| 目次 |
| 戦災資料写真集 |
| 発刊のことば |
甲府市長 |
河口親賀 |
| 再版にあたって |
甲府市長 |
原 忠三 |
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| 第一篇 |
| ・甲府空襲前後 |
飯田文弥 |
緊迫化する戦況
防空体制の強化
物資の窮乏
宣伝ビラ舞う
昭和20年7月6日
焼跡の街 |
| ・本土空襲の中の甲府空襲 |
松浦総三 |
甲府上空に139機のB29
第3期作戦の中に甲府空襲
甲府空襲と私 |
| ・「座談会」甲府空襲を語る |
昭和49年4月3日
古名屋別館
出席者 野口二郎氏、名取忠彦氏、向井房恵氏、河口親賀甲府市長、
木下勝朗甲府市助役
司会 石上基孝事務局長、飯田文弥編纂委員、斉藤通雄編纂委員
記録 長田興吉事務局主任
※職名は発行当時のもの |
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| 第二編 |
| ・ひめじょおんの花 |
仙沢 恵 |
| ・わが家の焼けあとに茫然と |
加賀美秋三 |
| ・故郷喪失 |
前島正吾 |
| ・紅蓮の炎が巨大な竜の舌のように |
渡辺 静 |
| ・憑れたようにバケツの水を |
駒井寿雄 |
| ・お父さんは空を憎んだ |
村山二永 |
| ・国民義勇隊の隊長として |
植杉大二郎 |
・7日の朝南アルプスが美しかった
(1)集団疎開学童を迎えて
(2)白米づくり
(3)防空壕づくりとさつまいもづくり
(4)7月7日の朝 |
石河宗是
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| ・空襲下の警察官 |
多田 寿 |
| ・5回目の空襲を故郷で |
山本利夫 |
| ・食糧営団の戦災 |
志村雄太郎 |
| ・長かった2時間30分 |
飯田米太郎 |
| ・廃墟の甲府にたどりついて |
山岡正夫 |
| ・死体処理にあたって |
上野幸作 |
| ・地獄の底で茫然自失 |
横内 豊 |
| ・疎開児童をつれて |
壬生明子 |
| ・警防団副団長として消火にあたる |
近藤孝平 |
| ・不発の焼夷弾を屋上から |
木下勝朗 |
| ・悪夢の一夜 |
阪元光雄 |
| ・甲府の無事を祈った防空部隊軍人 |
玄間 岳 |
| ・土をにぎって火にたたきつけた |
玉川ふじえ |
| ・戦災処理事業に従事して |
三神岩一 |
| ・東青沼町での被災 |
古屋園子 |
| ・食糧地獄とのたたかい |
有野耕策 |
| ・八万市民のための生必組合誕生 |
野村太郎 |
| ・県外の空襲体験を生かして |
伊藤忠一 |
| ・爆撃下に御真影守護の任にあたる |
伊東祐文 |
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・防空本部員として
一、山梨県防空本部とその組織
(一)一般民に対する防空関係
(二)警防団の指揮監督と教育訓練
(三)防空監視隊の設置と教育訓練
二、空襲直前直後の状況
(一)警報の伝達
(二)敵機来襲の報告
三、防空本部員の登庁
四、本部第63部隊に応援要請
五、甲府市周辺の警防団に対する応援
要請
六、県庁付近の空襲時の状況
七、被害状況調査
八、内務大臣に空襲結果の報告
九、当時反省したこと |
長田実造
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| ・出征兵士を送って甲府駅へ |
穴木孝造 |
| ・緋鯉のようなB29を見た |
丹沢光造 |
| ・屋敷に24本の焼夷弾 |
小林久菊 |
| ・その夜の甲府警察署 |
沢登州u |
| ・勤労動員の工場で |
望月惣一 |
| ・県農業会職員であった私 |
米倉政則 |
| ・勝つための挺身 |
竹川豊明 |
| ・水 |
稲垣一男 |
| ・焦土 |
吉岡忠喜 |
| ・傷心 |
小杉秀三郎 |
| ・御真影を背負って |
保坂四朗 |
| ・わが銀行の焼跡に金庫がポツンと |
林 亮 |
| ・今度はやられるかも知れない |
米山武三 |
| ・あとを頼む・・・・・・と学校へ |
岩田一郎 |
| ・千塚町にて |
根津英子 |
| ・暁の寒さ |
嶋田 武 |
| ・責任の転化はしない |
藤原いちよ |
| ・廃墟と化した甲府 |
京嶋奈美子 |
| ・甲中燃える |
青木甲子男 |
・吾が住みし家居の跡は
空襲前の記、疎開児童来る、戦災の記、戦災実記、
終戦 |
豊岡由房
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| ・戦災当夜を思い起こして |
小沢太郎 |
| ・疎開学童の世話をして |
越水すず |
| ・学童疎開の思い出 |
上原慶子 |
| ・焼け残った水道庁舎で処理事務を |
落合政隆 |
| ・一召集兵としての甲府空襲 |
若尾忠男 |
| ・義兄の出征前夜 |
塚脇利雄 |
| ・空襲とその後 |
内藤豊造 |
| ・バケツリレーは役にたたなかった |
横森直三 |
| ・手向草 |
大岡千代子 |
| ・焼野原でおむすび三つ |
丹沢澄子 |
| ・冷たい恐ろしい雨 |
芹沢政江 |
| ・御真影奉護という責務 |
甘利亀雄 |
| ・病死した甥を背負って |
田中みつ代 |
・”終戦前後”上の空
甲府市との出逢い、空襲、空襲のあと、終戦、その後 |
横山正立
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| ・愛宕町にて |
末木昌子 |
| ・空襲、終戦、その後 |
武内なか子 |
| ・戦火に失われた女子医専 |
古屋茂子 |
| ・世界中が燃えた夜 |
保坂房子 |
| ・マッチーヤミ市の思い出ー |
土屋八枝子 |
| ・夏の日 |
飯沼 忠 |
| ・工専の傍らにて |
野尻倹之助 |
| ・電波探知機が感じなかった甲府空襲 |
斉藤■運 |
| ・県都甲府は焼野原 |
小林常造 |
| ・被爆の街「甲府」 |
宮野 貢 |
| ・罹災直後の市内の医療状況 |
小野勇二 |
| ・包帯をほどくとウジが |
小泉サカヱ |
| ・疎開の前夜 |
水上関子 |
| ・井戸の中の赤ちゃん |
荻野かつ江 |
| ・おばあちゃんさようなら |
三田町子 |
| ・天神川の橋の下で |
石水 隆 |
| ・二十三時四十一分 |
大井 孟 |
| ・甲府爆撃の夜をはさんで |
保坂忠信 |
| ・当時の諸物資配給について |
岩田朝造 |
| ・自分もここで死ぬかと思った |
宮坂貴久雄 |
| ・戦災と浴場 |
三井三千雄 |
| ・外地戦陣から見た甲府空襲 |
鈴木喜太郎 |
・私の記憶から
荷物疎開のこと、砂糖入り”らくがん”のこと、死体処理
のこと、食糧と住宅のこと、千代田湖の魚 |
荻野三郎 |
| ・そのころのこと |
飯田郷子 |
| ・九死に一生を得た |
原 亘 |
・俳句
〃
〃
〃
〃 |
榎本虎山
五味酒蝶
辻 蕗村
角田雪弥
稲垣晩童
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| 『学童疎開の記録 −月光原小学校編より』 |
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| 月光原国民学校校長 |
加納正男 |
| 甲府伊勢町遠光寺住職 |
加賀美日総 |
| 日光原国民学校六年生 |
遠峯英雄 |
毎日新聞記事−
甲府空襲の状況報告文 |
岡本特派員記
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| 太宰 治「薄明」より |
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| 石川達三「泥にまみて」より |
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| 第三編(資料) |
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| 戦災消失区域図 |
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| 地区別犠牲者数 |
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| 昭和二十年七月六.七日の気象状況 |
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昭和二十年七月七日付ニューヨークタイムズが報道する
甲府空襲に関する記事 |
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米国側の甲府空襲に関する資料
日本本土爆撃概報、日本本土爆撃詳報 |
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| 東部軍管区司令部発表、大本営発表 |
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甲府市政六十年史より
戦災前期
罹災状況
一、空襲公報
二、目撃記
三、罹災細目
イ、死傷者及び家屋工場等の罹災状況
ロ、市有公共施設の被害状況
ハ、焼失セル主要建物
ニ、戦災前後の甲府市人口
ホ、甲府市戦災状況調査書
ヘ、各地区被害状況集計俵
ト、町別警防団 類被害調査表
応急措置
一、食糧配給
二、死体処理
三、避難者の救護状況
(1)罹災避難者収容救護
(2)罹災証明書の発行
(3)焼跡糞尿処理
四、当時の新聞記事摘録
善後対策
一、知事布告
二、食糧緊急措置通牒
三、甲府市戦災善後対策要項
四、甲府市会協議会
五、戦災善後対策委員会 |
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山梨県政六十年誌より
復興
一、復興着々進む
(一)都市計画
(二)住宅復興
(三)水道復旧
(四)電気復旧
二、その他の被害
甲府空襲と教育の停滞
山梨師範学校当直日誌
甲府市集団疎開児童受入計画 |
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米英に対する宣戦の詔書
ポツダム宣言
終戦の詔書
日本本土空襲の一覧
全国都市被爆一覧 |
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| 甲府空襲による犠牲者名簿 |
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| 本書出版に協力された団体および個人 |
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編さん委員会名簿
あとがき |
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| 付記 |
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