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海外旅行 マカオ編 2017年07月

「現地係員がご案内する マカオセレクト マカオ4」 LOOK JTB
 ガイド本でも1日で30ヶ所の遺産周れるようなこと書いてます。地図を見る限りではできそうな感じ。途中食べ歩きでもしながらテクテク歩くかと甘く考えていました。
 結論から書くと、1日で29ヶ所で断念。ギア要塞の攻略ができませんでした。敗因として…
 @「アップダウンを考慮しなかったこと」 マカオは結構坂の街です。
 A「暑さと湿度を甘く見たこと」 タオルがビショビショになるほど汗だくになりました。
 B「若干観光を欲張ったこと」 世界遺産以外の史跡を見ようと最短ルートを外れた。
 これら3点が考えられます。特に地図は平面ですからね・・・。坂を全く考慮していませんでした。もし、このホームページを読んでマカオに興味を持たれたならば、これらの事を留意して頂きたいと思います。

2017年07月27日

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8:50 ホテルリスボア
 1日で30ヶ所行くためには朝早い出発が必須ですが、まずは「民政総署」を入場観光したいので、9:00にそこに到着するようにホテルを出ます。

ルート その1

地図C
ルート その1
 ホテルを出てからのルート。今回は持参のGPSが不調で、とんでもない場所を示すので、自分で観光先を地図上に記入しました。以下の写真説明に場所の記号or番号と対応しています。また、右下に縮尺を載せているので、距離感の参考にしてください。

歴史的建造物:A 大西洋銀行総行大楼

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8:55 大西洋銀行総行大楼
 ホテルリスボアから殷皇子大馬路を西に進むと、コロニアル様式の建物の上に近代的なビルが乗っかった感じの銀行です。ここはマカオの紙幣を発行している銀行の一つです。

歴史的建造物:B 郵便局大楼

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8:55 郵便局大楼
 皇子大馬路が南湾大馬路と交差すると新馬路(亞美打利瑕木庇盧大馬路)と名前が変わります。この路はマカオ最大の繁華街と言われています。元々は非常に短い通りだったそうですが、埋め立てでマカオ半島を東西に横断する長い通りになったそうです。郵便局の西側はもうセナド広場です。

世界遺産:@ 民政総署

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9:00 民政総署
 「大西洋銀行」を通り過ぎ、ホテルリスボアから歩いて約10分。この時間帯では通勤の方々と思われる人が多く、明らかに観光客と見受けられる人は少ないです。少し落ち着いた見学ができるでしょう。ここから30ヶ所巡りが始まりますが、少し建物の中を見学します。

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アズレージョ
 アズレージョはポルトガル文化の典型的なタイル。鮮やかな青いタイルが壁の下側に用いられています。写真では花をモチーフにしていますが、当時の船や建物を題材としたアズレージョもありました。

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教皇境界線の記念碑
 民政総署の中庭です。丸い石が二つ見えますが、これは「教皇境界線の記念碑」。ポルトガルとスペインが領土争いをしないようにと、新領土の分割を決めた条約がトルデシリャス条約およびサラゴサ条約。この条約によりマカオの権益がポルトガルに確定しました。時代がそうさせたのですが、勝手に地球を分割とはいい迷惑ですね。ただ、大航海時代におけるポルトガル・スペインの全盛期を物語る遺物です。

世界遺産:A セナド広場

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9:00 セナド広場
 民政総署の向かい側の広場が「セナド広場」です。現地時間の9時少し過ぎ。見てください、この無人の広場。早起きは三文の得と言いますが、十分にお得と思います。落ち着いて見学するなら早朝です。ただ、ツーリストカウンターは開いていましたが、その他の店舗の開店状況は確認しておりません(苦笑)。

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セナド広場
 上の写真の噴水より北側(ドミニコ教会側)に進んでみました。この後数分もしたら観光客がドッと押し寄せてくるのでしょう。まだゴミも落ちていなく、非常にきれいな広場です。

世界遺産:B 仁慈堂

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9:20 仁慈堂
 マカオの「仁慈堂」は1569年に創建された、アジア最古の慈善団体です。欧州医学を基本とした貧民救済や、孤児院などを運営していました。現在の建物は18世紀に建てられ、19世紀に改修されています。2階は博物館になっていて、テラスから見るセナド広場の絶好の撮影ポイントだそうですが、この時間はまだ開館前です。
 それでは「媽閣廟」方面に移動します。「民政総署」前は流しのタクシーを多量に見つけられますが、交通量が多いのでタイミングに注意してください。信号機との相性が悪く、10分位空のタクシーを見送りました(汗)。

ルート その2

地図D
ルート その2
 タクシーでC媽閣廟まで移動。その媽閣廟からのルート。午前中に観光できたC〜Mまで。ちよっと見難い地図となってしまいましたが、縮尺は一目盛100m。ちなみにAはセナド広場。

世界遺産:C 媽閣廟

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9:45 媽閣廟
 タクシーはマカオ半島西側の「河邊新街」を南下し、運賃はMOP25。我々の乗ったタクシーは距離と値段を記載した料金表をまず渡してくれました。不案内なので通ったルートはその時は分かりませんが、メーターに表示された距離と料金が合致するので、ひとまずは安心して乗れました。
 マカオにおける最初のポルトガル人上陸地点はこの辺りとの説がありますが、定かではありません。ただ、当時のマカオ半島のこの辺りは波も静かで、船舶の停泊には適していたようです。また、「阿媽」は航海の神様ですから、あながち本当かもしれませんね。

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媽閣廟 奥の祭壇
 門のすぐ前に祭壇があるのですが、小山を登る感じで奥に進めます。あちらこちらに祠があり、信心深い方々がお祈りをしていました。ちなみに奉納する渦巻き型の線香ですが、1ヵ月燃える物だとMOP400、1年物はMOP4,000です。結構お高いのですね(笑)。

世界遺産:D バラ広場

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10:00 バラ広場
 「媽閣廟」の前にある広場。一面に波模様のポルトガル式石畳の美しい広場です。結構な広さあります。バラ広場の由来、バラ=薔薇?薔薇が咲いていた場所??石畳が薔薇の模様??ポルトガル語でバラは港の入口の意味らしいです。そもそも、この辺は埋立地なので薔薇由来は弱いですね。媽閣廟の経緯を考えると「港の入口」が正解のような気がします。
 そろそろ、小旗を持った大陸人が多くなってきました。ツアーパックの場合、かなりの確率で「媽閣廟」はコースに入っているようなので。

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媽閣斜巷・媽閣街
 「媽閣斜巷」は途中から「媽閣街」と名称が変わります。この道は一方通行なので車は前(北)方向からのみ来ますが、狭い上にバスも通り、交通量も以外に多いので注意が必要です。古そうなアパート群があり、生活臭充満です(苦笑)。そしてまた、結構な上り坂です。次の目的地、「港務局大楼」が見えてきました。

世界遺産:E 港務局大楼

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10:15 港務局大楼
 比較的手入れの悪い(苦笑)住宅街に目立つ鮮やかな建物が、「港務局大楼」です。1874年にインドから派遣された将兵の駐屯地として造られた「モロー人兵舎」。インドイスラム風の建築様式のためか、回廊は風が抜けやすい構造のようです。

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港務局大楼 事務所内の大砲
 ここは現役の役場として機能しているため、基本内部の見学はできないようです。ただ、玄関を覗いていたら警備の人が中に入れてくれ、玄関ホールのみですが見学させてくれました。これはマカオに駐在していたポルトガル軍の装備だそうです。

世界遺産:F リラウ広場

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10:35 リラウ広場
 「港務局」の前の「媽閣街」をさらに北上。路駐も多いうえに、一部で道が劇的に細くなるので本当に注意してください。
 しばらく歩くと、多数のお年寄りがくつろいでいる広場が目に入りました。まさかここ?看板を確認。「亞婆井前地」のプレートがあるではないですか。あら〜、石畳は綺麗なのですが、なぜか感動が薄い・・・(苦笑)。

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リラウ広場 噴水
 なんの変哲もない広場ですが、歴史的には重要な場所で、ポルトガル人が最初に住み始めた場所と言われています。それは飲料に適した井戸があったから。それを記念した噴水でしょうか。

世界遺産:G 鄭家屋敷

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10:40 鄭家屋敷
 「リラウ広場」の目の前が「鄭家屋敷」です。急に雨が降ってきたので急いで建屋に入りたいと思います。このお屋敷は思想家・教育家にして実業家として活躍した「鄭観應」の故居で、辛亥革命を起こした孫文にも影響を与えたと後で知りました。

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10:40 鄭家屋敷
 こじんまりとした建物かなと思っていましたが、入ってみると奥にかなり広い建物です。かなりの規模で相当財力があったことがしのばれます。併設されているお土産屋さんに「ばらまき土産」に最適な小物があります。他のお店で見かけなかったものなので、興味があったらどうぞ。と言うか、購入しなかったこと後悔しています。正に一期一会。

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亞婆井街
 雨も上がったので、次の目的地に向かいます。世界遺産のみを目指すなら、このまま「「媽閣街」改め「高樓街」を進むのですが、寄り道をして「ペンニャ教会」を目指します。手にした地図ではリラウ広場の横に結構幅広い道があるはずなのですが、見当たりません。恐る恐るプレートを見ると「亞婆井街」。めちゃくちゃ生活道路のような気がしますが、度胸を決めて進むことにしました。ここからが、計画の甘さを認識し始めた始まりでした(汗)。

歴史的建造物:C ペンニャ教会

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11:20 ペンニャ教会
 「亞婆井街」、「竹室正街」、「西望洋斜巷」と進みます。立体感を掴めない地図を頼りにした結果、とんでもない急坂を大汗をかきながら登りました(大汗)。
 ペンニャの丘の上に建つこの教会は1622年創建だそうですが、途中消失と再建の歴史があるそうです。なぜか世界遺産ではありませんが、整備された綺麗な教会です。

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ペンニャの丘のマリア像とカジノホテル群
 大汗をかいた分は報われる風景が広がっていました。マカオ半島南側で一番高い丘ではないのでしょうか。南のタイパ地区や西の中国大陸など結構遠くまで見渡せます。写真は東側の風景。我らのホテル・リスボア方面です。気が付くと、ウェディングドレスを着た女性の写真を撮っていました。よく見かけた光景です。お幸せにと祈りながら、丘を下りました。

歴史的建造物:D ポルトガル領事官邸

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11:40 ポルトガル領事官邸
 「竹室正街」を東に進んでいくと、ポルトガル国旗が掲揚している建物が見えます。ここも世界遺産ではありませんが、コロニアル様式の建物でその昔は「ベラヴィスタ・ホテル」だったそうです。「ベラヴィスタ」とは「絶景」という意味だそうです。かつてはここから見える風景は、それこそ絶景だったのでしょうね。それでは、西湾湖方面に向かうため、領事官邸脇の急な坂道を下っていきます。

歴史的建造物:E 聖ボンバルト要塞跡

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11:40 聖ボンバルト要塞跡
 坂を下り切り、「西湾街」との交差点にある石垣が「聖ボンバルト要塞跡」。これも世界遺産ではありませんし、上写真の「ポルトガル領事官邸」敷地の一部となるため、立ち入ることもできません。ただの石垣にしか見えませんが、歴史ある史跡の一つと思っています。
 この要塞は1622年に建築されました。当時はポルトガルの植民地を奪い発展した新興国オランダの侵攻を警戒し、南東海岸部に防衛体制を整えました。その際、修道士会のオーガスチン会によって管理された要塞です。現在は民政総署の裏手にある「聖オーガスチン教会」を建てた修道士会です。修道士会もマカオの戦力の一翼を担っていた歴史の史跡です。

歴史的建造物:F ジャーディン・ハウス(怡和房屋)

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11:50 ジャーディン・ハウス
 現在はマテオ・リッチ中学が幼稚園として使用していますが、元々はジャーディン・マセソン商会の事務所でした。ジャーディン・マセソン商会は知る人ぞ知るアヘン商人で、当初は英国東インド会社の下請けみたいな仕事をしていましたが、イン産ドのアヘン取引で力を付けました。つまりマカオから中国にアヘンを密輸出していたのです。マカオにはアヘン絡みの史跡が多数あるそうで、いろいろと見たいと思っていました。

歴史的建造物:G マカオ特別行政区政府総部

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12:00 マカオ特別行政区政府総部
 「西湾街」はコロニアル様式の建物がパラパラ存在します。その中で鮮やかな赤で目を引くのがこの建物は「マカオ特別行政区政府総部」。これも残念ながら、世界遺産ではありません。もともとは1849年にセルカル子爵邸として建てられたそうです。その後、1928年に買収されマカオ総督官邸となり、マカオが中国に返還されると現在の政府総部となっています。別名「セルカル宮殿」。
 大きく寄り道しましたが、本来の世界遺産観光に戻りましょう。庁舎の北側の坂を上ります。

世界遺産:H 聖ローレンス教会

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12:05 聖ローレンス教会
 この辺りは民政総署の裏手に当たる教会群の地域。1560年ごろイエズス会によって建築されたマカオ最古の教会の一つです。ここはその昔浜辺に面していて、船乗りの家族は航海の安全を祈っていたとか。ポルトガル版「媽閣廟」とでもいうのでしょうか。

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聖ローレンス教会
 町中にあるにもかかわらず、比較的静かな場所です。境内にはキリストの一生の描いたガラス(アクリル?)板が展示していました。さすがに疲れてきました。少し休んでから、次の世界遺産に向かいます。

世界遺産:I 聖ヨセフ修道院及び聖堂

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12:20 聖ヨセフ修道院及び聖堂
 やっとマカオ世界遺産10か所目。「聖ローレンス教会」を出て、「三巴仔横街」を塀沿いに進むと、入口があります。ここには、日本布教で有名なフランシスコ・ザビエルの右腕の骨があるそうです。以前この骨はコロネア島の「聖フランシスコ・ザビエル教会」にあったものがこの教会に移されたそうです。また、イエズス会の資料館も併設されています。境内入って右側です。なかなか興味深かったです。

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聖ヨセフ修道院及び聖堂 内部
 ここ最近見学した中で、一番素敵な教会内部だと思いました。白い壁に渦巻き状の柱、高い天井。ただただ感嘆の溜息しか出ませんでした。華美な色使いが無いので、見入ってしまいます。ずっと見ていたかったのですが、次に行きましょう。来た道を戻り、「官印局街」・「龍嵩正街」と進み、「ドン・ペドロ5世劇場」方面に向かいます。
 あれっ、ザビエルのことをすっかり失念していました。どこに骨があったのでしょうね、残念(苦笑)。

世界遺産:J ドン・ペドロ5世劇場

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12:55 ドン・ペドロ5世劇場
 樹々に覆われた青緑のコロニアル様式の建物が「ドン・ペドロ5世劇場」。白や黄色の史跡が多い中で青緑の建物は目を引きます。何故かWedgwoodの写真立てを連想しました(笑)。
 ところで、焦点距離がより短いレンズの方が建物全体を撮影できると思います。道路や他の建物・樹々のせいで、撮影距離が十分に稼げない感じでした。

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ドン・ペドロ5世劇場 内部
 1857年にマカオ在住のポルトガル人の娯楽施設として建築された、中国初の様式劇場。それほど多くの観客を収容できる規模とは思いませんが、貴賓席があったりオーケストラピットがあったりと、初めて見る欧州型の劇場でした。歩くと板張り床がキュウキュウ鳴るのはご愛嬌。

世界遺産:K 聖オーガスチン教会

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13:05 聖オーガスチン教会
 劇場の向かいにあるこの教会は1560年頃にマカオ半島南部、現在の「聖ボンバルト要塞跡」(上記 歴史的建造物:E)周辺に建築されたそうです。現在の位置に移転したのは1891年。
 マカオはポルトガルの植民地であり、修道士会として布教を牽引したのはイエズス会です。ところが、ポルトガルがスペインとの連合王国となった時代、オーガスチン会やドミニコ会などイエズス会の競争相手になっていた修道士会が続々と進出して来ました。その結果、日本への布教をめぐる対立が修道士会同士で起こり、この教会も弾圧を受けた時代もあったそうです。ちなみに当日は門が閉まり、内部を見ることができませんでした。

世界遺産:L 聖オーガスチン広場

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13:10 聖オーガスチン広場
 「聖オーガスチン教会」の隣です。石畳がきれいな広場ですが、とても小さい広場です。ちなみに世界遺産「聖オーガスチン教会」「聖ヨセフ修道院及び聖堂」「ロバート・ホートン図書館」に三方囲まれいます。

世界遺産:M ロバート・ホートン図書館

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13:15 ロバート・ホートン図書館
 1894年に建築されたポルトガル人によって建物を1918年にロバート・ホートンが購入。アヘン商人で名高いジャーディン・マセソン商会(上記 歴史的建造物:F)で頭角を現した彼は後に独立。第二次世界大戦前には香港を代表する大実業家となりました。そのホートンが日本軍香港占領時代に住んでいたのがここです。世界遺産でありながら、現役の図書館で多数の人々が本の閲覧を行っていました。
 ずっと歩き続けて、「民政総署」より南の世界遺産は全部観光したはずです。さすがに疲れてヘロヘロです。13時を過ぎてお腹が減ってきました。「セナド広場」付近に戻って食事をします。

食事場所:H 黄枝記粥麺店

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13:40 黄枝記粥麺店
 蝦雲呑麺が有名な「黄枝記」に着きました。13:30を越えていますが、結構混んでいます。お店入口右側にいる店員さんに人数を伝え、番号カードを貰います。電光掲示板に自分の数字が出たら中に入れます。自分の番号まで20番先客がいました。結局40分待って10分で食べました。混んでいると相席になるようです。食べたメニューは「お土産&食事」でご報告します。
 エネルギーを充填したら、午後の観光と行きましょう。

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