音源メディアの変遷 |
ツートラ・サンパチ(3)生録とその後の用途
アナログ音源再生計画
いざナマ本番 | ||||||
前回は生録のための機材購入と音楽サークルへの依頼交渉の末、新入生歓迎コンサートの録音許可を得たというお話でした。 −前回からのお話の続きです− その1 その2 もご覧くださいm(_ _)m ●サンパチデッキを使った初めての屋外バンド演奏の生録たっだのですが、時間に少し遅れ、お茶の水駅から駿河台の坂をデッキ担いで息を切らせながら下っていった事を思い出します。 校庭での演奏はもう始まっていて、あわててセットしたのでしょう、途中までミキシングの接続が悪かったか、リミッタが入っていなかったのか音が割れていました。目の前で演奏しているのでヘッドフォンでモニターしていても途中まで歪みに気づかなかったようです。 ビッグバンド演奏ではマイクに限りがありますからドラムス2本ブラスセクション全体で2本を立てました。 ●今でもこの時のテープは想い出深く大事にとってあります。 自分で最も貴重だと思えたのは、実は演奏が終わって最後に部長(バンマス?)が「引きつづき中庭で新入部員の受付を行っております」とアナウンスしているバックに小鳥の声が校外の車の騒音とともに鮮明に聞こえてくる部分なのです。 今は移転してこの場所から消えてしまった母校の、当時の喧噪と都心での小鳥のさえずりが何十秒かの短い録音のなかに、まるで匂いまで感じ取れるように伝わってくるのです。 |
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日比谷野音でのコンサート | ||||||
●新入生歓迎コンサート録音の縁で「軽音楽研」の他のバンドからも声がかかるようになりジャズコンボだけでなく、ロックバンドの演奏会の録音も行うようになりました。 そのロックバンドのひとつから、「夏に日比谷野外音楽堂で開催されるコンサートの録音をやってみないか」と依頼されました。都内の大学のロックバンドが一同に会したコンサートです。 我々にとって「日比谷野音」での録音などというのは夢のような話で、勿論即諾しました。ただし、マイクセッティングなど一般の人間より多少経験があるといっても所詮素人、PAはプロがおこない、そのミキシング後のラインを入力するという作業でした。それでもコンサートを後援していたYAMAHAの担当者と打ち合わせしたり、すっかり気分はセミプロにでもなった気分でいました。 ●当日は午前中から夕刻までぶっとおして各大学のロックバンドが演奏を繰り広げる長丁場でした。参加大学は日・明・蹊・津・洋・青・城・早(出演順)で、事情により当のC大は欠席となっていました。 その全曲を録音して各バンドに配る必要があったのでテープ確保にも注意しました。録音は38cmではテープがいくらあっても持たないので19cmでおこないました。 |
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●この時のテープはモノラルだという事、10号で何本にもなり勿体なかった(^^;のでカセットにダビングしてオリジナルは消去してしまいました。 つい最近カセットで一部を聞いてみました。楽器がONに録られていたので会場の拍手などはあまり拾われていませんでしたが、それでも当時の熱気が伝わってきました。結構ツッパッてギンギンのハードロックやってた連中も今はイイオッサンでしょうね。自分もだけど。。。 |
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その他の生録活動 | ||||||
●その後も、別会場でプロのブルースバンドの録音(この時は会場にワンポイントでマイクをセット)や大学のサークルの演奏録音も何回かおこないました。 ●生録テープを手に入れるという事では、オーディオフェアでは、どこかのブースで録音テープを持ち込むとマスターテープからダビングしてもらえるというサービスもありました。 ●それと別に、当時はオーディオメーカーや雑誌社主催の録音会が都内では結構行われていました。プロの演奏を生録音できるのですからこれ程魅力のあるソースはありません。 私も「東芝ミキシング講座」という録音会に2回程足を運びました。このような会での録音方法は二通りあり、自ら持ち込んだマイクを立てて録音する場合と、前掲の日比谷野音のコンサートのようにプロのミキシングした音をラインで録音するという形式です。「ミキシング講座」は後者のパターンで生録とはいえ、ライン録音ですから難しい部分は何もありません。 やはり本当の生録の魅力は自分自身でのマイクセットとミキシングです。それにより同じ演奏でも100%中身は異なったサウンドになるからです。 ●一時真剣にプロのPAミキサーになろうかと思った程でした。YAMAHAの関係者の方に紹介すると言って頂いた事もありました。 しかし前述のように、この仕事は技術以上に体力勝負です。ガサはそこそこ大きいけれど体力に自信の無い管理人は、それを悟ってやめました(^^; ●こうしたサンパチ機録音の合間にデンスケでの屋外録音など、一時毎週のようにどこかへ出掛けた時代でした。これほど時間とお金を費やして熱中した生録でしたが、我々録音研究会の活動も僅か2年余りで、その後はほとんどデッキとマイクを担いだ生録は行わなくなってしまいました。 理由については、その反省もこめて、別掲したいのですが、就職や勉強など、もっと現実的な部分に目を向けなければならない時期と重なった事が大きかったと思います。 |
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そしてダビングマスターマシンへ | ||||||
●生録をやめてしまった後、社会人になってからも結構長期間サンパチ機はFMエアチェック用に活躍してくれました。 仕事を持つようになってからは留守録機能が役に立ち、カセットへのダビング用のマスターマシンとして利用するようになりました。本来、私のマシンは生録に持ち出す用途より据え置きで、ダビングマスタとして利用する用途に向いた機種だったともいえるでしょう。 |
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●デジタル化後は少しの期間サンパチ機と接する機会が減ったのですが、縁あって「オープンリールのデジタル化サービス」を始めて以来、皆さんが録音されたテープ、特にライブ演奏などに接すると、その音の新鮮さとともに自分の熱中した時代とを重ねあわせてしまう管理人でした。。。 |