由来
ツタンカーメン王は、紀元前1358年〜1349年エジプトを統治した歴史上、有名な王である。
 1923年、イギリスの考古学者カーナ・B・カーター氏はこの王の王陵を発掘した。
その際、発掘された副葬品の中からこのエンドウ豆が発見されたのである。
 B・カーター氏は、エジプト人が紀元前のその当時食卓に並べていたと思われるこのエンドウ豆を持ち帰り、栽培に成功した。
そしてその一部がアメリカに渡り、栽培が続けられた。
 日本には昭和31年に大町武雄氏がアメリカに桜・銀杏など日本独特の種子を送ったところ、そのお礼としてV・イレーヌ・フアンシスワース夫人から、そのエンドウ豆のいわれを書いた手紙と共に数粒のエンドウ豆が大町氏宅に送られてきた。

 大町氏は自分ひとりで栽培するのはもったいないと考えて、希望者にその豆を分けた。その一部は広島市教育センターに2粒届けられた。この2粒の種を鉢栽培で育てることに成功し、年々株数を増やし、昭和60年約20,000粒の種子を収穫した。
 昭和60年指定都市教育研究所会議に主席指導主事として出席した加坂は10粒の種子をいただき、鉢栽培で育てることに成功した。
 昭和63年西代中学校学習園で30株を栽培し、約10,000粒の種子を収穫した。
 文部省62.63年度道徳教育推進校の研究発表会の機会に、参加者にこのエンドウ豆を広めたく、数粒ずつ配ることとした。

 ツタンカーメン王のエンドウ豆は、日本のエンドウ豆と違い、花やサヤ(子房)の色が紫色である。その色の鮮やかさは、何とも例え様もなく美しく、エジプトという遠い国への強い憧れを思わせるのである。
そこで、このエンドウ豆の栽培法についてお知らせしましょう。

1.種蒔き 10月下旬から11月上旬が適している。
育苗ポリ鉢(7.5cm)に、たねまきし、本葉が2〜3枚のころ定植する。
種子は、水を十分に含ませてからまくこと。
2.育て方 (1)日光には、十分当ててやり、がっしりと育てること。
(2)エジプトさんなので、やや寒さに弱いため直接霜に当たらない場所がよい。
(3)肥料は、定植後10cmぐらい伸びてから、化成肥料(主に、リンサン・カリを使用し窒素は少量とする。)を根元から離して少量ずつ月1回ぐらい与える。
(4)茎の長さは、2m以上になるので支柱を立て巻きづるがからむように、網をはること。
3.注意 普通のエンドウ豆が近くで栽培されていると、雑種になってしまうので場所に気をつけること。
もし、花の色が白にでてしまったものは雑種なので早めに処分することが大切である。


2種類のご飯が楽しめる !
 最初緑色の豆ご飯を食べ、残りをジャー(炊飯器)の「保温」でさらに5〜6時間以上加熱状態にするとエンドウ豆が赤く変色し、赤飯が出来上がります。