東北大学航空部 グライダー墜落事故で息子を失って

2007年7月28日、仙台霞の目飛行場で息子が落命をして、2年2ヶ月、存命であれば24歳です。2006年東北大学航空部に入部して1年2ヶ月程度でした。

息子の生前ご指導頂きました皆様、親しくおつきあい頂きました皆様にも、親として充分にご挨拶ができて居りません事を心苦しく思っています。突然のことで勝手ですがお察し頂けましたら幸甚です。

学生生活において心身を鍛えるはずのスポーツで生命と希望に満ちた将来を断ち切られるとは本人も親である私も思い至りませんでした。親の嘆き以上に息子の切なさ慟哭が聞こえて来るようです。決して弱音を吐く事のない息子だっただけに不憫です。

また事故後、関係機関である①国土交通省航空事故調査委員会(現運輸安全委員会)、②宮城県警、③朝日 (財)日本学生航空連盟、④東北大学、の調査検証は『事故再発防止の観点』と『人命は等しく、公平』になされると考えていましたが大きく実態はかけ離れていました。

①国土交通省航空事故調査委員会 事故直後より格納庫、ウインチ等の現場には関係者、部員に自由に出入りを許しています。整備までさせた上で事故より2ヶ月を経た10月6日の航空事故調査委員会と宮城県警の合同ウインチ土嚢牽引試験には疑念さえ覚えます。この試験はウインチが遅い時にされると聞きます。今回の事故ではウインチは速すぎたのです。

ウインチトラブルが要因のひとつであり、『ウインチ曳航中失速垂直降下墜落事故死 阿蘇の事故』では、ウインチマンの適格性にまで航空事故調査報告書では触れています。これに照らし合わせれば、霞の目東北大学事故、及び久住九州工業大学操縦者2名死亡墜落事故のウインチマンの技能については明確では有りません。

殊にこの度の事故のウインチマンはこの春にウインチ斑所属になり、6月のOB総会では1年前からウインチマン見習いの息子と共に8月の『ひとり曳き』を目標に掲げ実行されていました。事故機の無線トラブル、雨天による訓練中止を考慮するとこの学生ウインチマンは6月10日の教官同乗複座機の『初曳き』から僅か2日程度で、練習生である息子の操縦する単座機を『ひとり曳き』しています。

操縦者、ウインチマンの失敗、人的ミスが直ちに重大事故に結びつかないように再発防止の視点に立った勧告がなされることを願ったのですが、その様にはなっていません。

『サブG』と噂されていましたので事故後霞の目飛行場で東北大学航空部OB氏に質しました。

OB氏「サブGとは車の交通事故で路上に幽霊が出たので事故を起こしました。と言う様なものです。幽霊の出現を理由にする人はいますか?」と言われました。当時は理解出来ませんでしたが、今なら解ります。

航空事故調査委員会は世界中に幽霊の出現に依る事故と発信したことを知りました。それを後述する朝日新聞社 日本学生航空連盟(学連)が画期的な事と記したことを。

事故再発防止を願って『大学から遺族に公開された航空部飛行記録、部員の事故後の心境書等の数々の書類』を 国土交通省担当官の方より「受諾」のご返答を頂き配達証明便で送付したのですが、試験期間中の訓練であり、息子を含めた学生たちが試験で疲れ、過度の訓練で疲労困倍であったことは全く反映されていなかったのです。しかも息子のフライトログブック、航空部書類等と対照すると実行されていないダミーカットなど明白な相違点、記載違い、が航空事故調査報告書に見受けられます。『無線連絡が無かったから曳航速度が許容範囲であった』→機体無線機が機能したかどうかの調査はされないのでしょうか。無線の不都合が訓練日誌には頻繁に出てきます。不都合のまま飛行したかのような記録もあります。また、学生の話によると「無線を直した」とされる方は該当日の自衛隊の入出門記録には記録されていません。

機体速度120kmの情報があります。息子は「ウインチ速い」と聞こえない無線に言い続けていたと想像できます。機体無線について、前の週の訓練では故障のため別の教官は飛行停止にしています。機体のVHS無線は故障、ウインチにはVHS無線の設置が無くモニターもなかったのです。HF無線不調の時は手旗信号です。実際は常に違法のハンディを持ち込んでいました。ピストは無線の有資格者ではありません。三位が機能した安全な訓練であったのか甚だ疑問です。

『事故機の上昇姿勢が関与した』→霞の目飛行場は滑走路が短いので、上昇高度をかせぐためアップがきついので有名と聞きます。航空部部員情報に『上昇姿勢は適正』の情報はありますが、霞の目飛行場限定条件であり、息子を含め霞の目飛行場の特異性は知らされていないと考えられます。

『生存している関係者の都合の良い事故調査報告書』であることを知りました。

単座機は舵の反応が非常によく、複座機とは全く違うと聞きます。機種別操縦習熟訓練指導が必要と聞きます。監督は半年以上も当該事故単座機には乗っておらず操縦指導において不十分と思えます。

息子は「(アメリカに)行く気有るのか、無いのか」と究極の選択を迫られ2007年3月12日日本を出国しアメリカに渡りました。ASK21機(複座機24回) SGS-233機(3人乗り機45回) SGS-126機(単座機1回)アメリカにおいて飛行訓練をしています。2007年4月1日アメリカライセンスの取得をしました。4月4日日本帰国 4月5日仙台の下宿に帰り2007年4月15日 日本初ソロ 4月29日初単座機の飛行許可が出ています。

追悼文によると「向こうで(アメリカ)時間がなかったから単座機にほとんど乗れなくて、スピンが怖いんだ」と言っています。事故調報告書の失速訓練の回数は、ほとんどアメリカでの訓練によるものですが、機体による違い、又は訓練の内容までは言及がありません。訓練不足が恐怖心につながると聞いています。

②宮城県警 前記10月6日のウインチ土嚢牽引捜査の疑念を質したところ、「事故調に聞いてください。機長(息子)について違法性はない。しかし今後機体の損害賠償を求められるかもしれない」との回答には、人命よりも機体に優位性を持って捜査されている様に感じました。遺族は強く望んで10月6日のウインチ土嚢牽引試験に立ち会いましたが、なぜか県警関係者には事故調査委員に話しかけない様に言われました。

仙台霞の目飛行場から飛び立ち帰らぬ人となった大学生は、20数年間に息子で3機体3名になります。

この地域仙台の特異性を感じます。グライダー事故は仙台固有の条件の様に思えます。その様に考えなければグライダースポーツそのものの活動の場の喪失につながると思えます。

各大学航空部、社会人グライダー関係の方々は真摯に安全管理に取り組んで活動されて居られる事と思いたいです。

③朝日 日本学生航空連盟(学連) 『朝日新聞社は高校生の全国高校野球に匹敵する大学生の全国スポーツ組織として、現在も人的、経済的な援助をして、実質的な運営にあたり全日本学生グライダー競技選手権大会の主催をして、国内グライダー飛行回数の約80%を占めている。』(学連HPより抜粋2009/09/18)

2005年は朝日学連関係者に3名墜落死亡事故がありました。社会人グライダーでも事故が相次ぎ6名の方々が落命された年でした。

2006年春4月末 息子は東北大航空部に入部しました。5月頃朝日新聞の全面記事に全日本学生グライダー競技選手権大会のイメージアップ記事を読み親子共々事故を疑う事は全くありませんでした。

朝日 日本学生航空連盟(学連)と東北大学を含めた加盟大学とは安全管理に関し契約を交わし、(学連)は学生から会費を徴収して運営しています。朝日新聞やテレビ朝日等の媒体を使って学生に『空へのあこがれ』を誘っていました。運営指導にあたっては、傘下の大学には安全管理、危機管理指導が等しくなされているものとばかり考えていました。しかし実態は重大事故が起きてからHPに通達を出すことばかりの様です。リスクの高いスポーツで有るのに帰属する大学、またはその時々の指導教官によって学生の生命と将来が決まるのでは誠に理不尽です。例えば上記①でも触れましたが事故の回避のためには操縦者に全てを委ねる事がなく、システムとして重要なポジションであり、一定の技量の確保が安全対策として求められるウインチマンには(学連)の『ウインチマン認定の資格』が必要です。それにもかかわらず東北大学事故においては、朝日学連は適用していません。

更に東北大学においては事故後の現在もウインチマンについては『東北大学自己流式』『気を付ければ防げる』式の精神論で飛行再開されています。「飛行再開については遺族の理解と東北大の安全対策、それを以て朝日学連が国土交通省航空局に届け、航空局に受理されることが条件」と当時の事務局長よりメールを頂いていましたが、その後何の連絡も無く、なし崩し的に飛行再開はされたようです。

海外ライセンスについても「10数年前は全日本学生グライダー競技選手権大会のライセンス要件としては認められていなかった。部員減少により合宿が組めなくなり容認された様です」と専務理事、事務局長から聞きました。安全の周知徹底を計るのであれば、海外ライセンスに関して実態調査をして再発防止対策をして頂きたいものです。

グライダー関係者の文書では度々車の交通事故率死亡率を引き合いに出されます。グライダー事故が少ないと印象付けたいのでしょうか。分母が限られた方々と老若男女多数とでは、比較になるわけではありません。

当然のことですがそれは数値だけの問題であり、ひとりひとりに悼む家族、友人、知人がいることを忘れています。

④東北大学 2009年7月28日東北大に事故再発防止の要望書を送付させて頂きましたが、9月半ばを過ぎた今も梨の礫です。

東北大学回答書によると『機体無線不調の時は電源をリセットにし、再度ONにして回復としています。』航空部監督であり、事故時の指導監督教官の本業はN航空整備副部長と聞きました。N航空の無線整備マニュアルにあるのでしょうか。

ウインチマンはグライダー墜落事故では心境書で「切れる前も、自分の中で少し速いかな・・と思ってはいましたが、パイロットより速度指示がなかったため曳航を続けていました。今回の事故の原因でヒューズカットがひとつの因子になる、つまり自分の未熟さがひとつの因子」と書いています。

東北大学航空部の規定ではピストの無線担当者は、自家用ライセンサーとなっています。当時2人の担当者とも規定は満たしていません。9月自家用受験(自家用ライセンサー取得予定)10月まで動力滑空機に経歴追加充足、そして書き換えを目的としていたと聞きます。

そして航空部員たちは事故の悪しき対処法を学びました。ひとつの事故で人の命を絶ちきり、将来を踏みにじっても黙り通して反省をしなくても良いことを学びました。

2007年7月28日グライダー墜落事故のウインチマンであった件の学生は、事故の1ヶ月前の6月1日には、OBの要請で千葉県関宿滑空場を目ざし部車走行、東北高速道路、村田インター付近でグライダー牽引移送横転事故を起こしています。走行車線をふさぎ、後続走行車の運転者に2ヶ月の入院を余儀なくさせています。同乗の部員2名も僅差で命拾いをしました。OB制作機キュムラスは全壊。牽引免許証を交付された当日の夜の事です。大事故の後で有るにも関わらず、6月10日にはウインチ配属2ヶ月程度で監督操縦複座機の初曳きです。更に未熟な訓練生の単座機『ひとり曳き』を15回(記録は無いようで当事者申告?)もして16回目で事故に関与しています。

総じて医療事故、学生の学校災害事故では、専門外の警察、遺族、の調査力には限界があるため、第三者委員会の設立をと言われます。そして国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(事故調)が好事例に出されます。

今回息子の課外活動中の事故死(学校災害)、グライダー事故(航空事故)、多くの場合真相究明に働く報道機関(朝日新聞社関連事業)いずれも機能する事がありませんでした。むしろリンクしているように感じます。

東北大学の課外活動中に落命した学生は息子で26名になるとの事です。この状況では何も知らされない学生が不憫、理不尽の言葉しか浮かびません。

今後、事故に対する部員の心境記録 追悼文集 私共に寄せられました数々のお手紙等をご紹介いたします。学生を取り巻く事故再発防止の一助になることができればと、願っています。

航空部入部 1年2ヶ月で息子を失って 母 メールアドレス: syouhei67◎ab.thn.ne.jp (←◎を@に変えてください)