こちらは、地方公共団体の御協力を頂いて
収集した戦争体験記集の内容紹介です。
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戦後50周年事業
『甚目寺飛行場』 |
編集・発行 |
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甚目寺町教育委員会 |
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愛知県海部郡甚目寺町
大字甚目寺字二伴田65 |
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TEL052−444−3166 |
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FAX052−443−9778 |
印刷所 |
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有限会社プリテック |
発行年月 |
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平成7年7月 |
67頁 |
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目次 |
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第1章 飛行場建設決定〜完成まで |
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1.設定隊の育成 |
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@日本にブルドーザーなし |
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A設定隊を教育し得る人材もなし |
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2.第149野戦飛行場設定隊(乙) |
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@初めて見るブルドーザー |
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A編成と装備 |
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3.飛行場完成 |
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※参考資料 |
@地鎮祭 山田宮司談 |
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Aキャリオール |
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B甚目寺駅拡張 |
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C施設隊の宿舎 |
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第2章 飛行第五戦隊(甚目寺飛行場配属飛行隊) |
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1.飛行第五戦隊の編成 |
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(伊藤弥太郎著 「激戦の空に生きて」よりの抜粋) |
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@清洲基地(甚目寺飛行場) |
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A基地の日課 |
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2.飛行第五戦隊戦闘記録 |
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@B29の来襲 |
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A栗原大尉の戦死 |
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※栗原大尉戦死の謎 |
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B昭和20年1月 |
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C夜間戦闘 |
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D若鷲たちの壮烈な最期 |
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(1)紺野中尉 |
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(2)河田少尉 |
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(3)辻本少尉・石岡軍曹 |
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(4)水谷家での結婚式 |
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(5)敵戦闘機初来襲 |
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(6)五式戦闘機 |
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(7)特攻出動者 |
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(8)グラマン中京上空に現れる |
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(9)終戦前の基地 |
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(10)8月15日 |
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(11)終戦秘話 |
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3.佐藤中尉の記録 |
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(1)初仕事は戦隊マーク |
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(2)迎撃方法 |
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(3)唯一の戦果 |
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(4)敵艦突入訓練 |
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(5)飛行機の疎開 |
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(6)夜間出撃 |
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(7)照空燈の参加 |
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(8)ロケット飛行機 |
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(9)五戦隊戦死者 |
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4.甚目寺飛行場こぼれ話 |
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(1)石作の作戦室遺跡 |
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(2)日東紡大煙突と中村大鳥居 |
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(3)飛行隊員の食事 |
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(4)高圧線変更と煙突 |
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(5)防衛陣地と仮兵舎 |
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(6)唯一の旧のままの土地 石作墓地跡 |
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(7)飛行機疎開 |
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昭和22年11月1日米極東軍撮影名古屋北部写真 |
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同 飛行場拡大部分写真 |
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昭和13年第4回修正測圖之縮図 |
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昭和20年部分修正測圖 |
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昭和22年5回修正測圖 |
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飛行場関連写真(配属将兵・配属飛行機など) |
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飛行場スケッチ |
佐藤中尉画 |
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第3章 飛行場の開拓 |
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1.陳情書(1)(2) |
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2.開拓組合 |
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3.開拓完了 |
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4.元飛行場開拓碑 |
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軍建物譲受申請書 |
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軍建物譲受申請書図面 |
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開拓土地区画明細図 |
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元飛行場開拓記念碑文 |
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飛行場開拓後の土地 |
丹羽氏 |
戦後40周年 中日新聞記事 |
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附載 体験談 |
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勤労動員の思い出 |
佐藤定治さん |
学徒勤労員報国隊 |
安藤正夫さん |
「靴一足」 |
佐藤順郎さん |
想い出 パート2 |
高橋和宏さん |
あとがき |
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私の内容紹介
甚目寺町文化財保護審議会委員林勝義さんが、戦争終戦後の昭和20年9月に復員後、町役場に務めているときに飛行場のことを書き残したいと考え、資料の収集にかかりその後も資料を集めて戦後50周年にあたる平成7年に書き終えたものが本書です。多くの方からの写真や資料の提供を受け、大変詳しい資料集となっています。個人レベルの著作としてはかなり完成度が高いものだと思います。
甚目寺飛行場、正式には清洲飛行場と呼ばれたこの飛行場のことは軍と町の人々以外はあまり知られていませんでした。というのも、昭和19年3月から飛行場設営が始まり、10月に完成しましたが、昭和20年終戦とともに閉鎖され、まもなく飛行場跡は地元住民により農地として開拓され、田や畑に戻ったからです。このような状況ですから、当然資料が少なく苦労されたようです。貴重な飛行場の空撮写真や戦争中の配属将兵の写真などが掲載されています。
戦争体験談としては、佐藤定治さんと安藤さんは、学徒勤労動員として飛行場建設に従事したときの想い出を記しています。飛行場建設の様子がわかります。佐藤順郎さんと高橋さんは、飛行第5戦隊当時の想い出を記しています。高橋さんの文は、戦友の佐藤順郎さんとの不思議な縁のことと佐藤さんのいびきのことを軽妙洒脱に記しています。 |
*注意
1.
こちらは、愛知県海部郡甚目寺町役場さんのご協力により甚目寺町教育委員会さんより寄贈頂いたものです。
甚目寺町教育委員会社会教育課
愛知県海部郡甚目寺町大字甚目寺字二伴田65
〒490−1111
TEL052−444−3166(代)
FAX052−443−9778
2.
こちらのものは、私の資料として集めた物です。
甚目寺町に太平洋戦争末期につくられた軍事飛行場の記録です。
どうしても読んでみたい方は、上記の甚目寺町教育委員会さんにお問い合わせください。
3.
私の内容紹介は、管理人が記載しております。文責は管理人にあります。
4.
本の内容紹介で、一部本の表紙を掲載しておりますが、これは私が皆様に情報提供する場合に、少しでも詳しく知っていただくために私の所蔵しております本の表紙から写しております。本来なら全ての発行者及び著者の方に許可を頂かなければいけないと思いますが、出来る限り本の詳しい情報をお伝えしたいという私の考えから現在のところ許可を頂かずに掲載をしております。但し、本の発行所・発行者・編集者・著者・印刷所・発行年月・ページ数・表紙題字揮毫者・イラスト作者等その本に関してわかる限りのデーターを掲載するように注意しております。本の表紙写真のみの掲載はしておりません。
もし、著作権等の問題で表紙写真の掲載は不可の作品がございましたら、ご連絡いただければ対応いたします。
自費出版及び地方公共団体発行の本のため、通常情報をなかなか得られない事が多いので、どんなものであるかを視覚的にもお伝えしたいと私は考えております。関係者様各位のご了解・ご協力をいただければ幸いです。
戦争関連の自費出版、手記の情報を求めています。
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こちらへ bunkokan@ab.thn.ne.jpどうぞ
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