦災、市以外の空襲概要、被害状況、市郡内にあった軍の出先機関、罹災者の救援、艦載機の空襲、B29単機空襲、敦賀湾に機雷投下、不発焼夷弾及び漂着弾薬による被害、米国軍隊の駐屯、米軍鶴賀に進駐
(岡田長四郎・敦賀市莇生野)
敦賀と戦争の十五年史
(「大正・昭和福井県史」下・昭和32年より抜粋作成)
戦時下、空襲せまる敦賀
敦賀空襲にいたる空襲の報道
若狭湾に機雷投下 昭和20年5月20日 福井新聞
若狭湾に向け別働 昭和20年5月27日 福井新聞
またも本県通過 昭和20年6月 3日 福井新聞
敦賀付近から・・・・・・ 昭和20年6月 5日 福井新聞
またも本県に投雷 昭和20年6月13日 福井新聞
またも本県に投雷 昭和20年6月21日 福井新聞
三〇数機、若狭湾に投雷 昭和20年6月21日 朝日新聞
若狭湾に投雷しきり 昭和20年6月23日 福井新聞
若狭湾に三七機 昭和20年6月27日 福井新聞
若狭湾に投雷続く 昭和20年7月 1日 福井新聞
神経戦的旋回行動を反復 昭和20年7月 6日 福井新聞
若狭へ初のB24 昭和20年7月10日 福井新聞
B29若狭へ十機 昭和20年7月13日 福井新聞
本県への進入も頻り 昭和20年7月17日 福井新聞
福井市に焼夷弾攻撃 昭和20年7月21日 福井新聞
私の空襲目録(抜粋)
(故上野浅一氏 「神戸空襲体験記」より転載
2 敦賀空襲に関するアメリカ側資料
3 敦賀市民の被災体験
写真28葉
敦賀市木崎の山の壕、坂の下防空壕、舞崎町の防空壕跡、敦賀市田結の防空壕跡、敦賀警察署庁舎内の地下壕、金ヶ崎岸壁、旧大内町の土蔵、金ヶ崎町旧家の土蔵、元町の元十二銀行支店、天満宮前の電柱焼け跡、元町の寺境内の焼けた鐘楼跡、大乗寺境内の戦死者の墓、被災当時の敦賀市民病院の正面玄関、被災直後の仮救護所となった舞崎町のお寺
7月12日・夜間焼夷弾攻撃
1 泉町
慟哭 天筒山人
頼りの兵隊さんはもういない 奥本ひさ
セメント敦賀工場と空襲 山口 薫
米鬼!ござんなれ 警防団で出動した主人の話
2 入船町
叫び、わめき、悲鳴 道司久枝
3 大港町
小松製作所敦賀工場のあとさき 西嶋博夫
4 曙町
御神体を御奉遷 桑原廉一朗
犠牲者が多く出た私の町内 島 憲蔵
逃げんとアカンデ− 田中庄一郎
死に化粧の遊女 愛宕嘉七(故人)の妻
米機の空襲で敦賀市壊滅を第1報 山本一馬
こわいよ、こわいよー ある人の話
5 栄新町(常磐町)
猛火が新町遊郭に襲ってくる 岩井愛子
バケツリレー 中村みつえ
逃げる奴は非国民だ 藤村ふじ枝
6 浪花町
港都敦賀灰燼に帰す 上田貞男
捕虜に救われたとか 中川与吉
写真8葉
7 境町
あゝ無惨! 平吹明教
気比さん猛火に包まれる 口野芳次郎
火は滝の如く 宮本丈吉
8 桜町
一望千里、焼け野が原 柴田辰雄
敦賀初めての大火災 某女
9 大内町
敦賀銀座が火を吹いた 増田博昭
10 御手洗町
猛火の中、老人を救う米兵 渡 トシ子
11 大島町
島寺炎上 中村藤一郎
最後まで踏み止まる 中島喜徳
首と胸が散りぢりに 松村文雄
裏日本で最初の戦災地 立木嘉二
逃げたら切るぞ! 奥田みね子
駅前通り燃ゆ 増田和枝
わが家と運命をともに・・・ 奥沢峯子
12 橘町
仏壇の前で身を焼く老婆 林美之介
「ああ、ただ戦争協力あるのみだ!」 菊谷儀太郎
防空壕で焼夷弾炸裂 那谷栄三
親子猛煙に巻かれる 米岡 豊
一億火の玉となって 澤田静治
立石防空監視哨 吉田 忠
写真5葉
13 神楽町
空襲の思い出 中西正雄
物凄い火炎の筒が! 林 すみ江
鉄道診療所が一つまみの灰に 長谷川 ツマ
竹ヤリで一人一殺訓練 元田しず
シトシト雨降る、いやな晩 那谷栄三
夢でなくマコト 景山勝治郎
港ツルガは”火の海”だった 内池健三
めんどーまえ(御影堂前)に焼夷弾の雨 増井勇作
14 津内町
死骸の山・やけどにウジが 木村 巌
火たたきで火を消した人達も 安藤広子
15 旭町
終戦の夏 山本典子
16 幸町
国民学校一年生の体験 中道 正
17 大金町
老婆の白骨・ナベの中 山田 明
18 蓬莱町
橋貞助さんと一緒に 臼井 保
19 北津内町
港都ついに焼土と化す 文村義雄
変わり果てた姿で 大谷梅尾
20 南津内町
沢村自動車会社に火の手 山本 昇
陸の玄関に火がついた 漁師 菊栄
五才だった空襲の思い出 古跡 治
21 舞崎町
光を失くした、20年7月13日 長谷川了示
22 結城町
学舎であることを忘れて 山本広志
空襲と中部第136部隊の動き 今立  汎
鳩を飛ばして第一報 今立  汎
23 川崎町
田辺すえ
24 三島町
燃やすな、金ヶ崎宮 石井左近
25 、松島町
高射砲隊長殿が殺られた! 一男性
武生−敦賀間、決死の山・谷越え 沢井裕芳
写真2葉
26 長沢町
別離 竹内ひさ
昼をあざむく照明弾 上野 強
27 田結町
橋野庄吉
28 野神町
何処へ行くのか罹災者のむれ 広瀬公乃
29 櫛川町
紙と竹で代用ドラム缶づくり 景山清子
焼土に変身 福田治重
三方・海山から 幸光秀和
30 浦底町
犬の尻っぽ、人を助ける 刀根みつえ
恐怖の様相を山むらより見下ろす 荒谷捨松
31 不明のもの
天を焦がす大火柱 藤木正雄
校庭に焼夷弾が突きささった 池田 稔
火に囲まれ、ピンチに 沢田久子
猛煙より救った郵便局 松本一郎
32 その他
防衛隊出動せよ! 沢崎正一
逃亡兵の出た夜のこと 当時敦賀憲兵隊隊員
憲兵分隊員の証言 当時敦賀憲兵隊隊員
7月30日・艦載機空襲
焼け跡で町内一同のお別れ会 菊谷儀太郎
猛禽、小鳥を襲う如し 川西音吉
キノコ雲 臼井 保
艦載機銃撃の日 山下五良治
B29単機東紡工場に投弾 山下五良治
危機一髪 文村義雄
散った若い命 新道ひさ
機銃掃射 宮川孫七
昭和20年7月30日 岸本定孝
上衣をふりかざし、米機に合図する俘虜 1男性
艦載機に小銃を発砲する兵士 沢井裕芳
長沢、艦載機攻撃される 上野 強
ナンマンダブツ 小島きぬえ
罪もない人が傷つき、命も奪われる 福田治重
無防備で殺られっ放し 荒谷捨松
無気味な艦載機来襲 ある人の話
校舎すれすれにグラマンが 鈴木 誠
8月8日・B29単機空襲
急降下爆撃 中村みつえ
機銃弾にねらわれて 内池芳枝
手や足に憎い銃弾が 長谷川ツマ
あっ、爆弾! 文村義雄
女子挺身隊員の死 宮川孫七
日本敗戦1週間前 沢井祐芳
爆弾の破片、肉体を切断 福田治重
打つ弾、全く命中せず 荒谷捨松
撚糸工場が吹っとんだ 藤木正雄
B29が低速度で 鈴木 誠
焼土敦賀雑記
落穂集
敗けるか?勝つか?流言飛語、新型爆弾投下候補地に敦賀?、米軍・攻撃予告ビラを撒く
敦賀空襲記念日に参加して 杉山千佐子
4 空襲当時の住居地図
5 犠牲者名簿
敦賀空襲犠牲者の追悼史
全市民の避難経路の指示はあった?
犠牲者が多く出たのは
落穂集
犠牲者のこと、敗戦が1ヶ月早ければ・・・、40年目にして焼失戸数かき替え、気比神宮前に死屍の山、火葬も出来ず土葬に、戦災傷害者のことも忘れないで
あとがき 土田貞男
戦災記録運動協力団体及個人ご芳名
写真資料提供・作成協力者 17組
戦災誌出版協力者(団体) 34組
戦災誌出版協力者(個人) 220名
郷土歴史民族資料館戦争・戦災資料寄付協力者 27名
参考文献 35冊
*目次内の「1 敦賀市の空襲」の一部、「2 敦賀空襲に関するアメリカ側資料」、「4 空襲当時の住居地図」と「5 犠牲者名簿」の一部は、体験記ではありませんので詳しい内容紹介は割愛しております。御了承ください。

*注意
1.
こちらは、
福井県敦賀市役所広報広聴課木戸様の御好意によりご寄贈頂きました冊子の紹介です。本の在庫が無いため、「敦賀空襲・戦災誌」の中から個人の体験記等が掲載された部分(全446ページの内約170ページ)をコピーしたものをお送りいただきました。お手数お掛けしました。有難うございました
なお、こちらの情報及び本の御提供を頂いたのは平成12年6月になります。掲載まで約1年半かかってしまいましたことを敦賀市役所木戸様はじめ皆様方にお詫びいたします。

    福井県敦賀市役所広報広聴課
     〒914−8501
     福井県敦賀市中央町二丁目1−1
     TEL0770−22−8112
     FAX0770−22−6220

2.
こちらのものは、私の資料として集めた物です。
敦賀空襲を伝える会がかつて郷土の歴史に例が無い悲惨な空襲の記録を後世に残すために、敦賀市民他多くの方の協力を得て発行されたものです。
限定出版及びかなり以前の発行のため、お求めは難しいと思います。
どうしても読んでみたい方は、お近くの図書館にお問い合わせください。

3.
本の内容紹介で、本の表紙を掲載しておりますが、これは私が皆様に情報提供する場合に、少しでも詳しく知っていただくために私の所蔵しております本の表紙から写しております。本来なら全ての発行者及び著者の方に許可を頂かなければいけないと思いますが、出来る限り本の詳しい情報をお伝えしたいという私の考えから現在のところ許可を頂かずに掲載をしております。但し、本の発行所・発行者・編集者・著者・印刷所・発行年月・ページ数・表紙題字揮毫者・イラスト作者等その本に関してわかる限りのデーターを掲載するように注意しております。本の表紙写真のみの掲載はしておりません。
もし、著作権等の問題で表紙写真の掲載は不可の作品がございましたら、ご連絡いただければ対応いたします。
自費出版及び地方公共団体発行の本のため、通常情報をなかなか得られない事が多いので、どんなものであるかを視覚的にもお伝えしたいと私は考えております。関係者様各位のご了解・ご協力をいただければ幸いです。


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