海外旅行 マカオ編 2017年07月
「現地係員がご案内する マカオセレクト マカオ4」 LOOK JTB
前ページの「2日目マカオ観光@午前」でも書きましたが、坂の上り下りが多く想定していたよりも時間が掛かってしまいました。予定では午前中に20ヶ所目(カテドラル)近くまで進みたかったのですが残念。午後は馬力を上げましょう。
一応この時期は雨季と言うことで雨の覚悟をしていましたが、午前中はその気配は全くありませんでした。スコール的に突然ドバっと来るのかと考えていたら、やはり来ました。この時期の観光には折り畳みの傘は必要のようですね。
ルート その3
ルート その3 午後はセナド広場の黄枝記粥麺店からスタート。
世界遺産:N 三街會館(関帝廟)
14:30 三街會館(関帝廟) 「セナド広場」から有名なお土産屋さん(笑)の脇の道「公局新市南街」を進むとあるはずですが、三国志ファンとしては非常に残念な建物。だって、周りが大変汚い。生活感がありすぎる。露店があったりトラック止まっていたりと、気が付かないで行ってしまいそうでした。
三街會館 内部 外側と違い、内部は十分に管理されているようです。おじさんが掃除をしていました(笑)。中華圏名物のグルグル線香がたくさんぶら下がっているので、参拝客もたくさん来ていると思うので、本当にもう少し建物の周りを綺麗にしてほしいものです(涙)。
世界遺産:O 聖ドミニコ広場
14:45 聖ドミニコ広場 再び「セナド広場」戻り、「議事亭前地」を北上。人混みがすごいですが、直ぐに「聖ドミニコ広場」に到着。撮影ポイントの一つなので、皆さんカシャカシャ。
世界遺産:P 聖ドミニコ教会
14:45 聖ドミニコ広場 黄色い壁に漆喰模様が大変美しいファサードの「聖ドミニコ教会」。外壁が黄色系の教会はマカオに多数ありますが、ここが一番メリハリが効いていると思います。
ドミニコ修道士会の教会ですが、1834年に弾圧に合い閉鎖されてしまいました。残った建物は兵舎として転用されていましたが、1996年に修復され、公開されるようになりました。ドミニコ修道士会はスペイン系の修道士会。ポルトガルとスペインが同一君主だった時代にイエズス会(ポルトガル系)の強いマカオに進出してきたのでした。
聖ドミニコ広場 祭壇 外部の騒がしさとは隔絶した静寂さがあります。参拝や見学されている方々は極少数です。一般的に、大陸系の方々は外見だけで満足されるようですね(苦笑)。見方を変えると、静かに見学や祈念できることは良いことです(笑)。ちなみに脇に小さな博物館が併設されています。
歴史的建造物:I 板樟堂街
14:50 板樟堂街 綺麗な石畳ではありますが、世界遺産ではありません。この通りは19世紀欧米の商人が多数住む地区となり、それらの人を相手とする中国人も住み始めたため、華洋折衷の建物が多いそうです。短い通りですが、マカオを代表する繁華街の一つです。
世界遺産:Q カテドラル広場
14:55 カテドラル広場 「板樟堂街」を進むと視覚的には大堂が目に入りますが、まずはここに立ち寄りました。ご飯食べたというのに、疲れたからです(笑)。この広場も人が少ないですね。そういえば、マカオの世界遺産でセナド広場以外「○○広場」自体を観光している人はあまりいないなぁと思いました。我々と同じように、疲れて休んでいる人ばかりのような・・・。広場と広場にいる人を観察する物好きな夫婦です(笑)。
世界遺産:R カテドラル
14:55 カテドラル 広場に面してマカオのカトリック司教座が置かれている大堂。この辺りにはマカオのキリスト教を監視する司教区の事務所(教座堂弁務室や天主教主教公署など)が集まっています。
カテドラル 内部 格の高い教会とのことですが、個人的には「聖ドミニコ教会」のファサードや「聖ヨセフ修道院及び聖堂」の祭壇に比べると若干華やかさは劣ると思います。非常に落ち着いた教会です。他の教会ではあまり目にしなかった、ステンドグラスを多用していような気がしました。
世界遺産:S 蘆家屋敷
15:25 蘆家屋敷 「板樟堂街」から「大堂巷」に進むとあります。今回の訪問時、各所で工事が行われており、丁度この建物を隠す感じで作業が行われていました。そのため、目の前なのに気が付かず、しばらくウロウロ探しました(苦笑)。
周囲のコロニアル様式とは全く異なる建物。ガラス自体が高価な時代にステンドグラスがあることから、かなり裕福であったと想像できます。
蘆家屋敷 漆喰彫像 ここは蘆一族の屋敷で、マカオ政府からカジノ開設権を独占的に得たことで、巨額の富を得たそうです。中華系の建物でありながら、欧風も加味した贅沢な造りとなっています。漆喰の彫像も多数あり、彩色鮮やかで立派なものです。
さて、ここでマカオ世界遺産20か所目、完全制覇まであと10か所(汗)。
歴史的建造物:J 大三巴街
15:40 大三巴街 「蘆家屋敷」から来た道を戻り、「聖ポール天主堂跡」方面に向かいましょう。大お土産屋さん街道「大三巴街」。いろんな匂いがしていて、いろいろな試食サンプルをたくさん配っています。素直に試食していると、お腹いっぱいになりそうです。道幅がそれほど広くないので、他の人にぶつからないように注意しましょう(笑)。スーツケース引きずった大陸系の方が多数おられますが、ホテルなどで預かってもらえばいいのに・・・。正直邪魔でした。
世界遺産:(21) イエズス会記念公園
15:55 イエズス会記念公園 「聖ポール天主堂跡」手前の広場になりますが、人・人・人・人・・・。写真で見ると隙間が空いているように見えますが、実際の目で見ると嫌になるほどの人の壁。しかし、この壁を突破しなければ、天主堂跡にはたどり着けません。
世界遺産:(22) 聖ポール天主堂跡
15:55 聖ポール天主堂跡 マカオを象徴する史跡の一つですね。もともとは「聖アントニオ教会」の付属礼拝堂として1582年に建てられました。カトリック修道士を養成する教育機関として「聖パウロ学院教会」と呼ばれてたようです。ここで学んだ修道士が日本や中国で布教活動を行いました。1601年に火災で焼失。30年以上かけ1640頃にイエズス会の手で再建されました。ところが、1853年に正面のファサードだけ残し大火で再度焼失。この異様な光景が我々に強い印象を与えるのでしょう。
あれっ、妙な少し涼しい風が吹いてきました。湿気も増してきたような・・・。
聖ポール天主堂跡 1640年ごろの再建にはキリシタン迫害で日本を逃れた人々の協力もあったとされています。聖ポール天主堂の正式名称は「聖母教会」。だからファサードの彫刻に聖母があるのでしょう。頂上の十字架の下には鳩の彫像。その下には6体の天使に囲まれた聖母マリア。その下には4人の聖人像があり、向かって右から2番目がフランシスコ・ザビエル。
聖ポール天主堂跡 裏側 ファサードの裏側。もしこの建物が現存していたならば、かなりの規模だったのではないでしょうか。あれま、正面の階段にいる人数と比較するとかなり少ない。やはり、大陸系の方々は外側だけが好きなのでしょう(笑)。さらに奥に進むと納骨堂があります。そして、写真左側の金属柵側は墓地の跡だそうです。
聖ポール天主堂跡 納骨堂 日本人殉教者も眠っている納骨堂。
食事場所:H 黄枝記粥麺店
13:40 黄枝記粥麺店 蝦雲呑麺が有名な「黄枝記」に着きました。13:30を越えていますが、結構混んでいます。お店入口右側にいる店員さんに人数を伝え、番号カードを貰います。電光掲示板に自分の数字が出たら中に入れます。自分の番号まで20番先客がいました。結局40分待って10分で食べました。混んでいると相席になるようです。食べたメニューは「お土産&食事」でご報告します。
エネルギーを充填したら、午後の観光と行きましょう。