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自費出版・共同出版・企画出版本の内容紹介
  

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『写真集 ラバウル』
著者 板倉昌之
発行所 板倉エンタープライズ
発行日 1999年8月15日 初版第一刷
印刷・製本 株式会社 東京プリント
 東京都港区西新橋3−24−10
価格 3500円 (税込み)
84ページ
表紙題字 大本山天龍寺塔頭等観院
 木村才十 師
目次
親愛なる日本の皆さまへ 元パプア・ニューギニア首相 鉱業大臣 rビエ・ナマリウ
写真集「ラバウル」発刊に寄せて 海軍ラバウル方面会会長 門司親徳
衛星写真 衛星ノアの画面
写真 ポートモレスビー・ジャクソン国際空港にて
写真 ソロモンの空
  湧き上がる入道雲 (現在のラバウル)
ありし日のソロモン上空を飛ぶ零戦の勇姿 (太平洋戦争当時のラバウル)
写真 ソロモンの空
  ラバウルの遠望 (現在のラバウル)
ラバウルの上空を行く705空の一式陸上攻撃機 (太平洋戦争当時のラバウル)
写真 南東方面艦隊司令部跡(金剛洞)
  金剛洞入り口付近
金剛洞への道
金剛洞内艦隊司令部略図
写真 平和記念碑(官邸山) 南太平洋戦没者の碑
  陣没勇士之墓
慰霊参拝する人たち
碑文
さきの大戦において 南太平洋の諸島及び海域で 戦没した人をしのび 平和への思いをこめてこの碑を建立する
献花するパプアニューギニアの人々
官邸山からラバウル市内を望む
今も残る官邸山入口の門柱
ありし日の官邸山頂上
官邸山頂上よりシンプソン湾(ラバウル湾)を眺める
写真 南東方面艦隊司令部前進指揮所跡
  第11航空艦隊司令部跡
指揮所前に残る九六式25mm3連装機銃
指揮所天井に残る作戦地図
写真 ラバウル市内の道
  ラバウル市内マラグナ通り (現在のラバウル)
  憲兵隊峠 (現在のラバウル)
ありし日のラバウル並木道を巡察行進する海軍陸戦隊 (太平洋戦争当時のラバウル)
写真 火山噴火(1994.9.19)によるラバウル市内の被害
マンゴウ通り
カスアリナ通り
火山噴火で流された官邸山への道、現在は復旧している
火山灰で埋まった西吹山(ヴァルカン山)付近
写真 小牧桟橋(シンプソン湾内)小牧丸
  シンプソン湾(ラバウル湾)から小牧桟橋を見る (現在のラバウル)
ありし日の小牧丸 (太平洋戦争当時のラバウル)
写真 平成のブランチ湾上空を飛ぶ
  ブランチ湾上空 (現在のラバウル)
ラバウル上空を飛行する一航戦空母「赤城」(または加賀)搭載の九七式艦上攻撃機 S17.1.20 (太平洋戦争当時のラバウル)
写真 海軍東飛行場跡
  噴煙を上げる花吹山(タヴルヴル山) (現在のラバウル)
花吹山(タヴルヴル山)をバックに翼を休める零戦 S17.8 (太平洋戦争当時のラバウル)
懐かしのラバウル東飛行場滑走路 (現在のラバウル)
ラバウル東飛行場跡 バックは伯母山 (現在のラバウル)
出撃に緊張する艦爆のペアたち S18.4 (太平洋戦争当時のラバウル)
ラバウル東飛行場跡 火山灰にうまり苦戦する慰霊団のツアーバス (現在のラバウル)
ラバウル東飛行場の整備をする原住民 S17.秋 (太平洋戦争当時のラバウル)
写真 九七式重爆撃機U型の残骸
  昭和12年6月正式採用された陸軍爆撃機 18年2月より南東方面航空戦に参加。 (現在のラバウル)
雲上を編隊で飛ぶ97重爆U型 (太平洋戦争当時のラバウル)
火山灰に埋もれた九七式重爆撃機の残骸 コックピット付近 (現在のラバウル)
写真 海軍砲台(北崎)ニューブリテン最北の岬
  45口径三年式12センチ高角砲 (現在のラバウル)
写真 田ノ浦海岸
写真 第八方面軍司令部跡(図南嶺)
  司令部の洞窟 (現在のラバウル)
写真 クレーン船の残骸(小森山)
写真 大発艇洞窟(南崎)
写真 海軍防空隊指揮所跡(マルマルアン)
  明治38年製呉海軍工廠15サンチ速射砲 (現在のラバウル)
一式陸攻のプロペラ
九六式25mm3連装機銃
今も残る当時の見張り台
写真 中央高地展望台(マルマルアン)
  マルマルアン展望台からシンプソン湾を望む (現在のラバウル)
第八艦隊華やかりしき頃 (太平洋戦争当時のラバウル)
写真 海軍西飛行場跡(ブナカナウ)
  海軍西飛行場跡 (現在のラバウル)
西飛行場に到着した山本長官 S18.4.12 (太平洋戦争当時のラバウル)
写真 西飛行場(ブナカナウ)跡
  西飛行場(ブナカナウ)跡 (現在のラバウル)
西飛行場を発進する九六陸攻 (太平洋戦争当時のラバウル)
西飛行場の九十九艦爆と一式陸攻
写真 第67兵站病院跡(赤根崎)    現在のラバウル
写真 赤根湾(タリリ湾)からみる日の出   現在のラバウル
写真 トベラ飛行場跡  
  トベラ飛行場跡 (現在のラバウル)
零戦のカウリングの残骸
零戦機体に残る弾痕
零戦尾翼まわり
写真  ココポ戦争博物館の零戦 
  ココポ戦争博物館の零戦 (現在のラバウル)
零戦胴体の尾部
ラバウル海軍航空隊主力零戦の発進姿 (太平洋戦争当時のラバウル)
写真  ソロモン上空を飛ぶ
  ソロモン上空を飛ぶニューギニア航空旅客機 (現在のラバウル)
フォカーF28−1000のコクピット
残骸をさらす一式陸攻コクピット
ガダルカナルへ向けて飛行する一式陸上攻撃機(S18初期) (太平洋戦争当時のラバウル)
一式陸攻コクピット
写真  慶福丸の残骸
  慶福丸の残骸 (現在のラバウル)
ありし日の慶福丸 (太平洋戦争当時のラバウル)
写真 西崎海軍砲台跡(西崎)
写真 官邸山から西吹山を望む   現在のラバウル
写真  西吹山(ヴァルカン山)
  西吹山(ヴァルカン山) (現在のラバウル)
西吹山を背に潜水艦ロ号109 (太平洋戦争当時のラバウル)
写真 中の島(シンプソン湾内)  
  洋上慰霊 (現在のラバウル)
中の島をバックに航走する零式水上観測機 (太平洋戦争当時のラバウル)
写真 ココポ ブナポペ教会
写真 ココポの子供たち
写真 ココポのマーケット
写真 心をなごませてくれる子供たち
写真 花吹山(タヴルヴル山)の噴火
写真 西吹山(ヴァルカン山)の噴火
写真 
駆逐艦「涼波」マスト (現在のラバウル)
駆逐艦「涼波」と同型の長波(竣工時) (太平洋戦争当時のラバウル)
写真 ラバウルの山本連合艦隊司令長官
料亭小松に残された山本長官の書 (太平洋戦争当時)
昭和18年4月ブナカナウ指揮所前の山本五十六長官
東飛行場にて
ブインに進出する零戦隊を見送りする山本長官
ラバウル基地内の山本長官の居室
西飛行場にて
最前線に偲ぶ在りし日の面影
文 ラバウルの山本長官 本海軍報道班員 浅井達三
図 ガダルカナルへの道
図 海軍ラバウル基地俯瞰図
文 カメラは見た!海軍基地ラバウル
ラバウル占領、基地ラバウルの報道班員、空襲下の慰問映画会、消耗戦つづく、山本長官の戦死、空襲激化、ラバウル特設映画班、
「激動の昭和」より
終戦時の南東方面部隊(表)
文 ラバウル小唄
  軍歌「ラバウル小唄」が賛美歌に
千葉県鴨川市
本中央公民館館長 山田 稔
ラバウル・インフォーメーション
あとがき 板倉昌之
板倉昌之さん経歴ほか
  • 二科会写真部東京支部
  • KFP会員
  • 東京写真協会会員
  • 1943年茨城県行方郡潮来町釜谷に生れる
  • 1966年生命保険会社広報部に勤務
  • 1980年京都祇園の芸妓・舞妓の生活・風習などを記録・撮り続けている
  • 1996年パプア・ニューギニアを撮り始める
板倉昌之さん著書
   祇園舞妓の四季
   京舞妓
   京祇園(平安遷都1200年記念)
   NHK日本の伝統芸能
板倉昌之さん個展
   コニカ・フォトギャラリー(名古屋・大阪)
   北電ギャラリー(札幌)
   京都・小石ギャラリー(祇園)
   写真弘社ギャラリー
   他全国各地にて開催
注文方法
板倉エンタープライズ(代表 板倉昌之さん)
さんまでご連絡ください。
 〒299−3251
 千葉県山武郡大網白里町大網2080
 TEL0475−73−1832 FAX0475−73−0952

注意
1.
以上は、千葉県にお住まいの板倉様より2002年1月メールにて情報いただきました。
そして、この貴重な写真集をご寄贈いただきました。
掲載まで5か月かかってしまいましたことを板倉様及び皆さまにお詫びいたします。

2.
この情報の掲載にあたっては板倉様より許可を頂いております。有難うございました。


書籍の内容紹介で書籍の表紙を掲載しておりますが、これは私が皆様に情報提供する場合に、少しでも詳しく知っていただくためにご寄贈頂きました書籍の表紙からスキャンしたものです。掲載に関しては、著者の板倉昌之様より許可を得ております。禁無断転載です。



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