翌朝黒羽に行く前に大田原で朝食を食べようと、西那須野駅から東野交通のバスに乗ったのが誤算だった。市街には食事の場所もなければコンビニもなく、黒羽行きのバス停すらない。散歩中のお年寄りに聞けば
「そういうものはみんな町の外に出て行っちまったんだよね。国道まで行けば店もバス停もあるんだけどね」
 そういうことかと納得してかなり離れた国道まで行っても、バスは通過した後でドーナツを売る店があるだけ。ドーナツをコーヒーで流し込み、停留所をいくつも歩いて時間をつぶし次の市バスに乗った。
 黒羽は鮎釣りやゴルフの客が来るので飲食店が多い。昼食の場所は選り取り見取りだが、いちばん高級そうなホテル花月に入るとフロントに人影がなかった。二階のレストランも深閑としている。休業日かと踵を返しかけた時、蝶ネクタイの紳士と目が合って「いらっしゃいませ」と声をかけられた。
「あんまり閑散としているから休みかと思った」
「いえ、いえ、やっております。どうぞこちらへ」
と窓際の那珂川がよく見える席に案内された。この紳士はレストランのマネージャーなのか。ビールの生を注文し分厚いメニューを開いて、「何かお勧めは」と聞くと「鮎御膳は如何」という返事。料理が来る間紳士は黒羽の見所について私の相談に乗ってくれ、地図と手元に一冊しか残っていないというガイドブックまで頂いてしまった。
 紳士が出て行くと入れ違いに季節限定の鮎御膳が運ばれて来た。塩焼きに炊き込み、甘露煮を乗せたソバ、その名の通りの鮎尽くし。鮎はいささか小ぶりだが調理が良いから文句は言えない。カロリー控えめの禁を破って生をもう一杯注文した。
(左)黒羽の町 (中)那珂川 (右)常夜灯

 教えられた大宿街道に通じる石段を上がると招魂社があった。常夜灯が変わっている。石造りの円塔に螺旋階段が付いていた。火の見櫓のようでもあり、那珂川を見下ろす燈台のようでもある。戊辰戦争の時黒羽藩は新政府軍に投じて会津攻めに参加した。招魂社は当時の藩主が戦死者の霊を弔うために建立したもので、以来第二次大戦までの戦没者を祀っている。
 芭蕉が黒羽の余瀬に着いたのは今の暦で5月21日だった。湯本を目指して出立したのが6月3日だから二週間ここにいたことになる。門人や寺の住職に歓待されてよほど居心地が良かったのかも知れないし、雨にたたられて気をもみながら晴れ間を待っていたのかも知れない。
 とまれ芭蕉が小さな城下町に半月も滞在したということは、今黒羽の人たちが大いに誇りとするところである。大宿街道の脇に芭蕉の道と称する遊歩道を造り、入口には場違いな矢立初めの句碑を立てた。彼が世話になった浄法寺の跡を芭蕉公園として、ここに
 山も庭もうごき入るや夏座敷
 その先には芭蕉の広場を造って四阿を配し、
 鶴鳴や其声に芭蕉やれぬべし
 広場を出て裏手にまわると芭蕉の館で、馬に乗った芭蕉と徒歩の曽良の像、黒羽城の本丸を城址公園にして、ここに芭蕉の里文化伝承館という熱の入れよう。これで余所から人が大勢集まってくれるなら嬉しいのだろうが、思惑通りには行かないのが浮き世の常というもので、どこへ行ってもいるのは私一人、閑古鳥だけが鳴いているのは悲しい。
(左)芭蕉公園 (中)大雄寺山門 (右)大雄寺本堂

 芭蕉芭蕉にいささか辟易した旅ガラスに安らぎを与えてくれたのは大雄寺だった。遊歩道の手前の鬱蒼とした木立の奥、長い参道を上がり苔むした石仏に迎えられて茅葺きの総門をくぐると、本堂も庫裏も回廊もすべて茅葺き。本堂はかなり大きいが農家のような親しさがある。参禅する人も多いらしく、「総受付」の札が立ち「座禅中はお静かに」という張り紙もあったが、今は静かな上にも静かな境内。無人の庭に一人腰を下ろして、堂を眺め雲を眺め、水琴窟の音に耳を澄ます。おびんずるさんの頭まで撫でてしまった。「ほそ道」にこの寺は出てこない。曽良の日記に出てくるのは、宿舎とした浄法寺と町から外れた光明寺である。二人はここに足を入れなかったのだろうか。
 城址公園の先には体育館があって道は二つに分かれる。右を選んで坂を下ると堀之内に出て、黒羽の商店街を通ってきた広い道に合流した。収穫を前にした黄金色の稲田が拡がっている。一踏ん張りして五峰の湯に浸かりたい。
 稲田を横に見て行くその先に、似たような風体の人を見つけて声をかけるとやはり同好の士、温泉目指して歩いているのだった。聞けば会社を定年退職して、今は富裕層相手のケアマンションの嘱託をしている由。話題は自然とその客のことになる。
「会社の社長さんや大学教授が多いです。威張ってますよ。中小企業で資産を自由に使える人って特にそうですね」
「いやだね。そういうヤツ」
「威張っている人ほど自分の排泄物の始末が出来なくなった時の落ち込みがひどい」
「威厳の維持は大小便の始末を自力でやれるか否かにかかっていると?」
「そうです。急に卑屈になりますね。介護者にこびを売るようになるんですよ」
「だから私は歩いて足をきたえている」
「私はテニスをしていたのですが、医者に歩くようにと勧められましてね」
 話しているうちに五峰の湯に着いた。大田原市の市営温泉で、那須岳や男体山、女峰山など5つの山を見ることができることから名がついた。広い湯船がいくつもあって、歩き疲れた体を癒すのにこれ以上の薬はない。アルカリ泉の透明な湯に浸かって話を続けた。
「昨日は矢板から黒羽まで歩いて町内に一泊しましたが、ひたすら歩いて疲れました」
「僕はいわゆる歩け歩けの集団ウオーキングというのが嫌いだね。あれはただ距離を競うだけ、仲間うちだけの会話で閉鎖的だもの。風景を眺め土地の人と言葉を交わしてそこの雰囲気を楽しむのが僕の流儀です」
 と先輩を気取って教訓を垂れる。
(左)郊外の田圃 (右)五峰の湯

        (平成19年9月20日)