目次 |
序辞
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(元戦砲中隊長)藤井健造 |
祝辞 |
鈴木利憲 |
戦記の時代背景 |
編集委員 |
第一章
戦の道編 |
動員下令 |
編集委員 |
出征 |
編集委員 |
決別 |
山川滝治郎 |
大連港上陸・周水子駐留 |
編集委員 |
往時懐古 |
山田留三郎 |
ソ連機撃墜 |
安原新太郎 |
広東進攻作戦
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編集委員 |
戦時の思い出
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植野寿一 |
塩ト背上陸、広東へ |
安原新太郎 |
戦砲隊上陸 |
山田留三郎 |
広東攻略後の主要作戦
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花県平地並びに白泥水河畔の戦闘、北江右岸旧三水付近の戦闘 |
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編集委員 |
佛山警備 |
藤井健造 |
三水警備時の遭難 |
安原新太郎 |
官ヨウ墟付近の戦闘 |
編集委員 |
ゴウ頭墟付近の戦闘 |
編集委員 |
翁英作戦 |
編集委員 |
湯屋連隊長の決断 |
編集委員 |
良口会戦 |
編集委員 |
初陣の思い出 |
杉本正夫 |
銀サン拗攻防戦
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前田武臣 |
南支戦線銀ナン拗戦記 |
松久貞雄 |
広州湾進駐作戦 |
植野寿一 |
砲手から見た戦闘 |
永野謹弥 |
金利作戦 |
村井孝介 |
湘桂作戦
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(一)作戦準備 (二)出動 (三)臂力搬送 (四)休養を衝く米機 (五)天国と地獄 (六)反転と疝痛 (七)作戦終了 |
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和田治雄 |
山砲で敵機関銃座撃破 |
村井孝介 |
車輪が落ちた |
村井孝介 |
花蕾高地の戦闘 |
村井孝介 |
終戦
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(一)武装解除 (二)先生しいさんの活躍 (三)愛馬との別れ (四)復員、帰国 |
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和田治雄 |
終戦の思い出 |
山本孝一 |
回想編 |
戦史発刊の時に想う |
岩田繁一 |
戦砲隊史発刊にさいし |
武藤 寛 |
40余年ぶりの隊長さん |
高井清一 |
馬術大会優勝の記 |
編集委員 |
現地除隊 |
打田能治 |
南支軍射撃大会の記 |
松本卯吉 |
宣撫工作 |
岡西 薫 |
想い出 |
高村正珍 |
樋口隊長の思い出 |
鈴木利憲 |
大東亜戦争 |
大島正直 |
加藤善一さんのこと |
三枝 正 |
吾が人生と軍隊魂 |
館林幸一 |
兵隊
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やらねばならぬの兵隊根性、「南砲会」かくして発足、友情は変わりなく |
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中神 親 |
運命の幸せかみしめて |
星谷暉夫 |
平田淳治さんのこと |
小倉 勲 |
南支の思い出から |
加藤精一 |
一兵士の従軍記
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(一)入営 (二)征途に就く (三)初年兵訓練時代 (四)初陣 |
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和田治雄 |
平和への道
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足立正行 |
上等兵の勇気 |
宇津野 明 |
軍隊叙事短句 |
藤井新一 |
第二章 |
『最後の兵隊』
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451名の同年兵、朝鮮経由で順調に広東へ?、一転泥濘の難行軍始まる、飢餓の夜行軍、初の現地徴発行、シラミ 栄養失調 疫病、長沙で入院患者続出、通信機なし 懸軍万里の彷徨、遂に死の行進に、韶関から一部は船便で、猛暑と難路の大障害、韶関以降兵の数は半減、練成班後尾収容班、軍命令は重かった、次々と戦没者、犠牲者209名46%強、馬輸送が馭車班の命とりに、無謀な計画が致命的に、戦友の死、広東の街が見えるぞ、これが日本軍最後の兵隊である、鎮魂 |
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最後の兵隊(19年兵)の生還者たち(242名) |
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戦没191柱の病院別など一覧表 |
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遺族の書簡 |
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編集委員 |
第三章 |
年表、第二中隊名簿 |
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編集後記 |
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