最近のトピックス

以後のトピクスは「ネパール極貧孤児を救う会」ホームページを参照ください

          激動のネパール情勢 (2006年5月) 
街を行くとあちらこちらから「わいわい」となにやら叫ぶ声が聞こえる。何を叫んでいる声かと聞くと王制反対を叫ぶ大学生たちだと言う。今年の3月中旬カトマンズに滞在中の出来事である。  私の帰国後ネパールの政治情勢が大きく動いた。4月6日から4日間反王制主要7政党がギャネンドラ国王の強権政治に抗議するゼネラルストライキを主導した。  昨年2月にギャネンドラ国王が緊急事態宣言を発令し当時のデウバ内閣閣僚全員を罷免し自らが専制政治を始めたことに抗議するものである。  当初4日間のストライキと抗議デモはネパール全土に波及した。抗議運動はおよそ20日間におよび政府軍の外出禁止令を無視しカトマンズ市内でも10万人を超す群集が王宮に迫る勢いに発展した。デモ隊に対する政府軍の威嚇発砲などによりデモ参加者と一般 市民の死者はネパール全土で19名に達すると同時に数多くの負傷者がでた。デモはますます過激化し4月25日には数十万人規模のデモが予定されるにおよびギャネンドラ国王は事態を重く受け止めて主権を国民に返還することを認めた。すなはち2002年に閉鎖した下院議会を復活し7政党の代表であるネパール会議派(NCP)総裁で元首相のギリジャ・プラサド・コイララ氏を首相に任命すると発表した。この発表をうけて4月25日の大規模デモは中止され4月28日には下院議会が開かれた。  一方10年間続いているマオイストの武力闘争はゼネラルストライキ中もネパール全土で過激化し郡部の政府軍駐屯地の襲撃など泥沼状態を見た。  新首相に就任したコイララ首相はマオイストに対し和平交渉に応じるよう働きかけマオイストもこれに同意し武力闘争は現在休戦状態に入っている。マオイストは王制廃止を謳っており王制存続を考えているコイララ内閣がどのようにマオイストを説得し武力闘争を終結させるかが今後大きな課題である。  一連の政情不安の間中、ニュースの報道と現地の友人からのe-メールによる情勢変化の報告に息を呑む思いで注目してきたがようやく解決し民主化の道を歩き始めた。胸をなでおろした。しかしまだまだネパールの真の民主化は前途多難と言わざるを得ない。すなはちマオイストが武力放棄の上政治に参加するか、また政党の腐敗体質が是正されるのかなど問題は数多く残っている。
          平成18年ネパールからの帰朝報告
今年も3月7日から24日までネパールを訪問しました。 3月12日には私たちのネパールの子供たちへの支援に関しネパール環境局の主催で24社の新聞記者とテレビ局3社への記者会見を行いました。 3月16日観光局にて教育、スポーツ大臣ラダ・クリシュナ・マイナリ氏とネパール日本大使館公使神宮博氏を来賓に迎え私たちが支援している子供6人と新たに今年支援する2名の子供の披露に関するセレモニーを開催しました。夕刻のテレビニュースで放映されまた何社かの新聞にもニュースとして掲載されたようです。いずれもネパール語によるもので私には判りませんでした。 3月18日19日にメインの行事であるシンドパールチョークへ行く予定のところマオイストによる道路閉鎖のため延期となり結局3月21日22日にシンドパールチョークを訪問しました。 現地では対岸にあるセレモニー開催会場の小学校まで人力のロープウエイで渡りました。 マオイストが破壊した橋の変わりに地元民が架設したものです。2人がやっと乗れる大きさのケージに乗り対岸から人がロープで引っ張ってくれる方式のロープウエイです。対岸までの距離は25mくらい谷底に白波をたてて流れる水面 まではやはり25mくらい。ケージに入りきれず私は両足をぶらぶらさせた状態で渡りました。遊園地の乗り物に乗った気分の私とは反対に今年も2年連続で同行してくれた大津さんは恐怖のため対岸についても足が震えていたそうです。 小学校の入り口で70〜80名ほどの子供たちがそれぞれ用意した花束や花の首飾りなどで歓迎してくれました。大津さんは初めての経験で大変感動されたようです。 型通りのセレモニーが終わり我々が日本から持参の約30kgの文房具を子供たちにプレゼントしました。こどもたちは大変喜んでくれました。これも日本で私たちに協力いただいた皆様のお陰と感謝の念で一杯でした。

ネパールメディア記者会見

セレモニー教育大臣、日本大使館公使と

支援の児童と教育大臣(中央 )

支援の児童に文房具のプレゼント

シンドパールチョークにて文房具贈呈式

今年の支援児童の両親とBishwokarma君

平成17年ネパールからの帰朝報告
今年も3月20〜31日までネパールに行ってきました。 
今年は綾瀬市在住の大津誠さんとご一緒しました。大野さんは永年にわたりネパールへの支援を夢とされていました。たまたまネパールに関する私のホームページをみて連絡をいただき同行していただきました。
今年は3月26日にネパールの首都カトマンドゥでネパールの貧困児童計6名を学校に送るためのセレモニーを行いました。 セレモニーにはネパールの教育・スポーツ大臣ラダクリシュナ・マイナリ氏 と在ネパールに本大使館書記官神宮氏が来賓としてさらにネパールの新聞記者をはじめとして150名の在カトマンドゥの名士のご出席を賜り盛大に行われました。
3月27、28日にわたり毎年恒例とするシンドパルチョーク地区の児童に直接文房具をプレゼントしました。文房具は私と大津さんが日本の有志の方たちから寄付いただいたものです。約40kgの文房具をかついで行きました。またご寄付いただいた寄付金でボールペンとノートブックを各2500を現地調達しました。
毎年のことながら現地の元気な子供たちの笑顔に出会えてよかったなとの思いを胸に帰朝しました。
今年始めて参加いただいた大津さんは永年の夢が実現して大喜びしていただきました。
来年も参加していただけるとのこと私も大変心丈夫です。


セレモニー:左から福井、日本大使館諸機関神宮氏、一人おいて教育・スポーツ大臣ラダクリシュナ・マイナリ氏

セレモニー:左から福井、日本大使館諸機関神宮氏、教育・スポーツ大臣ラダクリシュナ・マイナリ氏

今年学校に送る6人の生徒と右ダマン

シンドパルチョークにて 児童に文房具を

文房具を貰って皆にこにこ顔

直接児童に文房具をあげる大津さん
     今年(平成16年)もネパールに行ってきました
 3月22日から4月1日までネパールに行ってきました。今年で5回目のネパール訪問です。
 スーツケースに一杯の文房具を詰め込んで行きました。近隣の皆様や。私のホームページを見て全国から送っていただいた方からの寄付による新品と中古の文房具です。今年は私のスーツケースだけでは入り切らないほどの文房具でしたので、私の友人浜下国夫さん(長泉在住)が一緒に運んでくださいました。
 これらの文房具と現地で作成したボールペン2500本とノートブック2500册とをネパールの山間農村部にあるシンドパールチョーク地区の子供たちにプレゼントしました。プレゼントのためのセレモニーをネパールのソシアルワーカーの人たちが運営と進行をしてくれました。いずれの人もネパールの私の友人です。近隣の10以上の学校から子供たちが500人ほど集まってくれました。
 またこの地区の学校に今までの10年にプラス2年の教育課程を新設する費用25000ネパールルピー(37500円)をこのセレモニーの会場で校長先生に差し上げました。
 さらに昨年小学校に2名の生徒を寄宿生として送りましたが、今年さらに2名計4名を送りました。いずれの費用も私へのご厚意の寄付金に僅かな私自身の自腹金で賄いました。
ご協力いただいた皆様には厚くお礼もうしあげます。
 いずれにしても小さな小さな一歩ですが、皆様と私の熱い心をネパールの子供たちへ届けることができることを大変嬉しく思っています。さあ来年も行くぞ!


セレモニーに出席して


セレモニーに集まった子供たち


去年学校にいれ一年間勉強した子供2人

今年学校に送る2人の子供

ネパールの新聞

ネパールの貧困児童を救う会
代表 福井善徳
 
主 旨
 私、福井善徳はあるきっかけでネパール人に知己を得ました。その友人からネパールの現状をつぶさに聞き、そしてネパールを4回訪問し調査検討の結果 、世界の最貧国の一つであるネパールの今後の発展はネパール国民の教育水準のレベルアップが何よりも重要との結論を得ました。そして、現地のソシアルワークグループの人たちとともに、受け入れ体制も確立しました。ほんとうに小さな小さな一歩ですが、現地の極貧アンダーカースト(カースト制度にも入らないクラスの人々)の孤児を学校に送り安定した生活と教育を与えようと本会を発足します。  本主旨にご賛同の皆様、私に感動と子どもの笑顔をください。

援助金
 孤児1人当たり1年間 18,000ネパールルピー(日本円約30,000円)。 校内の寄宿設備内での宿泊、食費、衣類、教科書、学用品、軽度の医療費の合計額。 援助金は日本からの送金をグローバル文化交流協会ネパール支部(責任者ダマンバスネット)が管理し、学校には3ヶ月毎に学費を支払う。

学 校
  私立小学校 Chandeshori boarding school  Barhabise, Khursanibari _1, Sindhupalchok, Nepal       生徒数 200名 内寄宿生38名

児童の学業状況
3ヶ月に1回該当児童の情報(英語)と写真を入手する。  児童からの手紙も随時同時送付してもらう。

要援助孤児   
  要援助孤児はネパールの山間農村部シンドパルチョーク地区(Sindhupalchowk district)にある生活向上委員会(Life developmentCommittees center 政府関係委員会)とアンダーカースト協会が選定する。

援助の受け付け
  随時受け付けいたします。 ご質問および援助申込は次の事務局までお願いします。

事務局 
代表 福井善徳 〒411-0046 三島市芙蓉台3-17-8 TEL/FAX 055-987-3913 TEL(携帯)090-1239-6144 e-mail zentoku@ny.thn.ne.jp HP http://web.thn.jp/yoshinori/
訪ネパール旅行  
来年、学用品贈呈式出席、小学校見学およびネパール首相表敬訪問を含むネパール訪問旅行を企画中。
訪問予定は平成16年3月。

帰 朝 報 告 (平成15年3月5〜20日)
 グローバル文化交流協会からの寄付金、会員有志および前滋賀県県会議員の川瀬庄平氏の寄付金にあわせ私の援助金を足し約4万円で、現地ボールペン製造会社およびノートブック製造会社の協力を得て、ボールペン2000本およびノートブック2000冊を製作しました。
 ネパールのグローバル文化交流協会会員ダマン・バスネット氏およびネパールのアンダーカースト協会やその他関係者の協力を受けてネパールの山間農村部シンドパルチョーク地区(Sindhupalchowk district)にて文房具贈呈セレモニーに出席し、先のボールペンとノートブックに併わせ、グローバル文化交流協会会員や国内ご有志の方々からご寄付いただいた文房具を子供たちに直接配付しました。
 式典は、山の麓から標高差500〜600・あろうかと思われる険峻な山の頂上にある地元の学校(Saraswati Pre-Primary School)で行われました。麓から石ころだらけの険しい山道を約3時間かけて登頂しました。児童の厳しい教育環境を実体験できたことは70才を1ヶ月あとにひかえた私にとって貴重な体験となりました。学校の前には500名の児童が花束や花輪で迎えてくれた時は疲れも吹き飛ぶ思いをしました。“ナマステ!(こんにちは!)”“ナマステ!”“ナマステ!”と叫ぶ子供たちの歓迎の嵐に「ああ来て良かった」とつくずく感じました。

 式典には、ダマン・バスネット氏を始め式典会場の学校長、アンダーカースト協会役員、アンダーカースト男女リーダーなどが出席、地元児童500名、児童保護者500名が出席し盛大に執り行われました。ネパール側から何人もの方の祝辞とお礼の言葉を受けました(ネパール語のためチンプンカンプンでしたが)。またスピーチの合間に、児童による伝統のある素朴な匂いのする歌と踊りの披露がありました。
 かねてから孤児を学校の施設に入れて教育を受けさせたいと願っていた私の夢が今回やっと実現しました。地元のアンダーカースト協会が選んでくれた極貧孤児2名の援助を引き受けました。これも地元の方々から大変感謝をいただき新聞の一面に写真入りで掲載されました。私が援助する孤児の内11才の児童は身体が6〜7才くらいにしか見えないくらい発育不良の子供です。最初おどおどとした態度と不安そうな目つきをして私の前に来ました。私は頭をなで、抱き締めてあげました。ネパールでは私くらいの年齢のハイカーストの人々はアンダーカーストには触れ無いどころか傍に近付くことさえ忌み嫌うそうです。その児童が帰りの山道の途中で待ち受けており私を見送ってくれました。最初はにこりとも笑顔が無かった彼が満面の笑顔を見せて‥‥。
 ネパール訪問4回目でやっと私の夢が芽を出したと云うところでしょうか。今後各方面の方々のご協力を得て大きく花開くことを念願し今回のネパール訪問の報告とします。

援助する極貧孤児とダマンと一緒に

セレモニーに集まった地元の人々

後ろの旗にはグローバル文化交流協会の名前も

地元の児童による歓迎の歌とダンス

ネパールの新聞(1面に掲載) 英訳は次のとおり
Space Time National Daily, March 17th 2003 Yoshinori enters the dream of Murali Damai Murali Damai's dream of educating his grandson has finally beccom a reality. His dream of educating the 11-year-old Kamal Nepali, who had lost his parents at early age, became a reality when Yoshinori Fukui, a Japanese citizen, has extended his help and co-operation for his education. The poor boy lost his father bef ore he was born and his mother eloped with other man when he was six years old. The grandfather had somehow managed to admit him in school. Saraswati Madhyamik Vidyalaya by selling the personal belongings of her mother, which she had left after. The poor boy who was pursuing his education with good grades under his belt was forced to leave the school when Murali lost his home and agricultural land in a worst land slide ever that hit his village. With this new found worries and pain, the grandfather did not even fantasize his grandson again getting a chance to get enrolled in school as they were living on shanty hutment built on others land with a meager subsistence living. However, the grandfathers belief and his confidence about his grandson's intelligence and caliber has motivated him to find a way to send him to the school. He said "I was really motivated to send him to school because I saw a dedication and commitment in my grandson's eyes for education and I was determained to educate him like other rich peoples and higher caste kids. I prayed to the god, and god heard me now I am quite happy my grandson will get his due share because of this gentleman." Similarly, the dream of another poor boy, Deganath, the son of Kanchha Biswakarma has also become a realty. Their dreams have been made real by the help of Mr Yoshinori Fukui who has come all the way from Japan with a mission to help educating the underprivileged and socialy backward cast of Nepal. Mr Fukui, who has reached Savachaur of Makha VDC of Sindhupalchowk district with the help of Nepali friend, has committed to bear all the education and medical expenses for both the kids who come from the socially backward section of the society. Mr Fukui who was here for a research on the underprivileged students, was briefed by the deprivation of the educational opportunities of these kids due to poor socioecomic condition by the Nepali friend Mr Daman Basnet. On the occasion, Mr Fukui said, "I will bear all the educational and medical expenses for these two kids and if they do good in school I will even help them go overseas for higher education." Mr Fukui, given the nickname of "god father" by local villagers further added, " I have used my pension money to help these two poor guys and wish I could do more. I will continue and extend my help to ten more students through Global intercultural Association (GIA), of which Nepali friend Daman basnet is the representetive president for Nepal. He also informd that GIA was instituted by the retired goverment officers of Japan with a noble aim to help educate the students, specially the underprivileged, lower caste and socially backward class. Mr Kiju Shibazaki who came with Mr Fukui and for the first time to Nepal also said that he would continue raising funds to help. Daman Basnet, the representative president of GIA for Nepal informed that the help from Japan will be made available directly to the needy as the experience has shown that the help through local foundations and NGOs sometimes prevent the needy to get the benefit because of political and bureaucratic red-tapism.
今年(平成15年)もネパールへ
平成15年3月5〜20日カトマンドゥに滞在 現地の友人と情報交換と交流を図る
また有志の方々から提供いただいた文房具を現地の子供たちに皆さんの温かい心をそえて直接プレゼントする

子供たちの明るい笑顔を見るのが楽しみです    
ネパールの子供たちにプレゼントする文房具
ネパールの子供たちにプレゼントする文房具(使いかけOK、もちろん新品大歓迎!)の寄付をお願いします     
文房具も買えないたくさんの子供たちの為に、家庭に眠っている文房具がある方は、ご連絡下さい TEL 福井 055-987-3913
e-mail zentoku@ny.thn.ne.jp

ネパールから帰国
平成14年4月20日16日間のネパール滞在を終えて無事帰国
 ネパールでは日本でも報道されているようにマオイスト(毛沢東主義者)が暴れていました。ネパール放送で毎日のようにポリス何人、マオイスト何人死亡のニュースを見ました。多い時には40〜50人死亡しました。
 ただしカトマンドゥ市内では警備が厳しく滞在中一度だけ小型爆弾でポリスが数人死亡しましたが、市民の生活は表面的にはきわめて平穏でした。ただし、去年にくらべて市内のあちこちに銃をもった兵隊さんやポリスが多く目につきましたし、カトマンドゥ市外から市内に入る幹線道路では軍隊が道路を閉鎖して厳しい検問をしていました。ただし乗用車は検査されず、ましてや日本人旅行者はフリーパスといった感じでした。
 こういった状態のため、今年は日本人を含めて外国人観光客が激減しており観光収入に大きく依存している国として、不景気が深刻のようでした。
 私はネパール滞在中、毎朝早朝トレーニングのため宿泊先から3Kmのところにあるネパールで最大のヒンドゥ教寺院「パシュパティナート」に行きました。この寺院は日本のテレビでもたびたび放映されていて有名なバグマティ川(インドのガンジス川の上流)の台の上で火葬をする寺院です。毎朝2〜4体の火葬を見ました。毎日10〜20体火葬されるそうで、観光客を含めて橋の上からその様子を見物しています。

寺院「パシュパティナート」 川岸の台の上で火葬している
 テレビのドキュメントでは重々しく人の運命がどうのこうのと言っていますが毎日のように見ていると日常茶飯事のように思えて、特別の感情が無くなります。それより驚いたのは画面の右側に死期を迎えた人が家族と共に最後の生活を送る建物があることです。火葬場のすぐ目の前にそのような人が最後の日々を送っているなんて我々日本人には考えられないことですよね。

ネパールの農村部のアンダーカーストの子供と住い

 今回のネパール訪問のの目的の一つだった貧困児童への文房具プレゼントは、子供たちに大人気でした。今後いろいろな形の援助を考えていきたいと思っています。

文房具や寄付金ご提供者一覧
平成14年3月  三島市グローバル文化交流協会ご一同様
平成14年3月  三島市 佐藤 照子 様
平成14年3月  静岡県駿東郡長泉町立 長泉北中学校生徒会様
平成14年5月  滋賀県大津市 川瀬 庄平様(元滋賀県県議)
平成14年10月 川崎市 吉沢 伸和 様
平成14年12月 東京都(株)日本格付研究所様
平成15年2月  三島市 小池 敦子 様
平成15年2月  三島市 佐藤 照子 様
平成15年2月  三島市グローバル文化交流協会ご一同様
平成15年3月  三島市三島北高校有志の皆さん
平成15年3月  三島市立中郷中学校の皆さん
平成15年9月  東京都世田ヶ谷区 船瀬 春香 様
平成15年10月 みしま「地球村」様
平成15年10月 岡山県 田中 由紀子 様
平成16年1月  神奈川県 松村 瑠美子 様
平成16年1月  三島市 斎藤 彩子 様
平成16年1月  三島市 水野 幾子 様
平成16年1月  三島市 小松 幸子 様
平成16年1月  三島市 大野 多恵子 様
平成16年1月  長泉町 乙部 美麻子 様
平成16年1月  裾野市 山口 克子 様
平成16年1月  飛龍高校 生徒会様
平成16年2月  三島市 石井 由紀子様
平成16年2月  佐藤 照子様
平成16年3月  リべラヒューマンサポート様
平成16年3月  グローバル文化交流協会
平成16年3月  三島市 白井 由美子 様
平成17年3月  三島市 高畑 静子 様(GIA 会員)
平成17年3月  三島市 大畠 公好子 様(GIA 会員)
平成17年3月  三島市 大野 多恵子 様(GIA 会長)
平成17年3月  三島市 杉山 美智子 様(GIA 会員)
平成17年3月  三島市 NPO法人 リべラヒューマンサポート様
平成17年3月  三島市 NPO法人 バランス様
平成17年3月  三島市グローバル文化交流協会ご一同様


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