目次 |
巻頭資料
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著者の手記、著者と最後まで戦った看護婦野沢久子の手記、隊長北沢義章に下された軍法会議の判決文、著者に下された判決文、南方第九陸軍病院見取図 |
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第一部 |
序に代えて |
祖国を後に、関特演、北満から南方へ、マライ作戦、戦勝の饗宴、南方派遣第九陸軍病院、鬼部隊長着任、恨みの地、パレンバン、裸人形、看護婦軟禁、加給品横領、兵隊を搾取、人身御供、将棋と転属、部隊長毒殺計画、懐柔、生理日一覧表、梅干(スパイ)将校、碁の相手、受難の人々、統帥権、愛児の訃報、南十字星の下に、恐ろしき軍隊、けだもの、泣き出す副官、腰巾着大尉、狂気の部隊長、まことの正義、対決、切腹要求、切腹期限の日、将校会議、泣き落とし、最後の使者、古屋暗殺の陰謀、部隊長夜逃げ |
第二部 |
騒然たる元日、憲兵伍長、脅える准尉殿、嵐ついに来る、恫喝、部隊長逮捕、うろたえる閣下、軍の策謀、銃殺か・勲章か、喧嘩状、法務中佐の温情、腰抜けの将校・下士官、処刑地への旅、最後の会食、陰惨な二十五軍拘禁所、臨時軍法会議、続・軍法会議、部隊長に懲役3年、わめく将官、崩れゆく軍への信頼、裁判長毒々しい面罵、禁固1年7ヶ月、男の涙、判決書全文、別離、捕縛、護送、和歌江の歌ごえ、港にただよう敗色、燦めく南十字星 |
本書に寄せて |
名取忠彦 |
解説 |
家永三郎 |
管理人からの内容紹介
何という驚きでしょう。一つは、戦争中にこんな事が軍のしかも陸軍病院の中であったこと、もう一つは、軍隊の一兵士であった著者の行動力です。
作戦行動中の陸軍病院の部隊長が、部隊長室で多くの看護婦を陵辱し、しかもそのために本来の部隊長の仕事をほっぽらかしたという事実が太平洋戦争中のシンガポール(パレンバン)であったのです。そして、そのあまりに非道なやりかた・横暴に立ち上がったのが、当時兵長だった著者なのです。部隊長の起したさまざまなことに対して被害者からの手記などの証拠を集め、敢然と立ち向かったのです。軍隊の中の上官に対する反抗は軍法会議の重罪となりますが、著者はこのままでは日本の軍隊はあらぬ方向へ行ってしまうと危惧し、自分の死を覚悟してこれを是正すべく部隊長と対峙します。しかし、それはさすがに軍隊の中、部隊長寄りの将校などの反発や罰を恐れて何もできない多くの兵や将校がいるため、中々思うように進みません。そんな中でも部隊長の非道は続きます。さすがに著者もこのままではと思い、行動に移します。それが、部隊長切腹の申し渡しでした。直接部隊長と対話し、部隊長の軍の名を借りた悪行を正そうとするが、部隊長は適当にあしらい逃げようとするが、とうとう著者は最後に切腹を切り出したのです。しかし、結局部隊長は切腹するような勇気も無く、夜逃げをしてしまいます。
そして、著者が当時の首相兼陸軍大臣東条英機宛てに直接書面を送ったことにより、憲兵隊が動くのです。しかし、軍はこの事件をもみ消そうと躍起になり、さまざまな方法で著者に対して働きかけます。当然、軍隊に汚点を残すことになるため関係者は自己の保身も含め、”軍隊とは”や”天皇陛下の軍”という常套句を使って揺さぶりに行動を起しますが、著者は信念のため、徹底的に戦い、真実を知ってもらうために冷静に立ち向かいます。そして、運命の軍法会議の日。法務部の後ろささえに温情を感じながら、著者は、”軍隊”と戦い、遂に部隊長に実刑の判決をくださせたのです。自らも禁固1年6ヶ月という判決にあいながらも、著者は納得するのです。
紹介の文面ですと、どうしても本来の著者の考えが伝えられません。上のような文では、かえって曲解されてしまうとも限られませんので、ぜひとも本書をお読みいただき、著者の真意を知っていただければと思います。
最後に著者の巻頭の「序に代えて」から著者の思いを引用させていただきます。
「・・・悲しい物語である。私自身、事件後十年をへだて、なお思いおこすごとに憤怒の血潮がまざまざと、あたら昨日の事のようにたぎるのをどうすることもできない。横暴な軍の幹部が、組織という威力をかさに来て起さしめた悲しい物語である。・・・中略・・・日本の再軍備は必至と思える情勢であろうし、道義はまったく地におちて、卑怯と虚偽の混乱の中に押し合い、へし合いしあっている現状である。そこで、私はこの1篇を通じて不完全きわまる人間という悲しい生きもののために、慟哭と、限りない祈りをささげたいと発願した。支那事変以来、何百万の日本人が海を押し渡って、海外から日本を眺めてきたはず、である。これは莫大な資本でなければならない。この貴重な体験を、その人々が生かさぬという法はない。そしてこそセクト主義から脱した叡智の日本が建設できるのではないか。私がこの記述を決意した所以もそこにある。事件関係の諸賢よ、乞う、諒とせられよ。・・・以下略」 |