目次 |
一 はじめに |
二 体験文 |
<出征・軍隊・戦地> |
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兵隊送り |
一木幸治さん |
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私といくさ
一、敵戦車との闘い 二、ついに負傷 |
白塚三千雄さん |
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若き兵士の未明の朝食 |
中村眞一さん |
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海軍徴用船 |
宇利貞利さん |
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私の青春時代 |
河瀬整治さん |
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パゴダは見ていた地獄への進軍 |
加藤良行さん |
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九死に一生 |
筒井寿尓さん |
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軍国少年の挽歌 |
金五 満さん |
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終戦前後の回想記 |
廣 隆司さん |
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傷跡いまだ癒えず |
岡 忠郎さん |
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台湾海峡を越えて(少年兵の記) |
南 亮祐さん |
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波涛の中に浮かんだ母のわらべ歌 |
沖本豊一さん |
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トマトと兵隊
祖国の運命よりトマトの運命を心配したる不忠なる兵士の物語 |
高木一臣さん |
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虚しき追憶 |
鈴木勘次さん |
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墓標・彼の白き雲に祈りたい |
菊地三郎さん |
| 吹奏楽で出征兵士の見送り | 小松雋武さん |
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資料写真
軍隊手帳、開戦を報じる伊勢新聞、奉公袋、出世時家族と、戦地で書きとめた俳句帳のページ、英霊六軒駅に着く、など |
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<学徒動員> |
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学徒勤労動員の思い出
(一)明野飛行場 (二)陸軍造幣廠 |
海津力也さん |
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50年前の夏を想う |
岩井久子さん |
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学徒動員から50年 |
大谷麗子さん |
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青春時代を工場で(学徒動員) |
堀 壽々子さん |
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戦争がくれた青春
第一話大連に渡ったK子の事、
第二話学徒動員中、女工さんの死
第三話軍歌でない歌を歌わせた教師 |
浅井房子さん |
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忘れられないあの日 |
井上 壽さん |
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学徒動員と桑名空襲 |
出口 明さん |
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<外地で> |
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戦争とわが道程 |
岡川正規さん |
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忘れ得ぬ南京戦線中国人孤児 |
山中清太郎さん |
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満州国の最後の日 |
清井義雄さん |
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後世に語り遺したいこと −極限のその時に− |
渡辺一郎さん |
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敵産農園 |
日下徳重さん |
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日ソ開戦 長かった新京(現・長春)の3日間 |
門脇 実さん |
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運命 |
寺田 貢さん |
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戦勝記念日 |
大形とき子さん |
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資料写真
河畔での敵前歩哨、路上に多数の敵車の残骸、陸軍の海上特攻隊 米軍を震撼させた挺身爆雷艇 |
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<留守家族> |
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振り返れば |
新 すゑのさん |
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私の戦争はまだ終わらない |
池口寛幸さん |
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悲しかった戦争中の思い出 |
森田ぢうさん |
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戦地からの手紙 |
伊藤三枝さん |
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遺されて |
近藤ささへさん |
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雨降りが好きな子でした |
清水美澄さん |
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父を偲ぶ |
木下和代さん |
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弟達への鎮魂歌 |
進士まささん |
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戦争と愛の青春 |
四方谷 愛さん |
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<学校生活> |
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たこつぼ |
斎藤ユキさん |
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戦時下の学校生活をかえりみて |
長井 光さん |
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運動場が畑になった |
石倉綾子さん |
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わたしの青春前期 |
伊藤光典さん |
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私の受けた国民学校教育 |
三浦美弥子さん |
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わたしの国民学校時代 |
竹田イセさん |
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戦後50年の私の決意 |
中村隆至さん |
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母と乾燥バナナと私 |
鈴木みつゑさん |
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写真資料
女子師範学校野外射撃訓練、荒地の開墾の後で、女学校時代の実習作業甘藷掘りの一場面食糧難に頑張っていたありし日の風景 |
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<戦中のくらし> |
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昭和時代津市で最初の戦死者と女学校の頃 |
中野美智子さん |
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兵隊さん優先だった我が家の生活 |
村山英子さん |
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「行かない」と「行けない」 |
平野幹男さん |
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苦しき時代 |
伊藤雄二さん |
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戦雲の下で |
小島 威さん |
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癒えぬ戦いの傷跡 |
久村義雄さん |
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地の底で風が吹く |
山崎 智さん |
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九州へ炭坑奉仕 |
服部百代さん |
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ひぐらし |
長 美和子さん |
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愛馬と私 |
野末和子さん |
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セピア色の日記 |
長谷川博子さん |
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今も地震が一番恐い私 |
谷口美鈴さん |
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彼の人に、もう一度会いたかったと思いつづけた50年 |
平野ひささん |
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写真資料
終戦間際に拾った「伝単(ビラ)」日本をはさんで米ソの握手 |
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<空襲> |
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平和を願う橋三瀧橋 |
木村かつ子さん |
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桑名が燃える |
八馬貞雄さん |
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私の知っている戦争 |
本堂美知子さん |
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無くなって居た町(津市玉置町) |
澤村節子さん |
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駆け巡る恐怖−被災体験より |
河瀬朋子さん |
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我が町津の空襲を思い出して |
加藤つたさん |
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戦争の爪跡 |
小林靖子さん |
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伊勢にも神風は吹かなかった |
浜口宏子さん |
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あっという間に終戦50年
−広島原爆救護へ出動した思い出− |
勝田清和さん |
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原爆被災者の極限的惨劇 |
井出窪捷誼さん |
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写真資料
防空演習(女子師範のアルバムより)、空襲に備えてバケツリレーで消化訓練をする母達 |
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<引き揚げ・抑留> |
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かえり船 |
山下ソメノさん |
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北朝鮮「平壌」の思い出 |
奥野秀和さん |
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38度線を越えて |
小林和代さん |
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敗戦引き揚げの苦難乗り越えて |
谷口ますみさん |
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遥か満州(中国東北部)の地に眠る我が母と我が子 |
岡野すてゑさん |
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吉林脱出から家族との再会 |
井本 孜さん |
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遠き思い出 |
山下 郁さん |
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重い十字架 |
高田久之輔さん |
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北満州からの引き揚げ |
湊 章治さん |
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ヴエンキの森の中で |
中岡準治さん |
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我が半生 |
陰地茂一さん |
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戦後50年の思いで |
恩田正二さん |
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私のあゆんだ戦中、戦後
「入隊から終戦まで」、「異国での抑留生活」、「戦友の亡霊を追って」 |
川村仁造さん |
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<戦後の耐乏生活> |
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戦後の物資不足 |
小林つねさん |
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櫓を漕ぐ”かいな”は甲種合格 |
田中泰代さん |
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逆境の中から |
森谷悟平さん |
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少女の目 |
石川奈々子さん |
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中野学校の生残り |
羽地久子さん |
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平和をもとめて |
久世和代さん |
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青木知事と我が国際家族 |
磯部衛一さん |
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資料写真
戦後の御木本真珠王への米軍隊長の来訪、山羊と子供 |
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<復興・新教育・女性の活躍> |
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橋のたもとの蔵は見ていた |
東 和子さん |
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農家の悲願が実った日 |
河合虎郎さん |
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戦災復興土地区画整理事業とともに |
平子清則さん |
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玉音放送を聞いた「名張少女」の50年後雑感 |
川上弘子さん |
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廃墟で若ものたちは元気だった |
竹田友三さん |
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戦後の教育民主化の忘れられぬ一駒 |
竹田綾子さん |
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学制改革と職業教育実践 |
児島誠一さん |
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戦後三重県国民学校教員被追放者生残の記 |
藤田一男さん |
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新制中野球ばかりが強くなり |
綾野静夫さん |
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ぞう列車 |
萩原量吉さん |
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女性の自立と生きがいをめざして
◎女教師の母体保護と地位向上を、◎新しい時代を創造する力を、 (資料:1 平成7年の地方公共団体の議会における女性議員の数 2 平成7年度の県内の梢・中学校・県立大学の管理職における女性の数) |
佐々木かよさん |
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私の戦後50年 |
松井つやさん |
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資料写真
昭和21年8月30日伊勢新聞社発行の「日本民主化の新憲法」 |
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<平和を願って> |
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五十年目に叶った親子の対面 |
小瀬古月子さん |
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この秋・50年 |
後藤千鶴子さん |
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祖母の体験した戦争 |
大平 睦さん |
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VIVIR(生きること)を学ぶ |
帰山・セーサルナポレオンさん |
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戦争を知らない私たち |
村林友子さん |
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白い伝言板 |
藤島麻衣子さん |
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今に生きれる私たちは |
水谷紗由香さん |
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戦争のつらさ、苦しさ、悲しさ |
坂崎郁美さん |
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三 体験文に応募された方々のお名前(620名) |
四 体験文応募編数(郡市別・年代別) |
五 写真等の資料を提供された方々のお名前(93名) |
六 巻末資料 |
戦後三重県の歴史
一、敗戦と戦後改革
1.戦争の被害
2.連合軍進駐と戦後の民主化
3.廃墟からの再建と産業の復興
4.新教育と民衆文化
二、講和後の社会と工業化の進展
1.町村合併と地域開発計画
2.四日市コンビナート建設と産業の変化
3.伊勢湾台風の被害
三、高度経済成長と消費社会
1.地域開発の進展と地域格差
2.生活の変化と教育・福祉の拡大
四、低成長時代と地域の見直し
1.地域開発の再検討
2.環境保護と地方文化の時代
五、21世紀へむけて |
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データ-に見る三重県の戦後50年 |
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人口の推移、人口のピラミッド、市町村寸の推移、予算の使い道の推移県歳出決算額(一般会計)、県民総支出(名目)における衣・食・住費の推移、物価の推移(全国)、ファッションの変遷、住宅の推移、医療の推移、電気・電信の推移、自動車保有台数の推移、道路舗装率の推移、一地方の終戦前後の子供の遊び、米・麦・茶の収穫量の推移、農家数の推移、漁業生産量の推移、海面漁業漁船数の推移、工業製造品出荷額等の推移、商業統計総括表、電気製品の普及率、学校種別学校数の推移(その1)、学校種別学校数の推移(その二)、進学率の推移、 |
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年表(昭和6年2月〜平成7年10月)三重県の出来事、日本・世界の出来事 |
太平洋戦争関係地図 |
用語解説 |
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赤紙、アンぺラ、義勇軍、三光作戦(政策)、GHQ、事変、宣撫、大東亜共栄圏、パゴダ、バターン半島、八路軍、白系ロシア人、八紘一宇、仏印、仏印進駐、満州、満州国、満州事変、満蒙開拓団、蒙彊、盧溝橋、盧溝橋事件、 |
七 選考に携わって |
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選考委員長 丹羽友三郎、副委員長 濱田滋子、委員 谷嘉昭、委員 松村勝順、委員 谷てる子、委員 雨森弘行、委員 高松蓮丸 |
八 編集後記 |
九 三重県戦後50年体験文集発行委員会名簿 |
私の内容紹介
この冊子は、戦後50年を迎えた平成7年に、三重県の戦後50年の歩みを振り返り、平和への願いを
新たにするため県民に戦争体験文を募り、応募された620編の体験文より111編の体験文を選び、
まとめ、発行されたものです。
この冊子のために体験文以外に394点の写真等の資料も提供があったそうです。なお、この体験文等
の募集期間は平成7年8月1日から9月30日までとしたとのことです。この短い期間に多くの体験記が
寄せられたことは、それだけ過去の戦争の実態を正しく伝えようとの強い思いが、戦争体験者の皆様に
あったのだと思います。そして実際に応募されたものは、みな当時の時代を伝える生々しい体験を述べた
ものでした。
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