静岡県民俗学会は、民俗学の研究・資料調査を目的とし、会員相互の研鑽を図り、郷土文化の向上に資することを目的として、昭和50年に結成された学会で、2006年に30周年を迎えます。100名ほどの小さな学会ですが、共同調査や共同研究を積み重ねて成果を挙げてきました。会員に年齢や職業の制限はなく、希望者に広く開かれた集まりです。30周年を節目に、社会貢献を目指してさらに躍進していきたいと思っています。
第3回目となる大内の合同調査を3月1日(土)・2日(日)に行いました。
2日には、梶原堂で供養祭、また霊山寺で星祭が行われ、学会員6名が調査に参加しました。
梶原堂の供養祭 この地で非業の死を遂げたとされる梶原景時をまつる梶原堂は、大内のうち牛ヶ谷地区にある。もとは竜泉寺境内に安置されていたが、竜泉寺が廃寺になった後は、保蟹寺(ほうかいじ)で堂を管理している。梶原景時が亡くなって今年で808年目となるので、808回目の供養祭だという。
供養祭は保蟹寺の護持会会長が取り仕切るが、準備や当日の受付などは牛ヶ谷(大内自治会西組)の人々が廻り番で努める。朝の9時30分から住職による読経、10時ころから念仏講によるご詠歌がある。
ご詠歌のあとで、護持会会長の挨拶、曲金(靜岡市駿河区)の来賓などの挨拶がある。曲金からの来賓は、当地と同様梶原景時ゆかりの地である縁から、毎年供養祭に参列しているようである。
なお、清水区では高橋の高源寺住職が中心となって、20年前に「清水梶原会」を立ち上げたが、会長の住職が亡くなって解散してしまったという。
最後に、集まった人々で梶原景時の歌を唱和することが、近年恒例になっている。この後、ご祝儀奉納者には梶原堂の本尊である毘沙門天のお札や仏供が配られる。
霊山寺の星祭 午後からは霊山寺本堂で星祭が行われた。霊山寺を管理する清水寺(靜岡市葵区音羽町)の住職と、近隣の寺の僧侶たち総勢6名により、午後1時から諸祈願の護摩供養が行われる。その後、午後3時ころから本堂内と境内の祭壇の前で星供の読経がある。堂内の祭壇は、本尊に向かって左側の内陣に設けられる。正面に梵字の曼荼羅をかけ、その前に机を置いて、茶・ナツメ・小豆・干柿・大福餅・へそ餅・洗米・樒(しきみ)などを素焼きの皿に盛って供える。屋外の祭壇には、正面に白い紙の幡7枚と紙の寛永通宝7連をかけ、その前に机を置いて同様の供物を置く。いずれも5分程度の読経である。
最後に境内の祭壇の前で古札を燃やして、星祭は2時間ほどで終了した。かつては星供の読経は、暗くなってから執り行う行事だったが、石段の上り下りに危険を伴うなどの諸事情により、近年になって明るいうちに行われるようになったという。
祭りにあわせて集落の中央通りでは、朝市が催され、ミカンなどの地場産品を販売する露店は大勢の参拝客で賑わっていた。
今後も、なるべく大内で行われる地域の行事にあわせて調査に入る予定です。調査日程については随時、会報やホームページでお知らせしますので、積極的な参加をお願いします。
(多々良典秀・松田香代子)
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