さて今日は源平合戦の倶利伽羅峠を越える日である。峠のお不動さんの春の大祭の日でもある。「動脈硬化の分際で山道の一人歩きは厳禁」と固くかみさんに言い渡されている身には願ってもないチャンス。おまけに天気も上々だ。勇んで石動の駅に降りたのだが、駅前にはこの日だけ出るというバス待ちの善男善女が長蛇の列。とても乗れそうにない。
人々を尻目に若干の優越感を持ってタクシーに乗り、埴生護国八幡宮に向かった。木曽義仲が合戦を前に戦勝を祈願した神社だ。長い石段をやっこらしょと登って本日の道中安全、天気晴朗を祈願した。石段下の義仲騎馬像にも敬意を表して歩き出したが、大祭というのにハイカーは見あたらない。みんな車で別の道を行くのだろう。結局一人歩きになってしまった。
埴生の次の集落石坂から山道に入った。歴史国道と言うだけあって整備が行き届いている。坂道には緩急所を得た丸太の階段が造られていて歩きやすい。独り占めして歩くのが申し訳ないくらいだ。木々に覆われた道に突然視界が開けて砺波平野と彼方の山々が春霞の中に広がる。鳥のさえずり、白雲の移ろい、かぐわしい木々の匂い。
こののどかな街道で源平10万余の兵が激突したのは寿永2年(1183)5月、800年あまり前の今頃の季節である。今日のように灌木の茂みにはウグイスも鳴いていただろう。平惟盛麾下の7万の勢が倶利伽羅峠を越えて砺波山の下に布陣すれば、薩摩守忠度も搦め手の兵を率いて北方の志保山に向かう。一方の義仲は四万の兵を七方面に分けて平家を街道の前後から包囲せんとした。私が歩いている道も義仲の兵が進んだのだろう。埴生を発った義仲の本隊は旧北陸道を行ったようだ。今は源平ラインと呼ばれる自動車道路だが、愛妾巴や葵の塚がここにある。
平家物語の言うことは大げさすぎて信じがたいが、こんな狭い山道に10万を超す人馬がひしめいてはお互い動きがとれまい。夜襲を図る義仲は悠長な矢合わせで時間をかせぎ、お人好しの惟盛は誘いに乗って時間をつぶす。夜襲は見事成功し平家の人馬は谷底に転落して死屍累々、大将以下死地を脱した者わずか2千。
矢合わせをしたあたりで山道と自動車道路が一瞬出会って別れ砂坂という急坂になる。ここに「火牛突入」の看板があった。倶利伽羅峠と言えば義仲火牛の計だが、平家物語にそんな話はない。あるのは源平盛衰記の方で、義仲は埴生で牛4,500匹を集めて角に松明を縛り付け、一度に燃し立て無二無三に平家の陣へ追い立てれば牛荒れ廻り狂い廻って平家は壊滅。坂道を上り詰めた所が猿ケ馬場で芭蕉の句碑が建ち谷側の眺望が開けるが、そこが平家壊滅の現場だという。猿ケ馬場は昔の悲劇も知らぬ気に八重桜満開で、行楽の客が弁当をぱくつく傍らには燃える松明をつけた2匹の牛の像もあった。
峠の不動寺に着いた時は護摩供養も念仏餅つきも終わっていた。茶店はどこも満員だったが、ようやくその一角を確保して念仏赤餅を注文する。境内の臼でついたわけではないが柔らかくてほのかに暖かい。塩味の大きな餅で2つ食べたら腹にドスンと来てしまった。八重桜が咲き乱れる公園で一休みして帰りのバスに乗った。
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(左)惟盛が布陣した砺波山下の道 (中)死者で埋まったという谷 (右)倶利伽藍峠の不動寺 |
越後で体調を崩した芭蕉だったが越中に入っても連日の猛暑で意気上がらない。それでも高岡から倶利伽羅の難所を越えて1日で金沢に来てしまうのだから昔の人の健脚にはかなわない。私は石動から電車で金沢入りして駅の近くのホテルに落ち着いた。ヒレステーキを奮発し生ビールで日中の疲れをいやす。翌日芭蕉が泊まった宮竹屋喜左衛門の家があったという片町へ行ってみたが、繁華な商店街で家の跡など皆目見当がつかない。芭蕉の辻という石碑の立つ大通りを隔てて斜め向こうに、小杉一笑が住んでいたが芭蕉が来る前年暮れに亡くなった。
犀川大橋を渡って大小の寺が建ち並ぶ通りを行くと忍者寺こと妙立寺に行き当たった。案内の標識があちこちにあるのは観光客に人気があるからだろう。その裏が一笑の眠る願念寺で人気のない庭に芭蕉と一笑の句碑がある。「塚も動け」と慟哭する芭蕉に対し、おだやかに死を迎える一笑の句が清々しかった。
心から雪うつくしや西の雲
大橋のたもとの雨宝院に生後間もなく貰われて来た男の子が後の室生犀星である。「ふるさとは遠きにありて思ふもの」と人口に膾炙したフレーズは、貧窮の中で詩人をめざして苦闘する青年の決意表明だ。望郷の思いは戦いのエネルギーに転化する。「うつくしき川は流れたり そのほとりに我は住みぬ」と歌った犀川の道を歩いた。詩そのままに青く澄んで流れる犀川の緑の河原にはベンチが置かれ、ゲートボールを楽しむ人々がいた。桜橋まで来ると「抒情小曲集」から採った詩碑があった。
あんずよ
花着け
地ぞ早やに花着け
あんずよ花着け
あんずよ燃えよ
詩集の刊行は大正7年、やがてあんずは花咲き実を結んで、青年は犀川の空に輝く星となった。
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(左)願念寺の一笑塚 (中)宮竹屋や一笑の住んだあたり (右)室生犀星の詩碑 |
(平成21年4月28-29日)