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「第41教育飛行隊」 隼18434 少年飛行兵たちの回想 全文掲載 |
これは平成2年6月、元第41教育飛行隊員だった仙石敏夫さんが
同期の方達に募集した「思い出の一文」をまとめ、自費出版にて発行したものです。
はじめに
大同会の開催を考え初めてから約十年、昭和六十二年八月、鈴木、深田、西川三氏のお骨折りによりやっと大阪で大同会を実現することが出来ました。
この第一回の大同会で気が付いたのは、水原から会文へ移動した頃から、終戦前後のそれぞれの事情を何も知らなかったということであります。
少飛第十四期生全国大会も二十回余になり、その間に大同会のメンバーにもずいぶん会っているにも関わらず、何故か水原以後の事が話題になっていないので、宣徳で別れた同期諸兄は全部シベリアヘ抑留されたものとばかり思っていました。
今回皆さんに「想い出の一文」をと募集したところ、こうして多数の手記を寄せて頂きましたので、水原以後のそれぞれの様子は判明してきましたが、その人数、氏名については「第四十一教飛復員者名簿」
「新義州第十二錬飛操縦者名簿」を照合してもまだはっきりとしていないのが実情であります。
尚、長野さんは第四十一教飛出身の一部の諸兄と宣徳からシベリアヘ抑留され、何年もご苦労されたと聞き、その体験を是非お願いしたいとご無理を申し上げ、ご投稿をお願いしたものであります。
ここにご投稿を賜った諸氏と印刷、製本に関する富取氏のご協力に心からの謝意を表するものであります。
平成二年六月
仙 石 敏 夫
平成2年6月発行
「第41教育飛行隊 隼18434部隊 少年飛行兵たちの回想」より転載
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