目次 |
戦争体験記の出版に寄せて |
静岡県退職婦人教職員連絡協議会 |
水野シヅ |
『絣のもんぺ』刊行によせて |
1990年静岡県教職員組合小笠支部長 |
内藤紀男 |
第一部 教職にあって |
背に負うたもの
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一、センセハ エライ 二、地下のハ工場 三、牧の原大井海軍航空隊員と共に 四、大君に召されて 五、満蒙開拓義勇軍 |
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資料写真
戦争はいずこへ原野谷川の春(1987年)、ハ工場
後洞穴(1987年)、朝鮮の人の飯場跡(1987
年)、 |
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小関春子 |
資料 「連行で掘らせた軍需地下工場」1990年5月15日朝日新聞記事 |
あの日、あの時 |
渡辺愛子 |
私と戦争 |
中村芳子 |
心に残る先生 |
飯田美代 |
銃後 |
松本さと |
菊水青年学校で
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村松不二子 |
青年学校の思い出 |
今井淑子 |
石ころの道 |
坂部ふみ |
教師としての出発 |
鈴木ひろ(聞書き)
青野志津子(記録) |
戦時の女学校と動員の思い出 |
大角幸子 |
子らと共に
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疎開児童と共に、敗戦の色こい頃、平和の喜び |
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資料写真
「女性用」の修身教科書 |
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太田春子 |
五十三つぎ |
山本ちづ |
御真影
資料写真
奉安殿(河城国民学校 1945) |
三浦幾代(記録) |
四大節 |
太田春子 |
第二部 女学生として |
女学生
資料写真
女学生の制服 |
鈴木敏子 |
暗渠排水
資料写真
暗渠排水の奉仕作業(堀之内高等家政女学校・19
43年) |
鈴木 巨 |
裡里(イーリー)女学校で |
吉岡澄江 |
学徒動員の思い出 |
石川ツヤ |
ペンをハンマーにかえて |
青野志津子 |
沼津海軍工廠へ |
(聞書き)
青野志津子(記録) |
風船爆弾
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動員命令下る、マルフ作業、戦闘機搭載用機関砲の部品つくり、空襲が激しくなる、終戦の日、その後 |
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資料写真
学徒動員で亡くなった人たちの碑
(広島平和公園) |
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野ヶ山かづゑ |
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名古屋軍需工場へ
資料
制服はモンペ姿に(掛川高女の場合) |
田中初枝 |
卒業と同時に挺身隊へ
−堀之内高等家政女学校−
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鈴木織機 |
西井きよさん談 |
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浜松工機部 |
中上とき子さん談 |
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東京無線 |
米山幸枝さん談 |
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小林寿美枝 |
小糸航器での地震 |
高橋とし子 |
挺身隊わが青春 |
杉山ちづ |
挺身隊参加の人たちの話
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菅沼よし子、松沢姫叉子、岡本照子、岡村カヅ、和田愛子 |
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資料
学徒動員状況より
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旧制校名 |
現在高校名 |
動員人数 |
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栄川中学校 |
掛川西高校 |
500名 |
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掛川高等女学校 |
掛川東高校 |
700名 |
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小笠農学校
堀之内高等家政女学校 |
小笠農業高校 |
335名 |
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85名 |
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池新田農学校 |
池新田高校 |
72名 |
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座談会
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出席者 |
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青野志津子、天野はま、井伊谷さちえ、井上美喜子、今井淑子、小関春子、倉山満江、小林寿美枝、坂部ふみ、杉山さきゑ、辻 晴子、野ヶ山かづえ、原田光子、平井瑞枝、松浦豊子、松本さと、山崎裕子、吉岡澄江、三浦幾代 |
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井伊谷さんのご主人の慰霊のこと、東南海地震のこと、戦中のこと、地域的な戦中のこと、学童の集団疎開のこと、私の8月15日 |
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記録 三浦幾代 |
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参考資料
小学校祝日大祭日儀式唱歌一覧 (「ボクラ少国民」山中恒より) |
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第三部 戦いの日々 |
遺骨のない葬儀
資料写真
戦没者合同葬会場の堀之内国民学校へ向かう列 |
今井淑子 |
食糧事情 |
石川淑子 |
従軍看護婦 |
山崎裕子 |
貧しさの中で
資料写真
学童の縄ない(東山口国民学校 1943年) |
坂部ふみ |
疎開者を迎えて |
田辺一恵 |
キスカ島沖に眠る夫
参考資料
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アリューシャン列島(掛東高「家族の戦争体験記」松井美季江) |
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井伊谷さちえ |
草の実の青い国境で |
平尾三千代 |
兵隊駐留 |
渡辺愛子 |
静岡の空襲 |
池谷のぶ |
徴兵検査 |
小関春子 |
軍隊生活
資料写真
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宮城外苑整備作業入場行進(堀之内家政女学校 1943年) |
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宮城外苑芝の整備作業(堀之内家政女学校 1943年) |
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大石三郎 |
蝗のふりかけ |
青野志津子 |
屁のような話 |
栗田有城 |
朝鮮の子どもたち |
井上美喜子 |
石ぞ冷たき |
戸塚 昇
戸塚ひさ |
碧空に |
中村芳子 |
慰霊祭 |
田中初枝 |
湖北省 |
小関福実 |
八月 |
三浦幾代 |
<昭和14年の作品>
野戦の先生へ 大坂小学校「郷土だより」
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大坂小学校長鷲山隆治、尋三伊藤 寛、尋一小原秀雄、俳句と短歌(尋六作品・高一女作品・高二作品)、 |
資料写真
大坂村女子青年団(昭和14年) |
明暗をわけた青い目の人形
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(一)人形が贈られたころ
朝比奈(浜岡北)小学校の場合
堀之内小学校の場合 |
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(二)戦争中の人形
掛川第一小学校の場合 |
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(三)「青い目の人形」処分通達について |
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(四)生き残った青い目の人形 |
資料写真
マーベル・ワレンちゃん人形(1990年12月)
参考資料
人形を迎える歌
静岡県公報 第4792号 昭和18年1月18日 |
取材 小林寿美枝 |
第四部 子どもたち |
岳陽少年団
資料写真
堀之内国民学校
西山口国民学校 |
小林寿美枝 |
餓(ひも)じさ
参考資料
戦車 西山口小四年 大村昭吾(昭15年作)
資料写真
バンザイ、バンザイ(堀之内国民学校) |
石川廸子 |
<昭和18年の作品>
千人旗と胴巻 (「少国民文化」昭和18年) |
横須賀小高二
鈴木い志 |
<昭和17年の作品>
勝ち抜く為に (「日本少女」昭17) |
横須賀小高二
戸塚ふさ |
<昭和13年の作品> 昭和13年度佐倉小学校「霞陽文苑」より」
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兄の出征 |
佐倉小 清水俊郎 |
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参宮車中のできごと |
佐倉小高一 大竹重雄 |
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漢口陥落 |
佐倉小高一 岡本恒夫 |
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害虫駆除 |
佐倉小高二 清水 進 |
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第五部 学童集団疎開 |
小笠郡への学童集団疎開
東京・大森区(現大田区)から732名
参考資料
小笠・掛川への学童集団疎開一覧表
(静岡退婦教小笠支部調べ90.9.1) |
三浦幾代 |
疎開学童を迎えた小笠の人びと |
永江院に学童疎開を受け入れて
資料写真
永江院前で川遊びを楽しむ(1944.9)
永江院(1990) |
岡田淑子 |
紙芝居で慰問 −浦上喜平さんのこと−
資料写真
「この紙芝居をもって慰問」と語る浦上さん(1988年) |
坂部ふみ |
善勝寺・そのころを語る
資料写真
善勝寺山門、善勝寺への古道 |
青野志津子(取材) |
鉄砲屋のこと |
坂部ふみ(取材) |
妙照寺に来た子たち
資料写真
妙照寺疎開学童(昭和20年) |
高木俊雄 |
禅窓余談
資料写真
河城の山なみ(1990) |
安藤禅雄 |
女優 岩崎加根子さんのこと |
村田いく |
興嶽寺へ来た子たち
資料写真
興嶽寺山門 |
「菊川町史近現代通史編」、「横地村誌」、興嶽寺住職近藤孝義さんのお話より |
<回想記>ああ、学童疎開 −その時、教師だった− |
想い出
資料写真
地震のため蓮福寺から天理協会へ |
鈴木英男
(当時天然寺学寮長) |
小夜の中山
資料写真
西行歌碑もある小夜の中山 |
松本好子
(当時引率教師) |
思い出づるままに
資料写真
真如寺本堂 |
杉江憲太郎(当時久ヶ原国民学校長 |
青いすもも |
森 留治(引率教師) |
<回想記>ああ、学童疎開 −そのとき、子どもだった− |
「ああ、学童疎開」二編 |
本田永朔 |
蓮福寺疎開を語る
出席者
佐藤ミヨ子、村山栄子、石川静子、岩崎賀子 |
坂部ふみ(取材) |
浦上喜平さん |
青柳純一 |
私の思い出 |
山中真人 |
善福寺での生活
善福寺への疎開・思い出すこと
<東南海地震>、<善福寺住職の死>、<特攻基地建設>
資料写真
善福寺本堂(1990年) |
鈴木鉄男 |
初秋の空の赤とんぼ |
山口弘二 |
昭和19年
資料写真
善勝寺の森(1990年) |
上田葉子 |
心の記念日 |
横山秀雄 |
こころの故郷 |
藤原暘子 |
石川先生の思い出 |
勝峰喜代子 |
私たちにとっての小笠 |
石井道子 |
観音像に託す父母の祈り
資料写真
疎開観音堂
神宮寺疎開の学童(昭和19年) |
三浦幾代 |
<そのころのつづりかた> |
子等の詠へる -序にかへて- |
東京都小池国民学校渋民第一学寮 |
伯父さんへ |
佐田尚三 |
浦上の小父さん |
森 直也 |
伯父さんへ |
上田伊美子 |
浦上の小父様 |
下村勝子 |
妙照寺日記(昭和19年10月17日〜11月22日)
資料写真
地区の人たちと共に 妙照寺で(昭和19年) |
芝山三枝 |
田植 |
佐藤喜代美 |
疎開から帰って |
猪俣陽子 |
先生がよい子にしてくれた |
佐々木久子 |
決戦句集(昭和20年) |
東京都池上国民学校 養徳院学寮 |
やっぱり東京はいい |
西野和子 |
少年とノミと敗戦と |
中川彰宏 |
養徳院での学童疎開の記録
一 疎開通信
二 疎開絵日記
冨沢富美雄、吉井宏幸、永野和道、
鵜沢 修、横山秀子、大坂年布、
三 森ノート
四 再疎開
五 詩集 疎開部隊
資料写真
養徳院南側の畑から(昭和19年10月頃)
どろんこ道を水運びする児童(昭和19年10
月頃)
母校池上国民学校をあとに疎開先へ5年2
組(昭和19年7月20日)
本堂での食事風景(昭和19年10月頃)
床屋さん・東南海地震の直前だった(昭和
19年11月頃)
B29初めて本土偵察のため御前崎上空を
北上(大井航空隊写真班撮影 昭和19
年11月1日?
養徳院の庭で(昭和19年10月頃) |
三浦幾代 |
第六部 東南海地震にみまわれて |
<教師の体験> |
忘れられない大地震
資料写真
掛川市梅橋地内の原野谷川堤防の地割れ。
被災直後 |
中村芳子 |
東南海地震に遭う |
太田春子 |
四〇度くらい傾いて |
小川正作 |
地震と戦争と
資料写真
袋井市宗円寺の地震慰霊碑には死亡者120
名の氏名がある |
平井瑞枝 |
「助けてー」の声が今も
参考資料
地震当日の校務日誌(平田国民学校) |
佐野紋一 |
机も腰掛もつぶれる |
都築栄一 |
屋根棟が蛇のようにうねって
参考資料
平田国民学校の被害状況(平田小 沿革誌) |
鈴木忠一 |
南山校で |
森 留治 |
関東地震ほどの激震 |
赤堀洪造 |
「東南海地震の家屋被害と地盤との関係」
参考資料
菊川低地の被害分布図
小学校(国民学校)の被害(昭和32年) |
大庭正八 |
墓標の間を四つんばいになった子ら |
土屋幸子 |
池新田小での体験
参考資料
新聞報道 |
杉浦律子 |
<子どもとしての体験> |
掛川第一国民学校で
資料写真
二階建ての下が壊滅・掛川 |
関 七郎 |
勉強どころではなかった時代 |
松下藤雄 |
第七部 小笠・掛川地域の戦争 |
高田ヶ丘の「花嫁学校」
資料写真
一期生(昭和17年)
大陸の花嫁をめざして
収穫物を貨車に積む開拓団
第一回生出発記念、静岡浅間神社(昭和17)
参考資料
静岡県女子拓務訓練所綱領 |
三浦幾代(取材) |
遠江射場
資料写真
遠江射場の跡(睦浜中アルバムより、1950年) |
中村芳子 |
或る日 |
Y・S生 |
砲弾に散った人びと
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み霊よ安らかに
資料写真
菊川町沢水加から見た小笠の山々(1980・10)
射場トンネルの向うは遠州灘(1990・12) |
泉 まつ |
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幼い命
資料写真
牧之原大井海軍航空隊跡地
小笠町古谷・丹野に投下された缶詰爆弾 |
赤堀志ず子 |
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資料
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掛川市への爆撃 |
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菊川町への爆撃 |
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小笠町への爆撃 |
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浜岡町への爆撃 |
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大須賀町への爆撃 |
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大東町への爆撃 |
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戦争にかかわりのあった場所 |
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戦死者、戦傷者、地域内での爆死者の数 |
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年表(私たちのとっての十五年戦争)1931年〜1945年 |
国・県の出来事、その頃の学校・地域(小笠郡中心)、ある女教師の回想 |
参考図書 |
小笠退婦教名簿(1990・4現在) |
おわりに
坂部ふみ、小林寿美枝、三浦幾代、青野志津子、小関春子 |