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戦友会・遺族会発行戦争関連本 内容紹介

ライン

こちらは、戦友会及び遺族会の御協力を頂いて収集した戦争体験記集
及び私自身が調べ、収集した戦友会・遺族会関連の戦争体験記の一覧です。


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泉レイテ島慰霊巡拝団編
『レイテの山河に祈る』
慰霊・収骨20回の記録
発行   第二十六師団戦没者レイテ島慰霊巡拝団
 団長 山田武彦
 愛知県愛知郡東郷町北山台
編集 後藤正男
 愛知県知立市昭和
印刷 犬塚謄写堂
 愛知県東加茂郡足助町足助字石橋
発行日 昭和61年8月15日
価格 非売品
678頁
   
目次
巻頭写真集
  レイテ島泉兵団戦没者鎮魂の刀 第24代藤原兼房氏作、レイテ島砂鉄以鍛之、昭和58年2月吉日
  比島観音 太平洋戦争フィリピン方面戦没の50万同胞の霊を供養するため。愛知県三ヶ根山 昭47.4.2
  泉5314部隊慰霊碑 独立歩兵第11連隊 名古屋市相応寺 昭32.3.24
  泉5315部隊勇士碑 独立歩兵第12連隊 岐阜市円龍寺 昭和33.3.23
  泉5316部隊殉国碑 独立歩兵第13連隊 静岡市護国神社 昭33.9.23
  泉5318部隊慰霊碑 独立野砲兵第11連隊 名古屋市護国神社 昭48.5.27
  泉5319部隊慰霊碑 工兵第26連隊 愛知県田原町 昭55.8.10
  泉5321部隊慰霊碑 輜重兵第26連隊 愛知県三ヶ根山 昭48.9.22
  泉5320部隊慰霊碑 師団通信隊 レイテ島ダナオ湖より二キロ下った民家の庭先 昭59.4.28
発刊のことば 第二十六師団(泉兵団)戦没者レイテ島慰霊巡拝団団長 山田武彦
まえがきにかえて
 レイテ気狂いの山田武彦さん
16−19次巡拝団 小園 保
編集に当たって 編集代表 団員(16〜19次参加) 後藤正男
第一編 慰霊巡拝写真集
 第1次
  • 第1回ブラウエン追悼式。(泉巡拝団がレイテ島で行った最初の追悼式。昭和45年4月16日)
  • ブラウエン飛行場跡における戦斗概況の説明。
  • アルベラ、パラナス丘追悼式
  • パラナス丘における最後のお別れに君が代斉唱。
  • バルゴのカニエサール氏ご両親と団員一同。昭和32年に送った仏像と記念撮影。
  • タクロバン空港で参加者(32名)の記念写真
 第2次
  • オルモック、キャンプドウンズ追悼式
  • アルベラ町役場横に放置されていた泉5318部隊の自爆野砲。
  • カンギポット。山麓に泉5315部隊慰霊碑を初めて建立
 第3次
  • カンギポット慰霊祭場
  • ルソン島カリラヤ霊園。回向する大村導師(通信隊)と山田団長(第八中隊)
  • ルソン島カリラヤ霊園参拝の一同
 第4次
  • バルゴの仏像と(カニエサール家前にて)
  • アルベラ泉5318部隊の自爆野砲
 第6次
  • シラット海岸にて、参加女性団員
  • 参加団員 マルコス大橋にて
 第7次
  • カルブゴス山の追悼式。岐阜県知事追悼文代読(山田薫児団員)
  • タブノク村にて遺骨遺品を収集。
  • シラット海岸にて荼毘。
  • ビリヤバ付近の収骨。
 第8次
  • アルベラ、シギノン海岸荼毘式(49年8月28日)
  • アルベラ、シギノン海岸追悼式(団長追悼のことば)
  • 脊梁山脈中にて佐藤団員(重機関銃・擲弾筒・鉄帽等)
 第9次
  • ブラウエン南飛行場跡(泉5316部隊重松大隊が斬込んだ)にて、カルブゴス山で収集した頭蓋骨を中心に記念撮影。
  • カルブゴス山追悼のことば
  • オルモック、コンクリート舎屋 焼香
 第10次
  • タリサヤン追悼式 戦斗概況の説明
  • タクロバン空港にて
  • オルモック、キャンプドウンズ慰霊祭 読経
  • パロ海岸追悼式
 第11次
  • ブラウエン北飛行場跡追悼式、追悼のことば(佐藤弘団員提供)
  • ブラウエン慰霊碑前にて団員一同
  • 英霊内地帰還
  • タリサヤンに慰霊碑建立
  • カブガアン収骨。(現地の子供が椰子のおわんに日本軍の骨を集めて)
 第12次
  • ヒラムさん(現 セブ島司令官代理 ※当時の役職)を中心に
  • オルモック、コンクリート舎屋追悼のことば
  • アルベラ・パラナス丘(泉5314部隊大川大隊・泉5315部隊井上大隊・泉5316部隊斉藤大隊玉砕の地
  • ブラウエン飛行場跡にて
 第13次
  • ブラウエン飛行場跡にて
  • シラット追悼式(昭54.4.30)泉5316、泉5318両部隊終焉の地
  • 泉5318部隊自爆野砲に記念碑建立、アルベラ町役場前
  • バレテ峠慰霊祭 祭壇
  • ルソン班、バレテ峠の途中 デグデグ
 第14次
  • アルベラ・パラナス丘 戦斗概況の説明
  • オルモック、キャンプドウンズ泉5315部隊上条大隊玉砕の地、夕闇迫る頃戦斗概況の説明
  • ダナオ湖
  • 帰途のタクロバン空港(お別れの挨拶)
 第15次
  • ダナオ湖祭壇
  • 泉5321部隊及び泉5324部隊終焉の地、タリサヤン台上祭壇
  • 泉5310部隊(兵団司令部)泉5315部隊(独歩12)終焉の地、カルブゴス山の追悼のことば
  • カンギポット山初登頂、その追悼式
  • 泉5318部隊自爆野砲、英文記念碑建立
  • オルモック、コンクリート舎屋(泉5315立石部隊玉砕の地、畑を荒らさぬよう一列になって式場へ)
  • ブラウエン飛行場跡(参加団員43名)
 第16次
  • カブガアンの慰霊祭 遺族の焼香(現地名日本人墓地)
  • カルブゴス山追悼式場(昭和56年建立した慰霊碑、柵囲いと敷石がされていた
  • シラット追悼式式場(57年4月26日16時15分)
  • 遺骨の荼毘(アルベラ町長より受領した遺骨はブラウエンにて荼毘に付した。遺族と共に点火するのは鈴木泉5316会会長)
  • タクロバンにおける遺骨の伝達。(遺骨宰領者の交代は、上下番対面し旧陸軍礼式に則り厳粛に執行した)
  • イピル海岸追悼式 祭壇
  • 比国軍セブ島司令官代理の見送り
 第17次
  • オルモック、コンクリート舎屋(頭上無数の弾痕残る廃屋の窓から澄みきった円い月が追悼式を覗き込むように無心に照らしてくれた)〔鬼気迫る廃屋内追悼式間、この地に流布される日本兵の亡霊も火の玉も、ランプも何一つ出現しなかった。之も名刀(鎮魂刀)のお蔭か〕
  • アルベラ、パラナス丘追悼式。元北支慰問団員が今回は悲しい慰霊団員として参加弔辞を捧ぐ(川澄団員)
  • ダガミ追悼式 読経
  • 別働班ハロ十字架山登頂 垣兵団(第十六師団歩兵第三十三連隊)玉砕の地
  • 玉砕の地で供物を捧げ三十三連隊戦没者を追悼する同連隊元戦友 小園団員
  • 別働班カンギポット山頂洞窟内の追悼式場。(中央の重い石仏はこの地で散った亡き兄のため後藤団員が背負って登ったもの)
  • 別働班、カンギポット山の東北約1,5キロ地点遺骨発掘現場。(頭蓋骨、金歯3本を含む完全遺体を収容。遺骨を持つ宮野団員)
  • 別働班、カンギポット山登頂。頂上の天狗岩を目指して
  • カンギポット山より発掘された遺品。水筒(遺体の吊っていたままのもの)時計防塵覆・尾錠・ボタン等
  • シラットの卒塔婆と石仏
  • タクロバンの荼毘、読経。(荼毘終了と同時に東天遥かに十五夜満月がレイテ湾に金波・銀波の波をつくり、美しく昇天、骨上げを助けてくれた)
  • アルベラ、パラナス丘追悼式場(供物で一ぱいの祭壇)
  • タリサヤン追悼式場へ(杖ついて頂上の慰霊碑に登る)
 第18次
  • タバンゴの遺骨はシラット海岸で洗骨された。(40年の怨念の黒い泥を何度も泣き乍洗い浄めた)
  • タバンゴ遺骨発掘。(顔面そのままで出土)
  • ブラウエン(北)飛行場跡。遺族(母娘山岸・大脇両団員)追悼のことば。祭壇白布は遺骨、風呂敷包みは鎮魂刀。
  • ブラウエン(南)飛行場跡。(遺骨を中心に全員記念写真)
  • ダナオ湖に泉5320部隊(師団通信隊)慰霊碑の建立。(同部隊の戦友山下副団長)
  • 第18次の御遺骨を厚生省納骨に先だち靖国神社に参拝。(伊藤秀朗副団長撮影)
 第19次
  • オルモック、キャンプドウンズの追悼式(P.C兵営内で戦斗概況の説明)
  • カンギポット(マハンラグ)追悼式は遂に夜18時を過ぎる。
  • タバンゴ追悼式。(雨の中追悼のことば)
  • タバンゴ追悼式 読経
  • ダナオ湖追悼祭壇と各泉会会旗と花輪
  • ダナオ湖追悼式 生還者堂本団員
  • タガミ手向吟(団長・三宅団員)(昭和60年5月8日11時40分)
  • ブラウエン飛行場跡にて
  • セブ島カンバユグ。(現場に故人好物の日本酒を注ぎ、感無量の福田団員)
  • セブ島カンバユブ。福田班長戦死の地点、現場直下に祭壇設置、参列した団員14名。(バス小型のため人員制限)
 第20次ルソン別働班
  一、日程 昭和61年2月18日より1週間
  一、人員 小園班長(写真提供)以下5名
  • 鈴鹿峠を望む大地で津田支隊(泉5314=独歩11連隊)正木団員の慰霊祭(アワヤン北方5キロ地点)
  • カラングランでマイクロバスからジープに乗り替え、オールド・スパニッシュ・トレイル(旧スペイン道)を北進、全くの悪道で川の中を強行突破
  • サラクサク峠の頂上に立ち慰霊碑前で、疲れた遺族の古橋さんにならって、座して追悼のことばを捧げる
  • マニラから東南約110キロ、カリラヤ湖畔にある日本政府建立のフィリピン戦没日本人霊園で
  • 小雨のなか、遺族の古橋さんを助けて、サラクサク峠をめざすガイドのカロルさん
  • サラクサク峠への道も険しく、降りしきる小雨のためチャーターのジプニーも難渋、ジプニーをみんなで押し上げる
  • キャンプドウンズ記念撮影、兵舎内の吾妻屋で行う。61.3.9 13:30〜14:15(安達団員提供)
  • キャンプドウンズで詩吟奉納後、三宅団員自筆の書も焼却する。(安達団員提供)
  • コンクリート舎屋追悼式、恵那市より特別参加された東禅寺住職川口龍昭師と、養老より参加の奥田義巳氏の読経。(伊藤副団長提供)
  • コンクリート舎屋記念撮影。61.3.9 15:08〜15:55(安達団員提供)
 第20次レイテ本隊
  • カルブゴス山追悼式。読経流れる中、曽我団員の焼香(伊藤副団長提供)
  • カルブゴス「山追悼式記念撮影。61.3.10 10:03〜10:40(阿部団員提供)
  • 永遠の冥福を神の加護によって。タバンゴ、立派な慰霊碑が原住民の手により建立されていた。(伊藤音二団員提供)
  • タバンゴ追悼式焼香 61.3.10 12:25〜13:08(安達団員提供)
  • タバンゴ慰霊碑。61.3.10 12:10 墓地に地主寄贈の記念碑が建立されていた。
  • タバンゴ前町長宅記念撮影。日本刀(関市で作製)が保管されていた。61.3.10 13:30
  • サン・イシドロ(レイテ島西北部)の桟橋に立って。(この地に星兵団は上陸)61.3.10 14:40
  • シラット追悼式 山田団長の追悼のことば 60.3.10 16:30〜17:08(阿部団員提供)
  • 杉本団員が弟さんに呼びかけられたシラット追悼式。(安達団員提供)
  • マハンラグ追悼式 焼香 61.3.10
  • マハンラグ記念撮影 18:17〜18:38(安達団員提供)
  • ダナオ湖慰霊祭、生還団員のことば 61.3.11 9:48〜10:37(堂本団員提供)
  • ダナオ湖記念撮影。雨のため静岡市山道団員寄贈のテントが大活躍(同)
  • 杉本団員のハーモニカに合わせた涙の大合唱。「誰か故郷を想わざる」(同)
  • ダナオ湖追悼式の帰り、仏像を預託した地主宅で記念撮影 61.3.11(宮田団員提供)
  • アルベラ、パラナス丘に登る巡拝団一同。八合目あたりから地主好意の階段が作られていた。(阿部団員提供)
  • パラナス丘、団長追悼のことば。61.3.11 13:40〜14:34 敷地が広くなっていた。(同)
  • パラナス丘にて追悼のことばを述べる内藤 君(きみ)さん。(同)
  • パラナス丘記念撮影。関係者一同。雨のため山道がぬかるんでいたが、原住民がこころよく手をかしてくれた。(安達団員提供)
  • タリサヤン追悼式 団長の追悼のことば。地主さんが日よけの屋根を造っていてくれた。61.3.11 13:40〜14:34(阿部団員提供)
  • タリサヤン記念撮影、英霊と共に。水筒・万年筆見つかる。(同)
  • ダガミ追悼式 61.3.12 11:35〜11:42 スコールのため傘をさして。(同)
  • ブラウエン(北)記念撮影。雨でここでもテントが大活躍。61.3.12(安達団員提供)
  • ブラウエン南、関係者一同記念撮影。61.3.12 14:09〜14:56(阿部団員提供)
  • ブラウエン南、全員で記念撮影。61.3.12 15:10(安達団員提供)
  • アビハオから2キロの民家にて、現地人よりご遺骨をいただく。カンギポット別働班。61.3.10(熊谷団員提供)
  • カンギポット 軍司令部の谷間西側、牛のいる丘は40年前、私のいた処。(同)
  • カンギポット軍司令部の谷間近くの屏風岩の祭場。(板橋団員提供)
  • カンギポット軍司令官の岩屋前にて。61.3.10(山口団員提供)
  • セブ島ボゴで追悼式、伊藤音二団員の焼香 セブ島の最北端 61.3.13 12:17〜12:48(安達団員提供)
  • セブ島ボゴの記念撮影。12:50(同)
  • タクロバン、パークホテルフロント前。地主贈呈用記念品の点検(三宅団員提供)。6.3.8 19:10
  • ダブガス川、野砲隊 初弾発射の地、野砲関係者一同。61.3.11 12:50(阿部団員提供)
  • 第20次 61.3.8 9:50 名古屋空港控え室で出発に当り、連絡事項・説明は大倉団員。
  • 第20次 写真交換会。61.3.29 静岡県久能荘。(同)
 泉レイテ島慰霊巡拝20回によせて 編集・後藤
第二編 参加団員名簿
  泉レイテ島慰霊巡拝団一覧表
第1次 32名 昭和45年4月14日〜20日
第2次 38名 昭和46年4月28日〜5月4日
第3次 26名 昭和48年3月30日〜4月5日
第4次 36名 昭和48年4月6日〜12日
第5次 8名 昭和48年4月20日〜26日
第6次 13名 昭和49年4月29日〜5月5日
第7次 20名 昭和49年5月15日〜21日
第8次 41名 昭和49年7月22日〜30日
第9次 24名 昭和50年3月26日〜4月1日
第10次 33名 昭和51年4月28日〜5月4日
第11次 32名 昭和52年4月27日〜5月3日
第12次 28名 昭和53年4月29日〜5月5日
第13次 29名 昭和54年4月27日〜5月4日
第14次 34名 昭和55年4月26日〜5月2日
第15次 43名 昭和56年4月25日〜5月1日
第16次 104名 昭和57年4月24日〜30日
第17次 61名 昭和58年4月23日〜30日
第18次 60名 昭和59年4月26日〜5月1日
第19次 82名 昭和60年5月4日〜10日
第20次 70名 昭和61年3月8日〜14日
泉レイテ島慰霊巡拝団参加者名簿
第三編 帰還者の証言
レイテへの道 そしてレイテ 第3次・第8次 石田兼二
「回想」泉レイテ慰霊収骨と日比親善 第11次・12次・15次〜20次 宮野正夫
祭文(第16次ダガミ慰霊地) 第16次〜第20次 小園 保
思い出の記録
参考写真
昭和57年5月6日、中日新聞に掲載の第16次泉レイテ島慰霊巡拝団の写真
第16次 仙敷倉三
カンギポット軍司令部の谷間
猪瀬大尉、井出大尉、目賀田少尉
参考写真
第18次、軍司令部の谷間を見下ろすところに祭壇を作って
第18次・第20次 熊谷進司
証言 レイテ戦の最後(カンギポット残留)
参考写真
山口団員宅、床の間の飯盒
第18次〜第20次 山口喜蔵
真相 レイテ戦 ああ!! カンギポット山
一、初めに 二、オルモック街道 三、オルモック 四、コンクリート舎屋 五、軍司令部の急襲 六、歓喜峰(カンギポット) 七、セブ島への転進 八、セブ島での戦斗 九、終戦 十、終りに
参考写真
カンギポット山
第18次 吉田武光
レイテの墓標を訪れて
40年前の記憶、ダナオ湖の墓標に立つ、生還者の苦しみ、生還者に訴える、レイテの墓標、遺骨・遺品の収集、帰国
第19次 堂本 稔
レイテの山の中 何を食べて戦ったか
一、上陸時の食糧事情 二、イピルからルビへ 三、ルビ山中 四、毒性のあるものは何か 五、どんな方法で食べたか 六、レイテの山は寒かった 七、熱帯病 八、排便が道標となる 九、ダナオ湖を目指して 十、あとがき
追悼のことば(第19次ダナオ湖畔)
追悼のことば(ブラウエン) 第19次 中川鎮之助
追悼のことば(オルモック)
泉・もう一つの墓碑の地「鈴鹿峠」 
 参考写真
鈴鹿峠手前の先陣山での慰霊祭
バレテ峠の追悼碑と戦跡碑
先陣山の元津田支隊砲兵陣地跡。弾薬箱と未使用砲弾、後ろは掩蔽壕のあったところらしい
現地の人とサラクサク峠にて(正木団員提供)
鈴鹿峠にて(正木団員提供)
第19次 小園 保
第四編 遺族の声と思い出
戦後40年、比島巡礼と友好の足跡
 泉レイテ島慰霊巡拝20回に寄せて(団員の皆さんに投稿をお願いした案内文)
第一次慰霊巡拝 32名参加 (昭和45年4月14日〜20日)
 泉第一次レイテ島慰霊巡拝の記録 第1次 大多和由郎
 レイテ島を訪ねた思い出 第1次・第9次・第15次 矢沢志づ
 戦後40年を顧みて 第1次 栗栖トシ
第二次慰霊巡拝 38名参加 (昭和46年4月28日〜5月4日)
 ただ一人の慰霊祭 第2・8・10・11・12・14・16次 佐藤 弘
 脊梁山脈に入る
 お世話になったお礼と思い出
参考写真
勝野さんから原稿とともに届けられた昭和20年1月16日付中部日本新聞
第2次 勝野孝一
 慰霊巡拝 第2・8・16次 御園生ヒサ子
 終戦から今日まで
参考写真
 第18次参加 マハンラグにて
第2・18次 森本志づ
第三次慰霊巡拝 26名参加 (昭和48年3月30日〜4月5日)
 平和を念じつつ
最後の通信、人となり、夢の惜別、公報、形見
参考写真
 第18次参加 マハンラグにて
第3次 渡辺 始
第四次慰霊巡拝 36名参加 (昭和48年4月6日〜4月12日)
 比島巡礼の旅を終えて
参考写真
 第4次・慰霊祭の準備
第4次 山口新太郎
 巡拝に参加して 第4次 山口なか
 回想 第4・10・16・19次 近藤鋭一
 西部レイテのパノラマ 第4次 村木直介
 短歌 戦没地を訪ねて 第4・10次 栗田フクヨ
 レイテ島とのかかわり 第1〜4・7・8・10・15次 村上公一
第六次慰霊巡拝 13名参加 (昭和49年4月29日〜5月5日)
 夫の終焉の地を訪ねて 第6次 藤下清子
 目的地レイテ島へ 第6次 沼田みさ子
第七次慰霊巡拝 20名参加 (昭和49年5月15日〜5月21日)
 御魂に結ばれて
参考写真
 今堀部隊長夫人、大岡昇平、山田武彦団長
第7・8次 今堀 貞
泉兵団戦没者及び生還者(表)
第八次慰霊巡拝 41名参加 (昭和49年7月22日〜7月30日)
 昭和49年7月遺骨収集の旅(第8次)
アルベラの町長さん、パラナス丘の虹、ジャングルの蛍、洗骨の川、遅い夜、南十字星、
付記
第2・8次 久保田幸子
第九次慰霊巡拝 24名参加 (昭和50年3月26日〜4月1日)
 心にレイテへの墓標を
参考写真
 第18次 カンギポット軍司令部の谷間を望む慰霊地にて
第9・15・18次 富永玉代
第十次慰霊巡拝 33名参加 (昭和51年4月28日〜5月4日)
 レイテ島巡拝を顧みて
参考写真
 第19次シラットでの慰霊祭を終えた関係者一同、昭和60年10月来日中のヒラムご夫妻を囲んでお別れパーティ
第10・13〜17・19・20次 大倉定夫
 兄との語り シラットの墓前で
参考写真
 シラットの念仏、石板。第18次写す
第10次 神谷正良
 小さい兄さん 第10・15次 河村 勇
 レイテ巡拝の心境を詠んで
参考写真
 パラナスの丘へ
第10次 寺田桂子
 巡拝の想い出 第10次 田中すきゑ
参考写真
 御製(千鳥が渕戦没者墓苑)
第十一次慰霊巡拝 32名参加 (昭和52年4月27日〜5月3日)
 レイテに眠るお父様え
追記
参考写真
 ブラウエン北飛行場で、慰霊祭終了の挨拶をかわして
第11・16・18次 山岸なつ
 レイテの虹
参考写真
 南ブラウエン飛行場跡での慰霊祭終了後、民家の庭先で母と共に
第11次 上原節子
 オルモックの桟橋 第11次 梅原貞夫
 第11次慰霊巡拝に
参考写真
 第11次、カブガアンでの収骨。ビニール袋を抱く戦友の宮野団員と涙をふく平岩団員
第11次 平岩くに
 私の思い出 巡拝について 第11次 森下すず
第十二次慰霊巡拝 28名参加 (昭和53年4月29日〜5月5日)
 長兄を偲ぶ中国の旅
 (泉兵団駐屯の地を訪ねて)
内蒙の駐屯地武川、未開放区清水河、死出の旅 比島転進、あとがき
参考写真
 井戸の跡の説明者、トーチカの前にて山田団長と、ポプラ並木の道、清水河の駐屯部隊が作戦の前後に立寄った水飲み場、城壁の残骸、昔の給水塔、現在の給水塔、杉本一郎団員駐屯の厚和の風景
第12・13・15〜18・20次 鈴村 渉
 霧の雨 第12.14次 三宅千代
 亡き兄に捧げる 第12次 青島秀雄
 戦争をかえりみて 第12次 坂井テル
第十三次慰霊巡拝 29名参加 (昭和54年4月27日〜5月4日)
 戦後40年 終戦記念日に 第13次 寺西 実
 巡拝出発前の不思議
  英霊に捧ぐ
参考写真
 第18次参加の山道・矢作・鎌田・山岸・安達各団員とヒラム司令官ご夫妻、第18次ブラウエン飛行場跡慰霊祭を終わった関係者一同
第13次〜第20次 山道やす江
第十四次慰霊巡拝 34名参加 (昭和55年4月26日〜5月2日)
 レイテ島慰霊巡拝に参加して 第14次 加藤良一
 レイテ島のスコール 第14次 久保田 豊
 ブラウエン北飛行場追悼のことば 第14次 仲西広治
 負傷兵の足音
 弔辞(第14次)
参考写真
 霊感写真 カルブゴス山追悼式
第14次 増田くに子
第十五次慰霊巡拝 43名参加 (昭和56年4月25日〜5月1日)
 レイテの露と消えた弟への思い出
参考写真
 第17次 アルベラ公園にて
第15次・17次・19次・20次 杉本一郎
 遺族の思い出
参考写真
 第19次 ダナオ湖追悼式
第15次・17次・19次 坂野末一
 昭和17・8年頃の思い出 西尾いく
 比島巡拝と私の家の思い出
参考写真
 第15次カルブゴスにて、カンギポット山慰霊地における、ブラウエン慰霊祭の最後山田団長の詩吟第15次
第15次 桜井徳太郎
 解説 
  一期の検閲、靖国神社と戦没者、現地自活と日本軍の作戦
第十六次慰霊巡拝 104名参加 (昭和57年4月24日〜4月30日)
 行って良かった来て良かった
参考写真
 レイテ島砂鉄贈呈式(昭和57年7月)、鎮魂刀の贈呈式(昭和58年3月)
第16次・17次・19次・20次 野倉春男
 慰霊巡拝に霊感の体験
参考写真
 第16次アルベラ・パラナス丘の慰霊祭、第19次シラット追悼式場にて、第19次シラット追悼のことば
第16次・17次・19次・20次 阿部剛一・きくゑ
 追悼のことば(第16次パラナス丘)
参考写真
 第16次シラット追悼式場にて、第16次マニラのザンボアンガレストランにて夕食
第16次・第20次 宮田政一
 ひと握りの小石
参考写真
 第18次弟と並んで、第16次セブ島の空港にて
第16次・18次・20次 今井良三
 赤い友禅と16次巡拝
参考写真
 絵はがきのように美しい朝のダナオ湖、第16次ダナオ湖追悼のことば
第16次 鈴村嘉栄子
 黙祷
参考写真
 第17次米軍上陸海岸に休憩、第16次アルベラ町長より受領したご遺骨
第16次・17次 垣本 学
 第16次慰霊団に参加して 第16次 阿部徳寿郎・須美子
 星に祈りを
参考写真
 第16次夕食を富士山レストランにて
第16次・19次 友成妙子
 レイテ島巡拝50首
参考写真
 ドラグの海岸 追悼式を終えて卒塔婆を海に流す
 「妹たちのかがり火」との出合い
 (四日市市図書館研究会に応募・掲載 昭和58年)
第16次 小林 英
 最大の消耗率レイテ島 編集部
 慰霊巡拝に参加して
参考写真
 第16次アルベラ・パラナス丘追悼式場の祭壇
第16次・19次 鈴木真澄
 あの頃の思い出 第16次・19次 内藤ため
 慰霊巡拝団に参加して 第16次・19次 内藤正夫
 解説
 三八式歩兵銃
 レイテ慕情
 (第16次カブアガンの追悼式場で英霊に奉納)
第16次・19次 沼田末男
 還れみたま 第16次 鈴木くらの
 終戦記念日とレイテ巡拝 第16次 長尾登美子
 レイテの父よ安らかに 第16次 足立勝巳
 父待つレイテ 第16次 外村久美夫
 巡拝余聞
 第16次母娘で再訪
参考写真
 ブラウエン飛行場跡の祭壇
重松スズ、南美代子
第十七次慰霊巡拝 61名参加 (昭和58年4月23日〜4月30日)
 兄さん江 第19次・20次 各務静子
 不思議な第17次
参考写真
 第19次レイテ島を去る時タクロバン空港にて
第19次・20次 加藤槙子
 巡拝余話 編集・後藤
 セブ島巡拝 第17次・第20次 伊藤音二
 「昭和19年12月31日名簿上では健在なり」
参考写真
 第17次パラナス丘祭壇
第17次参加 高木茂紀
 解説 フィリピンの遺骨収集状況について
第十八次慰霊巡拝 60名参加 (昭和59年4月26日〜5月1日)
 父のこと
参考写真
第18次 写真交換会終了後比島観音前で、第18次ブラウエン北追悼式母と共に、ブラウエンの戦闘経過(図)
第18次参加 大脇芳子
 巡拝の思い出 第18〜20次 兼村正美
 追憶 慰霊行
参考写真
第18次 ブラウエン飛行場跡での慰霊祭 鈴木名誉団長の追悼のことば
第18次・第20次 奥田義巳
 レイテ島を訪ねて
参考写真
帰途マニラ発JL743便にて
第18次・20次 荻野林三郎
 不思議なこと
参考写真
現地人の子供も荷物をかついでアルベラ・パラナス丘へ
第18次・20次 鈴木重彦
 比島巡礼に寄せて
参考写真
第18次帰国後厚生省に遺骨をお届けした山田団長・伊藤副団長、厚生省にお届けする前日千鳥が淵墓苑祭壇のご遺骨
第18次 田中藤茂
第十九次慰霊巡拝 82名参加 (昭和60年5月4日〜5月10日)
 泉回の皆様と共に慰霊巡拝させていただいて
山田武彦団長との出会い、第16次に参加をお願いして、第17次、第18次、第19次、
参考写真
第18次マハンラグ追悼式場にて、第17次カブガアン追悼式場、頭蓋骨を涙乍らに棒辞する安達団員、第19次発掘現場で取り敢えず慰霊の儀を行う収集団員
第16次〜20次 安達勇栄
 解説 カブガアン(現地通称名「日本人墓地」)
 亡き夫の導きで
参考写真
40年を経過した洞窟の中で
第19次 福田豊子
 第19次レイテ巡拝団に参加して
参考写真
第19次シラット海岸にて洗骨
第19次 漆畑正吾
 第19次慰霊巡拝団に参加して 第19次 香西正夫
 山ゆかば 第19次 野田光子
 解説 魔のバシー海峡
 巡拝余話
 毎日書道展晴れの秀作賞
編集部後藤
 第19次ダナオ湖畔 追悼のことば 昭和60年5月7日 坂野末一
 レイテに消えた兄を想う
徴兵検査と現役入営、外出の日、永久に24歳の若者、入営前勤務先の方から、第三十五軍の方から、レイテ島での活躍、現在も続く比島の収骨、泉会山田団長との出合い、『ああレイテの墓標』の自費出版、小学校時代の級友、かがり火とレイテの墓標、軍隊日誌、同期生からの手紙、曙光新聞との出会い、「悠久の大義に殉ずる」の言葉
マハンラグ追悼のことば
参考写真
第16次・17次の巡拝日記を書いた「ああレイテの墓標」を説明中の筆者、第19次巡拝の際の現地からの遺品、第18次村上班長さんに次いでカニエサール家の前に出て
巡拝余話 三宅さんと曙光新聞(編集・後藤)
巡拝余話 第十七次参加の内藤君さんと級友の思い出
第16次〜19次 後藤正男
第二十次慰霊巡拝 70名参加 (昭和61年3月8日〜3月14日)
第五編 特志・戦友としての思い出
蒙彊とレイテ 第9次・20次 加藤 肇
解説 大東亜(共栄圏)戦争=太平洋戦争
泉レイテ島慰霊巡拝二十回に寄せて
泉兵団との離別と慰霊巡拝、運命の別れ道とは、本土兵備強化委員として転属、慰霊巡拝と収骨、霊魂は生きている、軍司令部跡の確認と慰霊、遺体発掘と住民の告白
参考写真
第12次カルブコス追悼式で元泉5315部隊関係の戦友、第18次慰霊祭終了後地主さんにおみやげをブラウエン飛行場跡、第18次ハロの通過地点でラアオ山の見える所にて遥拝、タバンゴの情報提供者、タバンゴ埋葬地現場
第11次〜第20次 伊藤秀朗
第16次岐阜県慰霊碑に於ける岐阜県知事の追悼のことば 昭和57年4月26日 岐阜県知事
上松陽助
独立野砲兵第十一連隊い思い出の記
参考写真
第17次シラット追悼式、「レイテ涙雨」表紙に採用された自爆野砲
第15次 杉本一郎
山田団長と私
参考写真
第19次の帰途航空機の中で村上班長と、第19次夜になったマハングラの追悼式場にて暗闇の中懐中電灯の光で弔辞棒読
第16次・第18次〜第20次 鈴木重秀
レイテ島巡拝団に参加して
参考写真
ブラウエン南飛行場跡にて、第18次ブラウエン追悼式終了後地主さんに記念品を渡す。
第16次〜20次 鈴木芳子
バシー海峡のこと
参考図
九州伊万里湾出港当時の船団体形図
第16次 遠藤太造
レイテの落陽(歌詞)
(レイテの涙雨、レイテの墓標 歌詞)
第16次・20次 加藤良一
思い出を拙い歌に寄せて
参考写真
第17次アルベラ・パラナス丘元教官機付磯村少佐の弔辞
第17次 磯村誠強
汗と涙の巡拝行と軍隊の思い出
参考写真
三菱発動機入社記念写真
第17次・19次 田中 稔
独立野砲兵第十一連隊について
参考写真
第17次アルベラ公園自爆野砲、第18次巡拝の写真交換会を終えた一同(愛知県三カ根山比島観音前)
第17次 稲葉千蔵
北支前線皇軍慰問行
参考写真
北支方面皇軍慰問団、朔懸ホテルにて郷土部隊中隊長と、街道より嘗ての激戦地パラナス丘を望む
第17次 川澄やす
追悼のことば(愛知県遺族連合会)
参考写真
シラット「追悼のことば」を読む立松団員
第19次・20次 立松俊雄
追記
 ※ダナオ湖への道
一、山田武彦さんとの出会い、二、第16次レイテ島慰霊巡拝団に参加、第1回慰霊祭、四、第18次レイテ島慰霊巡拝団に参加、第2回慰霊祭の開催 六、生還者レイテ慰霊巡拝団に参加、
第16・18次 山下 正
解説 桜花・自決・悠久の大義 編集部
 ※慰霊巡拝団に特別参加して
参考写真
第16次西日を受けたイピル追悼式で遺骨を前に合吟
特志16次 近藤 篤
解説 レイテ航空決戦(陸軍)
「隼はレイテの彼方へ」より
編集部
 ※記念誌発刊を知って 特志第14・16次 伊藤一二三
第六編 日比友好親善
比島慰霊巡拝と平和友好 編集・後藤
泉各隊の遺品
一、野砲隊−三八式改造野砲(自爆) 二、歩兵隊−九二式重機関銃 三、師団司令部−公印 四、輜重隊−大木の刻字
第2・8・10・11・12・14・16次 佐藤 弘
日比友好親善に来日招聘
(一)中村かず子さんの来名
(二)中村かず子さんの来日
(三)バモナク曹長ご夫妻と通訳富子さんの招聘
(四)フロリダさんを招いて
親愛なるパパとママさんえ(フロリダ)
(五)ベナテイロ・ヒラム夫妻を歓迎
恩しゅうを越えて 第20次団長 山田武彦
第七編 第20次追悼の言葉
ルソン島追悼のことば 第20次団長 山田武彦
オルモック キャンプドウンズのことば 同上 同上
オルモック・コンクリート舎屋のことば 同上 同上
オルモック・コンクリート舎屋追悼文 各務静子
オルモック・コンクリート舎屋供文 酒向一夫
カルブゴス山追悼のことば 第20次団長 山田武彦
タバンゴ追悼のことば 同上 同上
解説 悲惨なフィリピンの戦い
解説 物量戦と玉砕・自決、祖国
シラット追悼のことば 第20次団長 山田武彦
シラット追悼のことば 杉本一郎
マハンラグ追悼のことば 第20次団長 山田武彦
ダナオ湖追悼のことば 同上 同上
第20次ダナオ湖慰霊祭追悼のことば 元第26師団通信隊 堂本 稔
ダナオ湖畔の大合唱 同上 同上
ダナオ湖畔の大合唱とビルマの竪琴 編集代表 後藤正男
アルべラ バラナスの丘追悼のことば 第20次団長 山田武彦
追悼の詩(兄終焉の地) 池谷才子
巡拝余話 戦友の遺骨を胸に・森川団員 編集代表 後藤正男
タリサヤン追悼のことば 第20次団長 山田武彦
ブラウエン(北)追悼のことば 同上 同上
ブラウエン郊外での荼毘 宮野正夫
ブラウエン(南)追悼のことば 第20次団長 山田武彦
ブラウエン追悼のことば 高木美子
追悼文 山本玲子
レイテ島巡拝 お礼のことば 高木美子、山本玲子
巡拝余話 四十五年後に判明して 編集代表 後藤正男
セブ追悼のことば 第20次団長 山田武彦
解説 米軍の上陸用舟艇と土木工事
編集附記
編集日記 勤労感謝の日に思う 昭和60年11月23日
編集日記 開戦の思い出 昭和60年12月8日
編集日記 成人の日に思う 昭和61年1月15日
編集日記 新生フィリピンに思う 昭和61年3月2日
編集日記 第20次巡拝団出発を前に 昭和61年3月5日
編集日記 マルコス資産に思う 昭和61年3月9日
終戦記念日に記念誌発行、出版協力に感謝 編集代表 後藤正男
編集を終わって 編集代表 後藤正男
主要参考資料
 レイテ戦記 上・中・下 大岡昇平 中央文庫
 レイテ涙雨 小橋博史 中日新聞本社
 レイテ作戦の記録 田中賢一 原書房
 隼はレイテの彼方へ 井上一郎 隼書房
 山ゆかば草むす屍 土谷直敏編 日本遺族会
 昭和の歴史F太平洋戦争 木坂順一郎 小学館
 戦中用語集 三国一朗 岩波書店
 帝国陸軍の最後A 伊藤正徳 光人社
 ルソンの挽歌 江崎誠致 光人社
 フィリピンの血と泥 熊井敏美 時事通信社
 絵とき日本陸軍 小山内 宏 三恵書房
 ネグロス・レイテ慰霊団旅行記 萩野信京 ネグロス電工KK
 レイテ曙光新聞 曙光編集委員会
 レイテ戦跡 山田忠次郎
投稿者氏名索引
編集委員

*注意
1.
こちらは、
戦友会・遺族会発行の書籍の紹介です。
私が古書店で購入・収集したものです。 
 

2.
こちらのものは、私の資料として集めた物です。
通常の出版では無く、関係者に配布する目的で発行されていますのでお求めは難しいと思います。
どうしても読んでみたい方は、戦友会・遺族会事務局にお問い合わせしてみてください。(但し、事務局は場所・電話番号等が変わっているかもしれませんので御注意ください。)あるいはお近くの図書館等にお問い合わせください。

3.
今後出来る限り上記の資料の本文をご紹介できるようにしていきたいと思います。それには発行者・著者の方の許可が不可欠ですので、すべては無理かもしれませんが可能な限り、許可を頂いたものを載せていこうと思います。

4.
本の内容紹介で本の表紙を掲載しておりますが、これは私が皆様に情報提供する場合に、少しでも詳しく知っていただくために私の所蔵しております本の表紙から写しております。本来なら全ての発行者及び著者の方に許可を頂かなければいけないと思いますが、出来る限り本の詳しい情報をお伝えしたいという私の考えから現在のところ許可を頂かずに掲載をしております。但し、本の発行所・発行者・編集者・著者・印刷所・発行年月・ページ数・表紙題字揮毫者・イラスト作者等その本に関してわかる限りのデーターを掲載するように注意しております。本の表紙写真のみの掲載はしておりません。
もし、著作権等の問題で表紙写真の掲載は不可の作品がございましたら、ご連絡いただければ対応いたします。
自費出版あるいは非売品・限定出版の本のため、通常情報をなかなか得られない事が多いので、どんなものであるかを視覚的にもお伝えしたいと私は考えております。関係者様各位のご了解・ご協力をいただければ幸いです。

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