目次 |
(会報「四号」の発刊にあたって) |
大泉計一郎 |
(文化も進歩する) |
佐藤卓郎 |
(文化財友の会によせて) |
目黒 弘 |
(故郷の祭り囃子) |
畠山仁志 |
(観音さんと旅籠) |
佐藤慎吾 |
(民家探訪−大河原町大庭家住宅−) |
横山芳一 |
(聞き覚え帳 =友の会に尽くした人々=) |
大場吉樹 |
(白石川にちなむ地名雑感) |
鈴木冨欄矩 |
(白河藩主松平定信の藩政と天明の飢饉) |
竹川重男 |
(急ぎ足の今だからこそ郷土のいにしいを) |
目黒敏明 |
(大河原町文化財友の会の発足20周年に寄せて 「心の糧としての文化財)」 |
小田部晃二郎 |
(古い大河原町役場庁舎の思い出) |
岩城愛子 |
(小島地区の歴史) |
吉田 実 |
(金ヶ瀬のこと) |
山家幸内 |
海軍火薬廠の退廠式 |
大泉計一郎 |
(一代塔) |
平間喜栄 |
(紅花閑話) |
高橋武彦 |
(歴史的景観や建造物を遺そう) |
庄司 恭 |
(明治天皇の「行在所」の移転の経緯) |
高橋哲男 |
(仙南の中核都市に熱いエールを送ります。) |
高橋信幸 |
(肩のこらない税金のお話 幕藩体制における商人と税金) |
石添 亨 |
(乃木将軍と辻占売り(謹んで鈴木春治先生の御霊に捧ぐ) |
森 文男 |
(源氏物語) |
金野徳郎 |
(新制中学校) |
丸山ヒサ |
(高山開治郎「桜樹碑」の題字について) |
加藤研一 |
(みんなで語ろう!みんなで残そう!『1目千本桜』) |
原田 眞 |
(民族資料 亡き父の日誌(短歌)) |
小原啓作 |
(体験的日朝関係 生い立ちと重ねて) |
千坂光雄 |
(高等科三学年) |
吉田信治 |
(大河原町のさくらと高山開治郎一家) |
我妻正三郎 |
(おがちゃんのこと) |
山家幸内 |
(大河原町の医療の始まりそして今) |
日下 隆 |
(父の作った絵葉書) |
河内三郎 |
(20世紀の日本を省みて) |
鈴木 博 |
戦争のない21世紀を |
安喰好吉 |
太平洋戦争誌 |
山崎 甫 |
(百年河清を俟つ) |
小田部良子 |
(大河原町の二人の名誉町民) |
佐藤慎吾 |
(驚異の三内丸山遺蹟) |
山家 隆 |
(ふるさとの俳人群像)) |
高橋智恵子 |
(殉職者原田警部補を偲ぶ) |
大泉三郎 |
(中国の旅「蘇集・杭洲」) |
加藤研一 |
(悠久の千年王朝北京を訪ねて) |
高橋哲男 |
(トルコの旅) |
高橋昭子 |
(心に残った富廣美術館) |
大野なを |
(栃木方面の文化財めぐり 日光東照宮 富廣美術館 足利学校) |
高橋哲男 |
(栃木県方面の文化財めぐりに参加して) |
松田くに |
(平成13年 春の文化財めぐり 芭蕉の「奥の細道」を訪ねて) |
高橋哲男 |
(民話の里の伝説 姥ガ懐) |
薄木はつ子 |
(摩崖仏あらかると) |
大槻秋美 |
(「こんにゃく」と風船爆弾 |
渡辺正彦 |
(私の思っている事) |
荒木良子 |
(遠来の客人たち) |
小田部良子 |
(馬取山に立ちて) |
大槻茂好 |
(大河原町に下りて) |
渋谷開造 |
(大河原駅の変遷) |
佐藤武子 |
(トマトに思う) |
佐藤昭子 |
(新民謡 ふるさと大河原) |
野口真策 |
(おおがわらハーブ菓子研究会 喜多屋) |
中村百合子 |
(うたかたの流れに) |
佐藤 進 |
(佐太郎短歌の音楽化) |
菊地嘉雄 |
(わかし少年の日 淡堅堂薬舗) |
水戸嘉一 |
(大河原弁寸感) |
庄司 恭 |
(masticationを科学する) |
村上正光 |
(今も考えさせらテいること) |
小室かつゑ |
(大河原町文化財友の会20年の記録) |
事務局 |
(文化財めぐりの早見表 年度毎) |
事務局 |
(文化財友の会会員名簿 平成13年8月現在) |
事務局 |
(役員名簿 編集を終えて) |
事務局 |
※目次内の( )の題名は戦争体験記とは関係ありませんので、管理人の責任で( )を付けさせていただきました。ご了承ください。
戦争関連文は太字の題名になります。 |
私の内容紹介
「海軍火薬廠の退廠式」は、大倉精神文化研究所内図書館の旧制高等学校文庫目録に載っている”第一海軍火薬廠退廠式”の文を紹介しています。敗戦により火薬廠から出てゆく動員学徒の退廠式の様子と動員学徒の率直な気持ちをつづった文を掲載しています。至極残念という気持ちと決意新に将来の建設に向かって邁進する気持ちをそれぞれの生徒が綴っています。
「戦争のない二十一世紀を」は、安喰さんが、徴兵検査で甲種合格してから、各地を転戦し、昭和21年10月に復員帰国するまでを綴ったものです。
太平洋戦争誌」は、山崎さんが戦争当時新聞紙上で報道された大本営発表と帝国陸海軍部発表を記録したものです。昭和16年12月8日の開戦の日から終戦後の昭和20年9月16日までの記録から、抜粋したものです。(全文はA4サイズで約60ページになるそうです!)報道管制のしかれた状況ですので、戦後にわかった事実と違うことなどが記録されていますが、戦争中という当時の状況下ではやむを得ないことだと思います。それにしても、大変な労作だと思います。筆者は、開戦当時高等科1年(現在の中学1年生)在学のため夜に新聞記事より書き写したそうです。それをほぼ毎日続けたのです! |