井田の松江(スンゴウ)古墳の18号です。
此処には全部で23号まであるそうです。
この写真は小野先生自ら 三島南高校時代発掘をした時の事を
我々に説明した時の話をしてくれた時の写真です。
此処の古墳は渡来人で 朝鮮の新羅系の遺物があるようです
亡くなった人は当然この石棺に入れますがその後から
新しい死体が来ると前の御骨はまとめられて奥の骨壷の様な物にまとめるそうです
この古墳には7人分の骨が在ったそうです 顎の骨で解るようです
耳輪も14個ありました’(鉄製です)
地盤は敷石を並べ 壁は小石を積み上げ 天井は大きな石をかぶして
入口は石でドアのようにして開けるそうです
このような方式は日本には無いようです
その当時の日本の埋葬の方法は山の崖のような所に
横穴を堀り入口だけを塞ぐそうです
話はそれますが埼玉県の名前の由来はさきたま郡という地名があり
明治になり行田市の古墳を発掘した所
飛鳥時代の前から渡来人 新羅系の人が住み付き
その頃のに古墳が出来 さきたま古墳という名前が付き
県名も埼玉県になったようです
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