目次:
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薬師寺西塔再建
健康住宅建築
戸田村の観光(歓好)のページ
<歴史・史跡スポット>
戸田村 鬼川にあります、
松城家 は江戸時代からの廻船問屋で
、
現在の建築は明治9年頃完成したものです。
平成18年7月5日に
国の重要文化財(建造物)
に指定された住宅です
。
伊豆の長八のしぃくいの
コテ絵
が在ります。
この写真は松城邸の内覧会で御当主の
みどり さんとのツーショットです
スタッフの集合写真です
この岩は1660年頃戸田で一番栄えた時期に江戸城に納める為の
岩を砕いて出しての途中でお役ごめんになったのですが
今でも沢山残っており、山に登れば見れますよ。
戸田村 鬼川に有ります、
大行寺は浄土宗鎮西
派
(芝増上寺末)
日魯交流の跡地で、
プチャーチンと
川路聖左衛門尉が
日魯和親条約
を改定した場所です。
戸田村 入浜 に有ります、
宝泉寺は臨済宗円覚寺派
プチャーチンが安政元年12月7日より翌安政2年3月22日まで滞在したお寺で
す。
こちらの写真は本堂でプチャーチンの使用した椅子やロシヤ人の来訪した写真があります。
3人のロシヤ兵のお墓の写真です。
又今現在、墓地になっっていますが、
ロシヤ人で長い人では半年以上も居た所が
あります。
諸口神社
この建物は博物館東側に有る 通称 弁天さんと言われ海上安全の神社で 昔日本武尊が東夷を退治し関東を治める為 航海してきたのですが海が荒れては 困るので海上安全を祈願し奉られた神社です。
ここは正式名称は諸口神社と言いますが、博物館3階入り口右側に、よく神社の賽銭箱の上に有る
がま口
が有りますが埼玉県には諸口と言う苗字が沢山あるようですが 菜にか関係が有るようです。
松江古墳
井田の松江古墳です。昔は土葬が多く
この時代は石棺です
。
松江と書いてスンゴウと読みます。
この読み方は朝鮮語から来ているそうです。
埼玉のサキタマ古墳と同じ民族で
新羅系
の人達が住んでいたそうです。
造船郷土資料博物館に資料があります。
戸田村 大浦牛ヶ洞には
戸田号造船地、
日本洋式帆船発祥記念碑
があります。
戸田村 御浜崎にあります村立造船郷土資料博物館には、
洋式帆船発祥の地の資料、ロシヤとの関係、
井田に有る松江(スンゴウ)古墳の資料、
併設されている深海生物館には駿河湾に生息する深海魚の見本があります。
部田神社周辺の写真です。
こぶ付き大くす
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