内容紹介
はじめに
第1章 満州にて
満州へ、高千穂小学校、葵小学校開校、旅順師範専攻科での生活、
第1次開拓団弥栄村に着任、北大営分教場の勤務、寄宿舎の舎監、
ソ連参戦と召集、家族と奇蹟の再会、南に向かって逃避行、大連での
避難生活次男餓死、三男生まれる、引揚げ始まる
第2章 帰国、戦後生活
佐世保上陸、実家にたどり着く、妻死亡、染物屋の小僧となる、妻を
迎える母体は菩薩、菅谷中学校助教諭を命ぜられる、不意に転勤に
なる、自分の家が建つ、菅谷小学校に勤務、教頭を命ぜられる、降職
になり菅谷中学校教諭になる、根立君尋ねて来る、家を建てる
第3章 教育、野草、家族
春の遠足と修学旅行、横川事件、彼女の就職について、野村胡堂先
生宅をお尋ねする、夏休みの宿題一研究、長男の進学と三男のどもり、
指導主事のとの話、松山第一小学校教頭になる、松一小分離新明小
学校開校校長となる、仁科さんと再開、南中学校長に任命される、墓
造りと法事、退職に際して、家庭児童相談員としての仕事、古希の祝
い、比企文化賞受賞
あとがき
私の書評
昭和10年3月埼玉県師範学校本科卒業後、小学校訓導に任ぜられ、4月近衛歩兵第3連隊入隊、9月満期除隊後再び小学校訓導に着任。
昭和11年12月、満州の学校教員として奉天へ向かう。以来昭和21年12月の内地引揚げまで著者と家族の奮闘と苦労が続く。
昭和20年のソ連参戦によって、満州の邦人は家族の壊滅離散に遭い、混乱の中でそれぞれ生きるが、幼い子供達は残留孤児となる。著者も孤児の事は他人事ではなかったため、戦争そして残留孤児の 記録を残そうと思い書き綴ったものが本書です。
多くの方が満州やシベリヤでの体験を記録として残しています。その中でも著者の経験した苦労は並大抵ではなかったと思います(もちろん、もっと悲惨な目に遭った方も多くいらっしゃいますが・・・)。戦争がおこす悲劇だと言ってしまえばその通りですが、やはり実際に体験した人達は簡単にそんな事を言えないと思います。皆さんが苦労して日本を守り、そして日本を復興させたのです。私達はそれを忘れてはいけないと思います。
著者の戦中、そして戦後を一生懸命に生きる姿には、感動を覚えます。教員だった著者が、当時を振り返りながら、教育に真摯に取り組んだ記録でもあります。著者の文には、現在の学校・家族で失われつつあるものがいっぱい詰っています。本書の題名ではありませんが、私 はこの本にめぐりあえてよかったと思います。
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