目次 |
親愛なる日本の皆さまへ |
元パプア・ニューギニア首相 鉱業大臣 rビエ・ナマリウ |
写真集「ラバウル」発刊に寄せて |
海軍ラバウル方面会会長 門司親徳 |
衛星写真 衛星ノアの画面 |
写真 ポートモレスビー・ジャクソン国際空港にて |
写真 ソロモンの空
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湧き上がる入道雲 |
(現在のラバウル) |
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ありし日のソロモン上空を飛ぶ零戦の勇姿 |
(太平洋戦争当時のラバウル) |
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写真 ソロモンの空
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ラバウルの遠望 |
(現在のラバウル) |
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ラバウルの上空を行く705空の一式陸上攻撃機 |
(太平洋戦争当時のラバウル) |
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写真 南東方面艦隊司令部跡(金剛洞)
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金剛洞入り口付近 |
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金剛洞への道 |
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金剛洞内艦隊司令部略図 |
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写真 平和記念碑(官邸山) 南太平洋戦没者の碑
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陣没勇士之墓 |
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慰霊参拝する人たち |
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碑文
さきの大戦において 南太平洋の諸島及び海域で 戦没した人をしのび 平和への思いをこめてこの碑を建立する |
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献花するパプアニューギニアの人々 |
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官邸山からラバウル市内を望む |
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今も残る官邸山入口の門柱 |
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ありし日の官邸山頂上 |
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官邸山頂上よりシンプソン湾(ラバウル湾)を眺める |
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写真 南東方面艦隊司令部前進指揮所跡
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第11航空艦隊司令部跡 |
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指揮所前に残る九六式25mm3連装機銃 |
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指揮所天井に残る作戦地図 |
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写真 ラバウル市内の道
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ラバウル市内マラグナ通り |
(現在のラバウル) |
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憲兵隊峠 |
(現在のラバウル) |
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ありし日のラバウル並木道を巡察行進する海軍陸戦隊 |
(太平洋戦争当時のラバウル) |
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写真 火山噴火(1994.9.19)によるラバウル市内の被害
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マンゴウ通り |
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カスアリナ通り |
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火山噴火で流された官邸山への道、現在は復旧している |
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火山灰で埋まった西吹山(ヴァルカン山)付近 |
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写真 小牧桟橋(シンプソン湾内)小牧丸
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シンプソン湾(ラバウル湾)から小牧桟橋を見る |
(現在のラバウル) |
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ありし日の小牧丸 |
(太平洋戦争当時のラバウル) |
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写真 平成のブランチ湾上空を飛ぶ
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ブランチ湾上空 |
(現在のラバウル) |
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ラバウル上空を飛行する一航戦空母「赤城」(または加賀)搭載の九七式艦上攻撃機 S17.1.20 |
(太平洋戦争当時のラバウル) |
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写真 海軍東飛行場跡
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噴煙を上げる花吹山(タヴルヴル山) |
(現在のラバウル) |
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花吹山(タヴルヴル山)をバックに翼を休める零戦 S17.8 |
(太平洋戦争当時のラバウル) |
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懐かしのラバウル東飛行場滑走路 |
(現在のラバウル) |
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ラバウル東飛行場跡 バックは伯母山 |
(現在のラバウル) |
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出撃に緊張する艦爆のペアたち S18.4 |
(太平洋戦争当時のラバウル) |
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ラバウル東飛行場跡 火山灰にうまり苦戦する慰霊団のツアーバス |
(現在のラバウル) |
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ラバウル東飛行場の整備をする原住民 S17.秋 |
(太平洋戦争当時のラバウル) |
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写真 九七式重爆撃機U型の残骸
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昭和12年6月正式採用された陸軍爆撃機 18年2月より南東方面航空戦に参加。 |
(現在のラバウル) |
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雲上を編隊で飛ぶ97重爆U型 |
(太平洋戦争当時のラバウル) |
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火山灰に埋もれた九七式重爆撃機の残骸 コックピット付近 |
(現在のラバウル) |
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写真 海軍砲台(北崎)ニューブリテン最北の岬
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45口径三年式12センチ高角砲 |
(現在のラバウル) |
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写真 田ノ浦海岸 |
写真 第八方面軍司令部跡(図南嶺)
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写真 クレーン船の残骸(小森山) |
写真 大発艇洞窟(南崎) |
写真 海軍防空隊指揮所跡(マルマルアン)
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明治38年製呉海軍工廠15サンチ速射砲 |
(現在のラバウル) |
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一式陸攻のプロペラ |
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九六式25mm3連装機銃 |
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今も残る当時の見張り台 |
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写真 中央高地展望台(マルマルアン)
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マルマルアン展望台からシンプソン湾を望む |
(現在のラバウル) |
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第八艦隊華やかりしき頃 |
(太平洋戦争当時のラバウル) |
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写真 海軍西飛行場跡(ブナカナウ)
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海軍西飛行場跡 |
(現在のラバウル) |
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西飛行場に到着した山本長官 S18.4.12 |
(太平洋戦争当時のラバウル) |
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写真 西飛行場(ブナカナウ)跡
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西飛行場(ブナカナウ)跡 |
(現在のラバウル) |
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西飛行場を発進する九六陸攻 |
(太平洋戦争当時のラバウル) |
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西飛行場の九十九艦爆と一式陸攻 |
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写真 第67兵站病院跡(赤根崎) 現在のラバウル |
写真 赤根湾(タリリ湾)からみる日の出 現在のラバウル |
写真 トベラ飛行場跡
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トベラ飛行場跡 |
(現在のラバウル) |
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零戦のカウリングの残骸 |
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零戦機体に残る弾痕 |
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零戦尾翼まわり |
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写真 ココポ戦争博物館の零戦
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ココポ戦争博物館の零戦 |
(現在のラバウル) |
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零戦胴体の尾部 |
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ラバウル海軍航空隊主力零戦の発進姿 |
(太平洋戦争当時のラバウル) |
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写真 ソロモン上空を飛ぶ
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ソロモン上空を飛ぶニューギニア航空旅客機 |
(現在のラバウル) |
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フォカーF28−1000のコクピット |
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残骸をさらす一式陸攻コクピット |
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ガダルカナルへ向けて飛行する一式陸上攻撃機(S18初期) |
(太平洋戦争当時のラバウル) |
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一式陸攻コクピット |
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写真 慶福丸の残骸
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慶福丸の残骸 |
(現在のラバウル) |
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ありし日の慶福丸 |
(太平洋戦争当時のラバウル) |
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写真 西崎海軍砲台跡(西崎) |
写真 官邸山から西吹山を望む 現在のラバウル |
写真 西吹山(ヴァルカン山)
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西吹山(ヴァルカン山) |
(現在のラバウル) |
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西吹山を背に潜水艦ロ号109 |
(太平洋戦争当時のラバウル) |
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写真 中の島(シンプソン湾内)
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洋上慰霊 |
(現在のラバウル) |
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中の島をバックに航走する零式水上観測機 |
(太平洋戦争当時のラバウル) |
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写真 ココポ ブナポペ教会 |
写真 ココポの子供たち |
写真 ココポのマーケット |
写真 心をなごませてくれる子供たち |
写真 花吹山(タヴルヴル山)の噴火 |
写真 西吹山(ヴァルカン山)の噴火 |
写真
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駆逐艦「涼波」マスト |
(現在のラバウル) |
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駆逐艦「涼波」と同型の長波(竣工時) |
(太平洋戦争当時のラバウル) |
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写真 ラバウルの山本連合艦隊司令長官
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料亭小松に残された山本長官の書 |
(太平洋戦争当時) |
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昭和18年4月ブナカナウ指揮所前の山本五十六長官 |
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東飛行場にて
ブインに進出する零戦隊を見送りする山本長官
ラバウル基地内の山本長官の居室 |
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西飛行場にて
最前線に偲ぶ在りし日の面影 |
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文 ラバウルの山本長官 |
本海軍報道班員 浅井達三 |
図 ガダルカナルへの道 |
図 海軍ラバウル基地俯瞰図 |
文 カメラは見た!海軍基地ラバウル
ラバウル占領、基地ラバウルの報道班員、空襲下の慰問映画会、消耗戦つづく、山本長官の戦死、空襲激化、ラバウル特設映画班、 |
「激動の昭和」より |
終戦時の南東方面部隊(表) |
文 ラバウル小唄
軍歌「ラバウル小唄」が賛美歌に |
千葉県鴨川市
本中央公民館館長 山田 稔 |
ラバウル・インフォーメーション |
あとがき |
板倉昌之 |
板倉昌之さん経歴ほか |
- 二科会写真部東京支部
- KFP会員
- 東京写真協会会員
- 1943年茨城県行方郡潮来町釜谷に生れる
- 1966年生命保険会社広報部に勤務
- 1980年京都祇園の芸妓・舞妓の生活・風習などを記録・撮り続けている
- 1996年パプア・ニューギニアを撮り始める
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板倉昌之さん著書 |
祇園舞妓の四季
京舞妓
京祇園(平安遷都1200年記念)
NHK日本の伝統芸能 |
板倉昌之さん個展
コニカ・フォトギャラリー(名古屋・大阪)
北電ギャラリー(札幌)
京都・小石ギャラリー(祇園)
写真弘社ギャラリー
他全国各地にて開催 |
注文方法
板倉エンタープライズ(代表 板倉昌之さん)さんまでご連絡ください。
〒299−3251
千葉県山武郡大網白里町大網2080
TEL0475−73−1832 FAX0475−73−0952 |