沼津〜三島   H.24.03.20

早朝、家をでてJRで沼津駅まで。8時47分先日の続きの地点に来た。見上げると。「東海道 沼津 上土」とかかれた柱が立っていて、多分夜になると、イルミネーションが点灯するのでしょう。

10時42分 夢舞台 東海道 新宿 向かい宿の道標と、常夜燈があった。常夜燈は、1846年に建立され、西側に秋葉大権現、と富士浅間神社と刻まれている。いずれも火を鎮める神様です。

静岡銀行と中央銀行の間の、川廓通りを行く。現在の石畳の通りは、昭和30年代まであった石畳をイメージして作ったようです。

宝池寺の一里塚

しばらく川沿いに歩き、旧街道は国道に合流する。合流地点に、「歴史マップ 沼津市大岡 江戸時代の下石田村」が描かれていた。

5分ほど歩くと、右側に、平作地蔵尊がある。説明板によると(日本三大あだ討ち 浄瑠璃「伊賀越道中双六」に出てくる沼津の平作にゆかりの深い地蔵尊として知られる。)

川廓通りの看板を入っていくと、広場に出た。沼津城本丸址がある。「明治維新により、徳川家が駿河府内70万石の藩主に任命され、沼津藩の水野家は千葉県に転封になった。旧幕臣が江戸から多数移住してきた沼津は重要な拠点となった。」

藤枝〜沼津  1280円
三島〜藤枝  1280円
自転車      160円
計        2720円

箱根路と書かれた大きな石碑を左に入る。 この先に私の中学の時の担任の先生が住んでいるので、寄る予定で、楽しみにしていた。うろ覚えで、家を訪ねると、旦那様が迎えてくれた。残念ながら先生は2月に(うろたえて日にちを忘れてしまった。)亡くなられていた。今年の年賀状に具合が良くないとは書いてあったが、こんなに早くいなくなってしまうなんて。お写真に手を合わせて冥福を祈ってきました。もう少し歩く予定でしたが、気が抜けて、バスに乗って三島駅まで行き、帰りました。

錦田一里塚江戸から28番目の塚で、左右1対残っている。大正11年国指定史跡になった。

12時11分 夢舞台 東海道 谷田 松並木の道標がある。谷田からは、初音ヶ原の松並木は約1kmほど続く。旧街道は国道の上り部分となっているが、歩行者は左の遊歩道を歩く。

その先の愛宕橋手前の分岐を左に入る。橋を渡った先は少し坂になり、最初の坂を今井坂という。JRの旧東海道踏み切りを渡ると、左に案内板と、夢舞台 東海道 川原ヶ谷 箱根旧街道入り口の道標がある。ここから愛宕坂になるが、短い。

三石神社の時の鐘  1761年に三石神社境内に大鐘がつくられ、時を報じ、火災の信号にも使われてきたが、太平洋戦争に供出。昭和24年、有志によって、平和の鐘として復興した。 隣にはうなぎで有名な「桜家」があり、値上げのお願いの張り紙があったが、並んで待つお客であふれていた。三島は鰻屋の多いところで、あちこちにお店がある。

農兵節に唄われた三島女郎衆はこの地にいました。」と書かれ、裏には農兵節が書かれていた。

しばらく歩くと、境川橋を渡る。ここから三島に入る。境川にかかる千貫樋を覗いていると、おじさんが来て、「ここだここだ」と言っている。向こうに見える樋に近づけないかと色々試したが、結局ここから見るしかないことになった。東京から来ている方で、「箱根越で足を痛め一ヶ月ぶりに歩いている。」と言っていた。箱根越えは大変なんだと他の方にも聞いている。「お気をつけて」と別れた。 千貫樋は説明板によると、(伊豆、駿河の国境の境川にかけられた樋で、長さ42,7m、幅1,9m、高さ4,2mで、近くの小浜池の水を樋に通して駿河の国まで引いたもの。元は木製であったが、関東大震災で現在のコンクリート製になった。創設の諸説あり、名前の由来も@架設が巧みで銭千貫に値する。Aこの用水が高千貫の田畑を潤した。B費用が千貫費やした。 

街道沿いにお米やさんがやっている「お結びやさん」があった。朝早かったし、おなかも空いてきたので、入った。出来立て結びを作ってくれる。中のイスでいただくことにした。お結びに沢庵をつけてくれた。昆布とおかかの出来立て結びは美味しかった。お米屋さんもお米はあるので、このように一手間かけると、繁盛するというお手本だなと思った。

玉井寺には、白隠の遺墨がある。向かい合って、玉井寺と宝池寺一里塚がある。玉井寺のほうは、木々が茂っているが、当時の原型をとどめている。江戸から29番目の塚である。 宝池寺の一里塚は伏見一里塚と呼ばれた。立場があり、人夫が籠などを停めて休息する場所であった。

その先の左側に、長沢八幡神社がある。鳥居をくぐり、参道奥には、対面石があり、二つの石が向かい合うように並んでいた。頼朝が挙兵し、奥州より義経が駆けつけて対面し、兄弟の名乗りをした場所と伝えられている。隣のお寺には、今日はお彼岸ということで、お墓参りの人が訪れていた。

黄瀬川を渡り、清水町に入る。橋の架け替え工事をしていた。渡り終わると、智方神社があり、川施餓鬼地蔵尊が祀られていた。智方神社は、御醍醐天皇の皇子、護良親王ゆかりの神社で、昔黄瀬川が駿河と伊豆の国境だったことから、国境を守る神々が祀られた。右側には、松並木が少し残っていた。そこに 9時53分 夢舞台 東海道 清水町長沢 松並木の道標があった。

国道を5〜6分歩き、東下石田交差点を右方向へ入る。左に沼津藩領傍示杭があり、従是西 沼津藩と書かれている。 少し先には、潮音寺 に亀鶴姫の碑がある。説明板によると(亀鶴姫は黄瀬川村の長者の娘で、源頼朝が富士の牧狩りの宴に再度召されたが応ぜず、「み仏の深きめぐみぞ頼みなる 身は瀧きつ瀬のあわと消ゆとも」の1首を残し瀧に身を投げた。

9時8分 同じ敷地内に、夢舞台 東海道 一里塚跡の道標があった。

しばらく大きな通りを歩き、平町2丁目交差点の手前を右方向へ入る。はいって直ぐに、沼津一里塚玉研石がある。玉研石は、1200年前に玉類を磨いた物で、柱状の二つの大石に直線的な溝があり、ここに玉の原石をいれて磨いたとされる。一里塚は江戸から数えて30里目の塚です。

大場川にかかる新町橋を渡ると、鞍掛け石がある。鞍掛け石  川原ヶ谷宝鏡院の入り口には左右に一対の石がある。昔は馬乗り石といい、北にある川原谷神社に参詣する人がここで馬に乗った。

広場からあゆみ橋のほうに歩き、狩野川を眺める。 通りの出口には、入り口にあったと同じ石柱が立っていた。通りに出て、三井生命ビルの前を右折する。

沼津宿へ

箱根宿へ

初音ヶ原石畳遊歩道

坂が急で、道が荒れ、赤土で滑りやすかったため、石畳に改修した。

三島大社は日本書紀にも記されている由緒ある神社である。舞殿では、沢山の親子がお宮参りのお祓いを受けていた。本殿の脇では、今日挙式の方が記念写真を撮っていた。 また、境内には、樹齢1200年の御神木 金木犀がある。

11時44分 夢舞台 旧伝馬町 三島大社の道標がある。

道を挟んで、樋口本陣跡と世古本陣跡がある。

蓮馨寺には、日限地蔵尊の隣に芭蕉老翁墓がある。寺の和尚が芭蕉の弟子だったという関係で墓があるようだ。

三島の街に入る。伊豆箱根鉄道の三島広小路駅を過ぎ、踏切を渡ると、左に蓮馨寺がある。

本陣 2軒、脇本陣3軒、旅籠74軒

三島宿