私の書評
戦前・戦中のわが国では明治以後、徴兵令が施行され満20歳の成人になると、徴兵検査を受け徴兵の義務を果たさねばならなかった。当時は国民の義務の1つであった。著者もその義務のため、昭和18年5月徴兵検査を受け希望の野戦重砲兵として甲種合格の通知を受ける。
昭和19年九州小倉の陸軍野戦重砲第5連隊に入隊。
以後終戦まで精悍で強暴を誇る将兵の集団である野戦重砲隊の一員として過ごすが、初年兵時代の教育という猛烈な私的制裁を戦友たちとともに受け、人間性を奪ったその暴力の限りに著者は母の顔を思い浮かべて「私は負けない」と心に誓い耐えた。
そして自分が教育係になったとき、同じ苦しみを初年兵に与えてはならないと私的制裁を一切しなかった。
厳しい軍隊の中でも、良識ある立派な人格者である上官(上等兵)がいることを知り、著者は私もこの人のようになるのだと誓い、後日常にこの上官の事を思いだして初年兵教育にあたったのです。
著者は上官(士官・下士官)にも恵まれたが、それは著者自身の軍隊での訓練や勉強をしっかりやったことが認められた事もその理由の一つであろう。著者は観測班に任命され、その任務は敵情視察・射撃諸元の決定・射弾観測という高度の技術が必要である。そのために夜終身前に下士官室へ行き学習したほどである。そういった努力が認められたのだと思う。
しかし、著者は全編を通じて軍隊の横暴さや戦争がいかに国民を苦しめるかを訴えている。自分の体験による当時の異常さを事細かに記している。そして著者は言う。「日本の今日の繁栄は、あの半世紀前の戦争での死者たちの痛哭の上に築かれている。」(本書の”はじめに”の文中より引用)と・・・。
本の題名の「星の光」は、著者の軍隊時のある出来事からとられたものです。
その出来事とは、著者が教育する初年兵の中に一人の元新聞記者がいたことから始まる。終戦前後の8月中旬、重要な歩哨の任務についているはずのその初年兵が定位置にいなかったため、歩哨係りの著者は何があったかと責任を感じ探したところ、元新聞記者の兵は誰もいない建物内で夢中に書物をしていた。それを見た著者はその元新聞記者は知識人であることは認めていたが、軍隊の中の兵としての心構えから今回の行動には怒り、兵が書いている紙片をもみくちゃにした。その時の題が「星の光」であった。
その後日本が負けた事をその元新聞記者の兵から聞き、著者は「星の光」と書かれた題の文の内容は何だったのだろうと考え始める。あの時もみくちゃにしたあの文はきっと日本が負けたことを知った元新聞記者が戦争の体験を書こうとしていたのか? それともつらい軍隊生活の中でも、満天の夜空に輝く星の光をあびて愛する妻の事を忘れずに思い浮かべて、妻に何かを書こうとしたのか?
著者は復員して無事我が家に帰り、家族に報告するが戦友や初年兵らの事が走馬灯の様に思い出される。そんな著者が戸外に出て夜空を仰げば満天の星が光を放っている。あの元新聞記者は無事復員しただろうか、あの原稿の「星の光」はこの輝く星の光かと思い、そして感動のあまり涙するのです。
著者は原稿をもみくちゃにしたあの時のことが忘れられずに、この手記を書き始めたのではないかと私は思います。そして、あの兵にその時の自分の気持ちを伝えたかったのではないでしょうか。私的制裁を一切しなかった著者が軍隊生活の中でひとつ心残りがあったとしたら、きっとこの事だったのではないでしょうか・・・。
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