戸田村おもしろ裏話発見
今回は地名など名前の由来について。
A)江戸時代ここは 豆州君沢郡部田村(ズシュウキミサワゴウリヘダムラ)と言われてました。豆州(ずしゅう)と
は伊豆の国とのことですが伊豆の名の由来は(湯出る国)がなまって伊豆の国ともいわれています。
昔富士の見える所にはお湯がでないとよく言われました戸田村は伊豆でもっとも新しい温泉です。
B)君沢(澤)郡(きみさわごうり)今は田方郡と成りましたが、江戸時代頃までそのように言われていました。
スーパーのハックキミサワの名前も、この(きみさわ)と同じです。ヘダ号の(型名)もこの地名からです。
C)部田村(へだむら)明治22年までは主にこちらの字を使用していました、大門にある俗に(お宮さん)
と言われている名称は元々は(ぶたじんじゃ)ではなく(へだじんじゃ)です。
平安時代 今から1100年前にはすでに部田(へだ)村と言われていましたが、
それより前は(ヘタ)と言われていました。一説ではアイヌ言葉が語源だと言われ私もそう思うのですが
今現在そのような事を証明するものは現存していません。ただ言えるのは土肥(とい)とは普通では(どひ)
と言い、その他伊豆半島では素直にいえない地名が沢山あります。
富士山の語源は6つありますがそのなかにアイヌ言葉が2つあります。火の神で(フチ)、
噴火すると言う意味で(ブッシュ)他にマレー語で素晴らしいという意味の(ブジ)などがあり
元来日本とは南方系 アイヌ系が住んでおり、その人達の呼び名がそのまま地名になったようです。
元々はヘダ村と言われていたのですが、正しく発音をしないとブタ村かヘタ村になりますね。
D)昔は戸田よりも井田の方が上の位でした、と言うよりも西伊豆一帯は井田が支配をしていました。
現在の西伊豆町までは(井田ノ庄)へだ、とい、うぐす、あらり と呼ばれていました。
E)戸田の港は噴火口と言う人がいますがそれは違います。御浜は砂洲と呼ばれ駿河湾沿岸流
によって運ばれた砂礫などが湾口から細長く堆積して出来たものです。
三保の松原も沼津の大瀬崎も不思議に北の方に伸びていますね何故でしょうね?
F)大上にある紙谷橋は昔製紙工場がありましたので、この地域を紙谷と呼んだのです。橋から南の山が
わに製紙工場で利用したレンガで出来ている用水の後があります。
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