目次 |
写真集 |
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団体長合同(18年12月・於師団司令部 京都)、参謀長中村忠英大佐(昭和19年7月、タウンニー附近戦闘指令所にて)、参謀庄子長孝少佐・高級参謀大矢部省三中佐・参謀浜崎實少佐・軍医部高級部員播磨秀雄軍医少佐(昭和19年7月、タウンニー附近戦闘指令所にて) |
はじめに 編者 伴 一郎 |
序 元「安」歩兵大百二十八聯隊第二大隊付軍医 加藤篤二 |
関係部隊秘称名一覧表
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南方軍 |
「威」 |
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ビルマ方面軍 |
「森」 |
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第十五軍 |
「林」 |
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第二十八軍 |
「策」 |
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第三十三軍 |
「昆」 |
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第二師団 |
「勇」 |
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第十五師団 |
「祭」 |
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第十八師団 |
「菊」 |
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第三十一師団 |
「烈」 |
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第三十三師団 |
「弓」 |
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第四十九師団 |
「狼」 |
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第五十三師団 |
「安」 |
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第五十四師団 |
「兵」 |
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第五十五師団 |
「楯」・「壮」 |
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第五十六師団 |
「龍」 |
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独立混成第二十四旅団 |
「巌」 |
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独立混成第七十二旅団 |
「貫徹」 |
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独立混成第百五旅団 |
「敢威」 |
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一、師団の編成と南方への出発 |
二、師団主力のビルマ進出 |
三、残置部隊及び後続部隊のビルマ進出 |
四、モール及びナムクイン附近の戦闘 |
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モール及びホピン陣地攻撃 元師団参謀長中村忠英
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「モール」陣地の攻撃、「ホピン」陣地の攻撃、「インドウジ」湖附近掃蕩戦 |
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五、ミイトキーナ救援・モガウン及びサーモ湖附近の戦闘 |
六、敵側から見たモガウン附近の戦闘 |
七、断作戦 |
八、ピンボウ。ピンウエ工間の戦闘 |
九、イラワジ河に向かう撤退作戦 |
一〇、エシン及びクレ附近の戦闘 |
一一、キャウセ附近への集結とミヨサへの進出、タウンタ附近の戦闘 |
十二、メイクテーラ及びイラワジ会戦方面の戦況の推移 |
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十三、ヤナウンへの転進と第四十九師団の戦闘 |
十四、ヤナウン附近の戦闘 |
十五、シンテ河畔の戦闘 |
十六、ピンマナ附近の戦闘と第三十三軍司令部及び各師団の脱出 |
十七、英印軍のトングー突破までの行動 |
十八、トングー |
十九、シャン高原(第十五軍及び第五十六師団)及び第二十八軍方面、ラングーン方面の情勢の推移 |
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1 シャン高原(第十五軍及び第五十六師団)方面、附記、2 第二十八軍方面、3 ラングーン方面 |
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二十、第三十三軍のシッタン河口への急進と第五十三師団 |
二十一、諸隊の師団主力追及 |
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1 歩兵第百二十八聯隊、2 工兵第五十三聯隊、3 輜重兵第五十三聯隊第一中隊及び第二中隊、4 第一野戦病院、5 第四野戦病院 |
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二十二、シッタン河西岸攻勢と第二十八軍(策集団)の収容 |
二十三、軍の再編と第五十三師団 |
二十四、終戦 |
二十五、抑留から復員まで |
特別寄港 |
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閣下とともに 元師団長専属副官 有田徳五郎
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1 クアラルンプール〜モール、2 ホピン〜ピンウエ、3 ピンウエ〜マンダレー、4 マンダレー〜タンレドウ〜クンザイク、タンレドウの爆撃 |
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軍医部薬剤官の日誌 元第五十三師団軍医部 大石正夫
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1 師団の衛生機関が到着するまで、2 軍医部薬剤官の日誌(続) |
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タウンタ 元捜索第五十三聯隊第一中隊長 斎藤隆信 |
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ハミンボー後方指揮官を命ぜられる 元第五十三師団獣医部長 川原寛人 |
付録・文献その他 |
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ビルマ作戦全期間の兵力、損害及び帰還者数 |
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第五十三師団各部隊の兵力、損害及び帰還者数 |
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引用文献及び参考文献 |
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御指導・御助言・御教示・御協力をいただいた方々自由詩「思イ出」 一班白神哲夫 |