『うちじゅうみんなカボチャいろ 』
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著者名 信州 智里国民学校同窓会
発行社(者) 阿智村農業協同組合
印刷所名 (株)南信州新聞社印刷局
サイズ A5 ページ数 214
発行年月 1991年9月1日 分類: (02)
定価 1600円
申込先 石原保廣
申込先住所 240-0045 神奈川県横浜市保土ケ谷区川島町978-7
申込先電話 045-373-5424 FAX 045-373-5424
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<内容紹介>
私たちは昭和十六年学校法の改正により国民学校に入学、同年十二月八日第二次世界大戦に突入、昭和二十年八月十五日敗戦により終戦、昭和二十二年国民学校を卒業しました。
ある時、熊谷元一先生から、当時の事を書いて本にしたらと話がありました。私達は今から五十年前に心をもどして、戦中戦後に学童として体験した事を、忘れかけている記憶をたどりながら、学校生活や家庭生活について書きました。
(「まえがき」より)
毎日の食事は雑炊が主だったが、ある日、米ビツに米が全くなくなり、一粒だけ見つけて雑炊の中に入れ、「今日の雑炊には米が一粒だけ入っているヨ」……誰の茶碗に入ったのか、現在の宝くじを当てるようなものだった。
一時期、朝・昼・晩と三食ともカボチャばかり食べていたことがあり、父が「顔色がみんな黄色だな」といったのでそれぞれの顔をよく見ると確かに全員カボチャ色となっており、なんと手や足、体までカボチャ色! 家族そろって大笑いしたあの日のことが今でも忘れることのできない思い出として残っている。
(「本文」より)
<著者コメント>
同級生各自に3〜5編を書いてもらい、重複しないように97編にまとめ編集しました。また当時の学校日誌から6年間の行事の抜粋、年間の授業日と勤労作業日、6年間になんと級担当の担任が9名殆ど代用教員で平均年齢は20歳でした。
農業と非農業の食物調査、警戒警報と敵機来襲の記録、米軍が空から撒いた無条件降伏を国民に呼びかけたビラ、飛行兵の救命具の浮衣原料としてススキの穂を集めた、文中にある写真と絵は学童画家と写真家である熊谷元一先生元担任から頂きました。当時の生活、家屋、衣服、食べ物、遊びなど判りやすくまた別表にもまとめてあります。
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*本記事は「自費出版ホームページ」(http://www.mmjp.or.jp/JSHOME/)さんの
分類02 個人誌部門 book0953より転載しております。
定価は改定されている場合もありますので、ご注文の場合は発行元にご確認ください。
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