音源メディアの変遷 

ツートラ・サンパチ(2)生録の必需品

アナログ音源再生計画

前回はサンパチの魅力、10号テープ購入の事、普及機と高級機の違いのお話でした。
ご覧になっていない方はこちらのページからお読み下さい

体力と経済力と営業力勝負の生録

−前回の続きのお話−

いかに普及機といえど、なにせ4TR19機の4倍のテープ使ってるんだ、音の悪かろう筈は無い。

当然生録に使わなければ意味無い。ところがデンスケ担いだ野外録音と違いサンパチ機は音楽録音向きである。重くて、まったく移動用に向かないからである。

カセットデンスケでスマートに野鳥のさえずりを録音、とは異なりサンパチ機での生録には経済力は勿論、体力と営業力も必要になったのです。

このいずれも、さらに能力も持ち合わせない(^^;管理人の苦闘のお話です。

必需品その1−経済力
生録にはデッキだけあっても何もできない。そう、マイクが必要です。

マイクは2本あれば一応ステレオ録音にはなるが、ジャズやロックの演奏のようにマイクを近づけて各楽器の迫力ある音を録るにはとうてい足りない。特にドラムスにはバスドラの低音とシンバルの高音を再現する場合に別途2本必要になる。

 マイクはヴォーカル用にはカラオケで使われるようなダイナミック型で良いのですが指向性が広すぎて個々の楽器をオンに録音するには向きません。そこで単一指向性のコンデンサ型というのを使用するのですが、これもピンキリで1万円台からツートラサンパチ機が買える値段のものまで様々です。当然我々はキリの方を購入する事になるわけです(^^;

そのマイクを立てるにはマイクスタンドが必要、そして、そのうち3本以上のマイクで録音するためのミキサーが必要になってくる。さらにそれらを繋ぐ延長ケーブル。電源確保のための延長コード等、終わりというものが無い。
写真:手許に残っていたSONYのECM(コンデンサマイク)の一部
マイクやコードは少しづつ買い足していった

我々は学生であったから、とても高級価格帯のものには手は出せない。そのためこれと決めたコストパフォーマンスの良いものを購入するため秋葉原中を探し歩き、最低価格のお店でさらに値引き交渉してマイクやミキサーを手に入れました。

前回お話したようにテープ代もバカになりません。生録用には放出品の安物では、トラブルになりがちだし、いかにも安物っぽいプラリールでは、演奏者にも申しわけ無い。
という事で大抵LHタイプ、アルミリールのテープを用意していく訳です。

 10号アルミリールはLPよりも高価でした。欲しいLPも我慢してテープを購入していたから、私はそれほどレコードを持っていません。いずれにせよ、録音にはソフト・ハードともお金がかかったので、衣食住はどん底生活でした(^^;

メンバーで利用したミキサーと同型の画像。SONYの1973頃の広告写真

必需品その2−営業力
いくら機材を揃えても録音するソース(音源)が無ければ話しにならない。アホな管理人が一番最初にやったのはトイレの水洗をジャーっと流す音の録音でした(爆)

音源探しに困った私は初め友人のフォークギター一本の歌と演奏を録ってみた。
カセットにダビングしてやると本人には喜ばれたが、ソースとしてはイマイチ迫力に欠ける(ヘタだし(^^;)

 N君の彼女は音大生だったので、彼女のピアノ演奏でも録音しようかと思ったが「俺はいつも聞かされてるから」と言われてボツ(^^;

 できれば複数楽器を使ったアンサンブルの録音をしたいと思っていましたが周りの友人知人は麻雀・パチンコ好きな連中ばかりでバンドをやっているような輩はいませんでした。

そこで一面識もない大学の音楽サークルに依頼をする事になりました。同じサークルでもこちらはニワカ同好会、相手は他校とも交流があるクラブですので最初は少し不安でした。

 我々は恐る恐る、大学の「軽音楽研究会」の部室を訪ねて、趣旨を説明し録音させてもらえないかお願いしました。ところがすぐに快諾いただきジャズバンドの校庭での演奏(新入部員勧誘のためのデモ演奏)録音の許可を得ることができました。

演奏の生録というのは割合身近に音楽をやっている連中がいるか自分自身が演奏するという方が多いのかも知れません。そうでない我々のような同好会では音源を探す営業力というか情報力も必要になったわけです。

必需品その3−体力
サンパチ機はとにかく重い。所有のデッキは20キロあり、しかも取っ手が無いのでツリツル滑りやすく持ち運びには非常に不便でした。

 そこで外へ持ち出す時は登山用の背負籠(しょいこ)にのせ、自転車の荷台用のゴムひもで固定して運びました。

 私は生来「なで肩」なので、これを背負っての移動は結構つらかった。しかも持ち物はマイク・スタンド・ミキサー・ケーブル類と多いため行動はすべて2人以上で行いました。私とN君以外に友人を頼んで運んでもらう事も何回かありました。お礼といっても昼飯おごるか飲み代程度で付き合わせてしまいました。
イヤイヤ運んでもらったO君、S君にこの場を借りてお礼致しますm(_ _)m

当時は都内でも学生過激派が事件を起こしたりしていた頃だったのでマイクスタンドをケースに入れ、おかしなモノを背負って電車に乗り込むと、周囲から怪訝そうな顔をされました。

我々は風体は怪しいが平和を愛する「録音研究会」だ』と心の中で叫んでいたのでした。。。


お話はナマ本番の録音の話題へ続きます。

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(C)Fukutaro 2001.11.2728wbf_2-2873