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藤原書店発行書籍の内容見本からの情報です。(禁無断転載) |
『日本が見えない』
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目次 |
第1章 詩編 |
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日本が見えない 骨のうたう よく生きてきたと思う 三ツ星さん 金がきたら 五月のように ぼくもいくさに征くのだけれど 他 |
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第2章 創作編 |
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<小説>雷と火事 ふられ譚 高円寺風景 ソナタの形式による落語 他 |
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第3章 日記編 |
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筑波日記 一 冬から春へ(1944・1・1〜4・28) |
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二 みどりの季節(1944・4・29〜7・27) |
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中学生謹慎日記(1938年) |
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第4章 手紙編 |
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学生時代(1939〜1942) 入隊以後(1943〜1944) |
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第5章 ずいひつ編 |
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私のキライナモノ 私のスキナモノ 映画のページ 芸術について 他 |
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第6章 まんが |
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<補>雑稿 |
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竹内浩三を偲ぶ |
中井利亮 土屋陽一 小林茂三 阪本楠彦 野村一雄 松島こう子 |
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「ぼくはぼくの手で/ぼくの戦争が書きたい」
・・・・・・太平洋戦争のさ中にあって、
時代の不安を率直に綴り、戦後の高度成長を見抜き、
23歳で比島山中に消えた天才詩人、
竹内浩三の全作品を活字と写真版で収めた完全版全集。
今年新たに発見された詩二編と日記も収録。 |
骨のうたう
戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
遠い他国で ひょんと死ぬるや
だまって だれもいないところで
ひょんと死ぬるや
ふるさとの風や
こいびとの眼や
ひょんと消ゆるや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や
白い箱にて 故国をながめる
音もなく なんにもなく
帰っては きましたけれど
故国の人のよそよそしさや
自分の事務や女のみだしなみが大切で
骨は骨 骨を愛する人もなし
骨は骨として 勲章をもらい
高く崇められ ほまれは高し
なれど 骨はききたかった
絶大な愛情のひびきをききたかった
がらがらどんどんと事務と常識が流れ
故国は発展にいそがしかった
女は化粧にいそがしかった
ああ 戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
こらえきれないさびしさや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や |
竹内浩三略年譜
1921年 |
5月12日、三重県宇治山田氏に生れる。 |
1933年 |
2月、母よしが死亡。 |
1934年 |
4月、三重県立宇治山田中学校に入学。 |
1936年 |
「まんがのよろずや」と題する手作りの回覧雑誌を作成。以降、「マンガ」「ぱんち」等と改題しつつ出し続ける。 |
1938年 |
4月、柔道教師の家に1年間身柄預かりとなる。 |
1939年 |
3月、宇治山田中学校を卒業するが、教練は不合格。上京して浪人生活。父が死亡。 |
1940年 |
4月、日本大学専門部映画科に入学。 |
1942年 |
6月1日、中井利亮・野村一雄・土屋陽一と『伊勢文学』を創刊。10月、軍隊に入営。 |
1943年 |
茨城県西筑波に転属。 |
1944年 |
1月1日、「筑波日記一」執筆開始。7月27日、「筑波日記二」執筆中断。12月、斬込隊員として比島へ向かう。 |
1945年 |
4月9日、比島にて戦死。 |
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※更に詳しくは藤原書店発行「月刊 機」2001年11月号・12月号に竹内浩三さんの特集が組まれていますので、そちらをご覧ください。 |
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発行元の藤原書店から内容見本の転載許可を頂いて掲載しております。
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